TO文庫なる初耳のレーベルからリリースされた大石氏の新作。角川ホラー、光文社文庫、そしてアウトロー文庫とそれぞれに定番の大石カラーを見せながらもレーベルごときの個性も感じられる諸作に比較して、では本作はどうなのかというと――エロ度増し、というかほとんどがエロ(爆)。どこからどう見ても、この娘っ子ってドロリッチの今野杏南だよネ?というエロチックなジャケの雰囲気とあいまって、『ウヒヒ……ヒロインの女子大生・琴音は今野杏南タンのイメージで是非とも皆々様に抜いていただきたく、こうしてジャケ画に採用させていただいた次第で……』なんていう編集者の下卑た薄笑いが聞こえてきそうなところがアレなんですが、物語はというと大石小説としてはここ最近のフォーマットにしたがった定番もの。
化粧っ気のない女子大生・琴音は、バイト先の社長にそのマゾ性を見出され調教されていくうち、性の目覚めとともに美しくなっていき、――という話なのですが、まずこの構成が素晴らしい。いきなりの調教シーンから始まるものの、「あの頃のわたし」という枕詞を繰り返しながら、「いま」の自分と過去の自分を対照させつつ物語は淡々と進んでいきます。しかし注目すべきは、この物語の中の時間軸における「いま」がいつなのかがはっきりしていないということで、調教によって美しく変貌した彼女の語りであることは間違いないものの、その口調にはどこか悲哀が感じられる。大石小説に読み慣れたマニアであれば、ではその悲哀の所以とは何なのか、――というところを謎として本作を読み進めていくことでしょう。
その宙づりにされた「いま」という時間の謎を埋め合わせるように繰り返される調教シーンの大盤振る舞いは、ノーマルのエンタメというよりは完全にポルノ小説のソレ。鞭や蝋燭であれば『奴隷契約』を典型として、ここ最近の大石ワールドであれば、口淫口虐と並んでいまや定番化しつつあるモチーフでもあるわけですが、本作のエロではアナル調教が新機軸。
調教に使われるアナルプラグを「それはちょうど『タケノコの里』というお菓子を大きくしたような形だった」と形容してみせるヒロインの初っぷりにはついつい微苦笑してしまうものの、それを一週間ずっと入れたままにしておくという仕込み方は、綺羅光かいッというほどの激しさで、そうしたシーンの数々があくまでヒロインの淡々とした口調によって語られていくというギャップが秀逸です。
もちろんエロシーンだけであれば、完全なるポルノ小説になってしまうわけですが、「あの頃のわたし」や、ときには幼年時代の両親との確執などもまじえながらヒロインの被虐趣味の源泉を遡っていき、物語全体に隠された悲哀の伏線を仄めかしていく構成が見事で、とくにエロに絡めた過去の逸話の中ではやや唐突に感じられるある動物の死に関するエピソードが明かされたところを起点にして、物語は急速に悲劇的結末へと流れていく見せ方手がいい。
ご主人様のアレは、近作でも眼にした既視感のあるわけですが、エピローグでも執拗に過去を回想しながら、最後に「明日のことはわからなかった」と口にするヒロインの秘められた決意と最後に語りかける一言がもたらす静謐とした余韻は、ここ最近の大石小説の中でも忘れがたいものとなっています。本作の結末もまた痛切な別れによって描かれる絶望的なハッピーエンドであることに変わりはありません。それでもある動物の死の逸話と同じエロなしで描かれる幼少期のエピソードとヒロインの宿命を重ねた見せ方には、絶望のさらにその先を読者に見せようとする大石小説の新しい局面を感じさせます。
大石氏の代表作というほどの大作ではありませんが、いつもよりもエロ増量という作風と忘れがたい余韻から、個人的にはかなりお気に入りの一冊で、自分のような大石ファンでアレばまず没問題で愉しめるのではないでしょうか。しかしTO文庫という名の知れぬレーベルからリリースされた本作のジャケを見て初買いしたビギナーが「大石圭? ああ、SM好きのエロ小説家でしょ」なんてあらぬ勘違いをしてしまうのではないか、――それだけが心配ではあります。