猛偏愛。
作者が、『強弱』で第六回・金車島田莊司推理小說賞に入選する前の作品で、『嗜殺基因』の後日譚とでもいうべき本作は、『嗜殺基因』とともに、「異類人性」シリーズと銘打たれた一冊で、血の呪縛、そしてアウトサイダーの呪われた宿業を描いた異色作。
物語は、全寮制の学校に通うことになったボーイと魔少年とのボーイ・ミーツ・”ボーイ”、――つまりは男同士なので、薔薇小説なノ?と勘違いしてしまうのですが、さにあらず。全寮制の学校には女生徒も一応いるものの、主要登場人物はおしなべ男ばかりで、魔性少年に惹かれるボーイを除けばそのほとんどが、クズ野郎ばかりという布陣であるところに注目でしょうか。これは作者も後書きに書いているのですが、同性愛を企図したものではなく、女性の視点から、男性嫌悪症の男を描いてみたかったとのこと。男性が男性を憎悪するというのかどういうものなのか、その疑問をさらに深掘りしてみるために、複数の男性を登場させてみた、とのこと。
さて、先っきから魔少年と書いていますが、この主人公である男の子が女かと見紛うほどの中性的な美貌を誇るところが本作のポイントで、何しろ、初登校の日に、駅のトイレでこの魔性少年に出会うことになったボーイが、一目見て女かと勘違いしたくらいの美少年で、彼がトイレで用足しにズボンを脱いで男のアレをポロンするまでは完全に女と信じ切っていたくらいというから相当なもの。
この魔少年ですが、その美しさに加えて、何ともいえない翳りがあり、独特のムードを醸し出している。その美しさゆえか、周りの男衆どもは、彼のことを虐めたくてタマらなくなってしまうという毒を持っている、――とこのあたりは、『キマイラ』シリーズの主人公・大鳳吼を彷彿とさせるものがあります。とはいえ、大鳳吼のような異人種というわけではなく、その実態はというと、”殺人鬼”の子ども。殺人鬼といっても、これにはそれなりの深い背景があり、そのあたりのいきさつを、”殺人鬼”たる母親の視点で描いているのが『嗜殺基因』で、『嗜殺基因』を読んだ読者であれば、あの作品で描かれてなかったあるシーンが、本作の前半部で魔少年の視点から活写されているに、軽い衝撃を覚えるのではないでしょうか(自分がそうだった)。
『嗜殺基因』では単なる気の弱い苛められっ子だった少年の正体がこれだったとは、というおどろきとともに、逃れることのできない血の宿業に囚われたボーイを不憫に思う気持ちが湧いてくるくすぐりがまた心憎い。
主要登場人物の男衆が次々と魔少年の蠱惑的な魅力にとらわれ、次々と道を踏み外してしまう展開で、そうした男たちが学校の教師だったり、校内のワルだったりして、中盤までの魔少年危うし!の流れが、後半はスリラーな趣向に転じていくところも本作の見所でしょうか。一方で、この魔少年に対する純愛が昂じて、隠微な共犯関係を引き寄せてしまったボーイの一途な想いが溢れ出すラスト・シーンが美しい。
そして本作においては、作者がこの後発表していく物語のテーマがいくつも鏤められていることが確認できたのは収穫でした。例えば本作ではもっとも印象的ともいえる終幕の舞台となる海。宗教的でさえあり海におけ魂の浄化――これは『孤島教室』に繋がっていることは間違いないであろうし、さらに苛烈な虐めに耐える少年という設定は、『強弱』や最新作の『三浦屋的小玉』においても繰り返し描かれている。それを『強弱』では本格ミステリに、そして『三浦屋』では怪談に、というふうにジャンルの切り替えを行って巧みに物語へと昇華させていく作者の手腕が光る本作は、作者の原点ともいえるのではないでしょうか。
さて、『強弱』から遡って、作者の初期長編を読んできたわけですが、初期からテーマは一貫しており、とくにアウトサイダーに対する眼差しと、そこから苛烈な物語を説き起こしていく作者の小説技巧がもっとも際だっているのが本作ではないか、と感じました。
『嗜殺基因』も決してハッピー・エンドとはいえない結末ではありましたが、あの物語の背景が明かされる本作では、さらなる悲劇が描かれてい、ラストでは地の文でハッキリ「ハッピーエンドはやってこない」ってな終わり方をするところは作者の真骨頂。
スリラーでありながら、地の文で饒舌に作者の思想が語られる異色作で、ボーイズ・ラブ的な表層と相反して、むしろ純文学的な感触を抱く読者が多いような気がするのですが、いかがでしょう。
作者の個性がもっとも濃厚に詰まった物語で、かつ相当に激烈な一冊。なお、読んでいる最中、頭ン中では、中国語でありながら、中井英夫と福永武彦の文体をハイブリットさせたような日本語語りで再生されていたのはナイショです(爆)。