傑作。一応、藤原、安部両氏の共著というかたちではあるものの、もちろん自分は藤原氏の文章と写真が目当てで購入であります。ここ最近の写真をメインに据えた作品としては、『書行無常』という、数十年後には絶対に氏の代表作として語られているであろう歴史的傑作のあとに刊行された本作もまた『書行無常』とは異なるアプローチによって時代とこの世に対峙してみせた逸品といえるのではないでしょうか。
冒頭、神の島とされる沖の島へ上陸するまでのいきさつが氏の筆致によって語られていくのですが、呪いともとれる逸話によって沖の島は不気味な印象をもってまず読者の前へと提示されます。しかしいよいよ船へと乗り込み、荒々しい海の様相や島の過酷な外観の描写がなされていくにつれ、そうした不気味さは、神々しさから生み出される救いと島の険しい様子から生み出される畏怖という二つの感情へと帰結していきます。――短いながらもこの島の孕む二つの面容を明確に描き出したこの文章がまず素晴らしい。
そして写真ですが、翡翠を暗く落としたような色合いが強烈な印象を残します。絶壁には「きょぜつ」、そして共生には「ささやき」というふうに、それぞれの写真に添えられた二つの言葉の組み合わせもまた独特。ドラマチックな虚飾をいっさい廃してそこに見えるものをそのままに、心を空にした状態でシャッターを切った氏の技法はここでも健在で、特に奥深い森を、まさにそのまま写し取ってみせた「雨草」や「飛石」「峠」「巨岩」「蛇木」などが個人的にはぐっときました。もちろん氏らしい視線が存分に活かされたマクロの「遺物」(ぼうきゃく)、「落羽」(ぬくもり)、「共生」(ささやき)、「生死」(るてん)なども素晴らしい。
さらに圧巻だったのは、氏の個性的というか強引に過ぎるマクロ撮影の技法が炸裂した沖の島祭詞祀と宝物」で、ド素人的には「エスクテンションチューブ使えば?」とツッコミを入れたくなる気持ちをぐっと堪えて(爆)一枚一枚の写真に見入れば、それぞれのブツをただ正面から写した「だけ」という植物図鑑的な構図なのに、シャッターを切る瞬間の並外れた集中力から生み出される「気」と「息づかい」までが聞こえてきそうなほどの臨場感がある――そう、これは断じて普通のブツ撮りとは違います。芸術写真とも記録写真とも違う何ものかとしか表現のしようがない、そんな壮絶な写真の数々もまた表紙のイメージに呼応するかのようにくすんだ翡翠をしていて、この統一感も秀逸です。
この本を手に入れてから数日後にテレビのニュースで知ったのですが、何でも「宗像・沖ノ島と関連遺産群」を世界遺産にしようという動きがあるとのことで、富士山の世界遺産登録に呼応してテレビでも報道されるようになった沖の島の世界遺産登録の動きなどを鑑みるに、『書行無常』や古くは『俗界富士』のような扇情的な手法こそ取られていないものの、実は本作、相当にセンセーショナルな一冊といえるのかもしれません。
世界遺産登録されれば西欧人たちが大挙して詰めかけてくることになるわけですが、女人禁制でさらには入島のさいに何も纏わずに身を清めよなんてことを彼ら彼女たちに言った日には、ウーマンリブよろしく「ナーンセンス!」なんて頓狂な声をあげられることはもう確実――そうした時代に阿るかたちでついには女人禁制や身を清めることも解除され、この神々の森も蹂躙されていくのか……そんな未来をイメージしながら暗澹たる気持ちに沈むもよし、あるいはただ無心に氏の素晴らしい写真と対峙しながら沖の島の神々しさと畏怖に言葉を失うもよし。氏のファンならずとも沖の島に興味のある読者であれば、後半の安部氏の文章はこの神の島の歴史と様相を知るための助けとなること請け合いです。
ちなみに藤原氏が本作の撮影に用いたのはRICOHのGXRにA12 MOUNTで、レンズは氏の写真では定番のNoctilux 50mm f1.0に、Summilux 35mm f1.4、それに加えてVolgtlander Super Wide Heliar 15mm F4.5の三本とのこと。本作の写真とは全然関係ないのですが、GXRはもう引退させようと思っていたものの、これらの写真を見てもう少し使ってみるか、……と少しだけ思い直した次第です(苦笑)。