藤原新也のトークショー『藤原新也と表現力』を聴きにいってきました。実はこれ、事前に往復ハガキを送って申し込むという方式だったのですが、その抽選に当たった次第で、何でも150名の定員に650名あまりの応募があったとのことですから、当選したのはかなりラッキーだったといえます(爆)。さて、その内容ですが大変素晴らしかったです。
トークの内容は”現場”(会場の聴衆)を見て決めるという氏の言葉通りに、チラシや事前の内容案内には「写真を読むとはどういう事か、写真を見ながら解説してい」くとあるものの、ちょっとそれとは異なる内容でした。とはいえ氏のディープなファンには堪らない話がテンコモリだったので、むしろ良かったというか。トークは第一部と第二部にわかれてい、氏が写真を撮るきっかけとなったアサヒグラフの一件から、インド放浪、チベットを経て、逍遥游記へと至るまでの写真技法の変遷や心の変化、さらに『逍遥游記』で達した”老い”の心境から脱するためにまた再び旅へと出る『全東洋街道』の裏話、そしてあの『東京漂流』の”事件”の内幕を語る、――といったものでした。
前半のアサヒグラフに突撃していったいきさつはどこかで読んだことがあるのですが、個人的に興味を惹かれたのは、氏が写真の技法というものを意識しだした心の変遷でありまして、インドでの、「360度どこにカメラを向けても写真が撮れてしまう」「塊が目に飛び込んでくる」という現場から、チベットへと旅を写したときの意識の変化について語るところはかなり面白かったです。チベットは天空と高原、砂漠ばかりが続く土地で、何もないわけで、その点、カメラを向ければ何でも撮れてしまうインドとは対極ともいえる。そこで氏は写真を見せるための技法を意識した、――というようなことを語っていました(御大の講演と違ってテープに録っていないゆえ、細部が曖昧なのはご容赦)。
何枚かの写真を背面の大スクリーンに映して、その技法や撮影をした際の心境について話をするというかんじでトークは進んでいったのですが、その中からいくつか引用しておくと、――朝日文芸文庫『西蔵放浪』の84,.85頁に掲載されている断崖絶壁の写真では、断崖の広大さを見せるための構図のとりかたについて、また170,171頁に掲載されているチベットの僧侶たちが草を摘む手許を俯瞰で撮ったものでは、「インドではこういう写真は撮らなかった」とコメント。382,383頁の馬と向こうに見える倒壊した建物をまとめた写真(スクリーンに映し出された一枚はこれをトリミングしたかと)では、敢えて馬の尻を右側に配置することで写真を見るものの視点を操作する構図の技法についての解説がありました。
自分の場合、『西蔵放浪』の写真ももちろん好きなのですが、藤原新也の写真の中では「ちょっと違うな……」と感じていて、今回、氏の話を直接聞くことでその謎が解けました。その前のインドの写真は氏曰く、「塊としてわっと目に飛び込んでくる」被写体に「撮らされている」ような感覚だったというのですが、『西蔵放浪』ではかなり写真の表現技法を意識したものとなっている。ただ氏の凄いところは、そうした技法に溺れることなく、”現場”(撮影場所)に合わせて”文体”(機材と撮影技法)を柔軟に換えていくことで、このあたりは『アメリカ』の撮影での逸話の中でも聞くことができました。冒頭、トークを始める前に、まず聴衆を見てからどんな話をするかを決めると語っていた氏ですが、撮影もまた同様で、『アメリカ』ではいったいどんな写真が撮れるのか、それにはどんな文体がふさわしいのはまったく不明であったため、たくさんの機材を詰め込んで彼の地へと乗り込むと、旅の過程で35mmから大判まであらゆる機材を試していくうち、『アメリカ』にふさわしい文体を見つけていったということです。
文体に関していえば、『逍遥游記』のあの奇妙な文章はどうやって書かれたのかという逸話も面白かったです。原稿用紙を用いずに、わら半紙に細々と文章を綴っていき、紙の終わりにきたところで文章を留めてしまう。起承転結を意識して文章を構築していくのではなく、物理的な抑制・制約による縛りゆえにあのような内容になったということです。また『逍遥游記』はかつての台湾が舞台ということもあって、氏のコレクションの中では個人的にも偏愛する一冊なのですが、氏自身もこの本はお気に入りということを聞けたのは嬉しかった(爆)。
後半の『東京漂流』の話で興味深かったのは、海外の旅を終えて帰国した氏が、旅人の視点から日本の異様さを活写した『東京漂流』をまとめる際に感じていた”悔い”についてでした。『東京漂流』はあの”事件”がきっかけでFOCUSでの連載も打ち切られたわけですが、それについてはまったく悔いていない(当たり前ですな)氏が感じていた唯一の”悔い”とは何なのか――。この”悔い”から傑作『コスモスの影にはいつも誰かが隠れている』が生み出されたという逸話を語るところでは、氏の内心の変化に感じ入って思わずホロッときてしまったのですが、観客の多くが何故か笑っていたのが不思議(爆)。うーん、やはり自分はちょっとフツーの人と感性がズレているのか、……ホロリときながらも複雑な心境に悶々としてしまったのはナイショです。
なお、参加者の特典として、『東京漂流』の”事件”でボツとなった例の写真、――本来であればこういうかたちで掲載されていた筈というデザインが見ることができたのは大きな収穫でした(爆)。また小保方嬢の記者会見の写真はCAT WALKの会員であれば見ることができたものですが、大画面で堪能できたのもヨカッタです。
聴衆は藤原新也のディープなファンというよりは、全日本写真連盟絡みの人たちといったかんじでしたが、トークの内容は氏のファンであればかなり満足できるものだったのではないでしょうか。またこのような企画があり、かつ抽選に当たれば是非とも参加したいと思います。