金色機械 / 恒川光太郎

金色機械 / 恒川光太郎傑作。実は刊行されてすぐに購入はしたものの、思いのほか分厚いことに尻込みしてしまい、また今年に入ってから眼を患っていて極力、紙の本は読まないようにしているので、ずっと積んだままでした。そんなおり、最近になって電子本がリリースされたため手に入れ、イッキ読みした次第です。

物語は、今までの恒川ワールドとはやや風合いが異なる時代物。ある不思議な力を持つ少女が遊郭の大主に、彼に会いに来たその曰くを語りはじめるのだが、――という話。今までは恒川小説といえば短編、中編というイメージがあったので、今回のような大作の構成で作者はどのような技法を繰り出してくるのか、期待と不安が半々で読み始めたのですが、登場人物たちの”語り”を交錯させていく物語は、恒川ワールドではお馴染みのもの。とはいえ、物語の主軸を担う一人である女の語りが、やがてその話の聞き手である男の過去をも巻き込んで時間軸の捻れと揺らぎを見せていく展開は長編ならではの新機軸といえるかもしれません。

従来であれば、物語の要所要所に、登場人物の内心を語りや独白の形式で挿入し、そこから劇的な転調へと繋げていく見せ方が恒川小説の定番ではあったものの、本作では長編ということもあって、物語の端緒として語られる女の語りは、タイトルにもある金色機械、――「金色様」を軸として様々な人物たちを飲み込んでいきます。短編中編であれば、一行あけて語りから物語へとすぐに戻ってくる構成であったのが、本作では女の語りから、章を挟んで過去の物語をも巻き込んで、あらゆる悪の巣窟である鬼御殿にかかわる人々の歴史までもが語られていくため、中盤を過ぎてようやく冒頭の女語りへと回帰していく結構はドグラ・マグラ的ともいえます。

女が秘めている不思議にして危険な能力が物語の推進力に大きく絡んでいるかというとそうではなく、また女の語りの聞き手でもある遊郭の大主の超能力についても添え物にすぎず、このあたりはやや違和感ありなのですが、タイトルにもある金色様の存在を敢えて謎とせず、後半の活劇へと繋げていく展開もかなり不思議。金色様がどこからきたのか、またその目的は何なのか、そのあたりの「解説」を加えてしまうと半村良のようなSFになってしまい、――さすれば設定とリアリズムに関しては重箱の隅を突いて物語をクサすのが三度のメシより好き、みたいな極悪SFマニアに眼をつけられること必定ゆえ、そうした謎を添えることなく、敢えてファンタジー的な存在のままにした戦略は秀逸といえるでしょう。

中盤まではかなりシリアスに描かれていた金色様が、後半には活劇めいた展開の中でもの凄いパワーを見せつけるところなど、今までの恒川小説ではどうにもありえない味付けゆえ、このあたりは『夜市』からずっと追いかけてきた人にはやや複雑な感想を持たれるカモしれません。このままかなりはっちゃけた終わりかたをするのかと思っていると、善悪を超えてそれぞれの人物の宿業が絡み合い、金色様の「テキモミカタモ、イズレハマジリアイ、ソノコラハムツミアイ、アラタナヨヲツクルデショウ」という予言にも似た言葉をエピローグとして、ある「幕引き」が描かれます。そしてまさに「語り」を変幻自在に操る作者らしい最後の一文が醸し出す余韻が美しい。

恒川ワールドは、抗えない宿業や理由もなく訪れる酷薄な運命をさらりと簡明な美しい文体で描くのが真骨頂であるわけですが、後半のユーモアやアクションなど”らしくない”ところを見せながらも、「語り」の中で善悪を超えて主軸となる人物の宿業や運命的な出会いを活写して最後の美しい一文でまとめた物語は、やはり作者でしか描き得ないものでしょう。

恒川小説ならではの重さの中に、長編ゆえの軽さも含めた「余白」があるところは、寧ろ『夜市』も『草祭』も『金色の獣、彼方に向かう』もまだ未読という読者にはとっつきやすいかもしれません。この「余白」は従来のファンの間では賛否両論あるかと思うのですが、作者の新たな一面を見ることができたのは収穫で、長編ならではの壮大にして重層的な「語り」で今度はどんなもの凄い物語を魅せてくれるのか、――そんな期待をしながら次の作品を待ちたいと思います。