果てる 性愛小説アンソロジー / 桜木 紫乃, 宮木 あや子, 田中 兆子, 斉木香津, 岡部えつ, まさきとしか, 花房 観音

果てる 性愛小説アンソロジー /  桜木 紫乃, 宮木 あや子, 田中 兆子, 斉木香津, 岡部えつ, まさきとしか, 花房 観音 岡部えつ女史の短編目当てで購入。女史の短編の中でも現時点での最高傑作ではないかと思える逸品「紅筋の宿」が読めただけも大満足なのですが、ほかにもミステリの技巧を凝らした思わぬめっけものもあったりと、かなり愉しめた一冊でした。

収録作は、明るいカノジョと幸薄すぎるネクラ女との間を揺れ動く色男の物語、桜木紫乃「エデンの指図」、虐待で育てられたため子供への愛情表現を知らない暗黒女の一見フツーに見える日常の影となつかしい記憶、宮木あや子「天国の鬼」、顔面を強打してお化け女になってしまった結婚間近の女が同級生との再会によろめく田中兆子「髪に触れる指」、ストーカーから逃げてきた女が昔のカレシの部屋に逃げ込みセックス三昧の日々に溺れるも思わぬ幕引きに口アングリとなる、斉木香津「嵐の夜に」、ド田舎で道に迷った男があやかしの世界をさまよう、岡部えつ「紅筋の宿」、子持ちママさんの香水に絡めた発情行為に予告された泣き笑いの結末、まさきとしか「南の島へ早く」、ストイックな僧侶を夢見るイケメンボーイが色地獄へと堕ちる、花房観音「海の匂い」の全七編。

桜木紫乃は名前こそ知っていたものの、作品を読むのは初めてだったのですが、「エデンの指図」は、色狂いというほど深刻ではないものの、女といえばやはりセックス、――といった自己中な考えを心の闇に抱えた男が主人公で、物語の中では男の出自に関する暗い過去がさらりと語られていき、天真爛漫な今のカノジョとの対比を見せる作中人物の配置が素晴らしい。心の暗黒に光を照らす今のカノジョが自分に相応しくないことは判ってい、その一方仕事絡みで知り合ったネクラ女へと惹かれていく男の心情をねちっこく描いていきます。しかし二人の女の間で煩悶する主人公といった定石へと流れることがないあたり、現代的というか、この主人公の個性というか、――読後も何かふわふわとした不思議な感覚が残る物語でした。

「天国の鬼」は、十分にホラーとしても通用する作品で、幼児虐待の連鎖や、あからさまな虐待行為に気がついていながらも傍観するだけで何もしない住人といった現代的なテーマを扱ってい、そのあたりは定番ともいえる物語なのですが、そこにヒロインの過去の逸話も絡めて、過去の男と、今の幸せに見える夫とを対比させ、一見するとヒロインの物語に擬態しつつも、最大の悲哀と悲劇はこのヒロインの子供にあることを暗示するタイトルが心憎い。登場人物のいずれも読者の共感を排除するかのようなキャラ立てが凄い、というか、ヒドい(爆)一編でしょうか。

「髪に触れる指」は、結婚間近の女のよろめきを描いた物語で、収録作の中では読後感が一番爽やかな一編です。地元に帰省していた栗山千明似のヒロインが顔面を強打し入院。結婚が予定されているものの、未来のダンナは結局自分を顔だけで選んだのではないかと怖れている。そこへ、昔カノジョのことを好きだった、いかにも性格美男子の男と再会して、――という話。性愛小説のアンソロジーですから、もちろんエロチックなシーンも用意されているのですが、収録作の中ではその描写はもっともストイックで、それゆえにエロいという、……何となーく初期の玉岡かおるあたりを彷彿とさせる作風でしょうか。

「嵐の夜に」は完全にヤラれた一編で、これは思わぬ掘り出し物でした。作者がミステリー畑のひととはまったく知らずに読み始めたので、最後の結末には思わず眼が点になってしまったという、……物語は、失恋女がストーカーから逃れるために逃避した先が元カレの部屋という、これだけでも何だかなァという女なわけですが、この元カレとのイヤラしいセックス描写も交えて、物語は何の仕掛けも感じさせず、ある意味淡々と進んでいきます。しかしこれが最後の最期で予想もしていなかった或る真相を明かして幕となるのですが、この構図は完全に連城三紀彦。実際、作中の××を××に変えればそのまま『恋文』に収録されていた短編だったかになってしまうのではないかという逸品で、ミステリ好きであればかなりオススメできる一編ではないでしょうか。

「紅筋の宿」は、上にも述べたとおり、自分が感じるに岡部えつ女史の短編においては現時点での最高傑作と言い切ってしまってもいいのではないかと。バスを間違えてトンデモないド田舎に降り立った男が、ある女の家に泊めてもらうのだが、――と、いかにもな怪談風味で物語は進んでいくのですが、とにかく来るぞ、来るぞと読者に期待させる描写の一つ一つが素晴らしい。

「廊下の掃き出し窓は開け放たれ、レースのカーテンを揺らしている」「主のいない犬小屋とその横に錆びた一升缶が据えてある」――男が女の家に入ってからの描写がいちいちゾーッとする雰囲気を醸し出しているのは中田秀夫をはじめとする和モノの現代ホラー映画を彷彿とさせ、そこに傑作「アブレバチ」再びともいえる背筋が凍る言い伝えが語られという盤石の展開、――もう、完璧でしょう。性愛小説の宣伝文句通りにはじまるセックス描写は最高にグロテスクにして妖艶で、ベルメールの球体関節人形か、クリス・カニンガムの『Rubber Johnny』か、はたまたアントワーヌ・ダガタかといったおぞましい描写は、しかし決して俗に落ちることなく、その描写が克明であればあるほど、この世ならぬものへと変じていく岡部マジックが素晴らしい。そしてエピローグふうに語られるシーンで民話の謎解きから一気に幻想へと急旋回する結末は、まさに一流の怪談文学の香気を放ってい、再び彼岸へと足を向けるか、それとも現実世界へと戻るのかを逡巡する男の心情を描いた最後の一文の完璧さ、美しさ、――百年後にも泉鏡花や岡本綺堂などと並んで日本の怪談・幻想文学の名品として残っているであろうことを確信させる一編ではないでしょうか。いや、大袈裟ではなく、本気でそう確信しております(爆)。自分のような岡部女史の信奉者のみならず、怪談文学のファンであれば是非とも手に取ってもらいたい傑作です。

「南の島へ早く」は、ざっくりまとめると、子持ちのママさんが、母を取るか、女を取るかで煩悶する一編ながら、そのよろめきに深刻な犯罪を据えた展開がいい。ミステリーっぽく仕上げることも十分に可能な物語ではあるのですが、作者の筆はそうした深刻さを忌避する感覚で進んでいきます。

「海の匂い」は、「すごいぞ」という噂こそさかんに耳にはしていたものの、機会がなく読まずにいた花房観音の一編です。岡部えつ女史のことを色々と調べていると、作風の類似性からなのか、たびたび目にしていた花房女史の物語は、しかし岡部ワールドとはかなり風合いが異なりました。岡部小説には性愛を描きながらもどこか醒めた意識が感じられ、その描写の表層ではベッタリしながらも、どこかサバサバした女らしくない(?)質感が、篠田節子に似ているなァ、……と自分は前々から感じているのですが、それに対して花房女史の作風は一言でいえばベトベトの悪魔主義というか(爆)。本作でも、真面目すぎる僧侶志願のイケメンボーイが、生臭坊主の奸計にハメられてヒドいことになるという話は、まさに団鬼六か綺羅光かといったキワモノぶり。逆にいうと、団鬼六や綺羅光などを通過してきた自分のようなロートルであれば、むしろこの極悪ぶりを笑って愉しめてしまうわけで、このあたり、作者の期待通りに読めているのかどうか甚だ心許ない(苦笑)。

収録作でストイックなエロをご所望であれば「髪に触れる指」、明快なエロであればこの「海の匂い」ということになるでしょうか。冒頭の「エデンの指図」の主人公も”海”に関わりが深い出自を持っており、この「海の匂い」の主人公も、タイトルそのままにその出自には海が大きく関連してい.るところが興味深い(もっとも、「海の匂い」の”海”にはもう一つの意味があるダブル・ミーニングとなっているのですが)。

エロ、ポルノといった直接的な表現を避けた「性愛小説」というサブタイトルと、作家の布陣からしておそらくは女性向きの一冊としてリリースされたものと推察されるわけですが、自分のようなロートル男子でも十分に愉しむことができました。特に怪談マニアであれば岡部女史の「紅筋の宿」は必読、そしてミステリ読みの方であれば、「嵐の夜に」はなかなか愉しめることと思います。オススメでしょう、というか、岡部女史のファンは必読です。