女の庭 / 花房観音

女の庭 / 花房観音傑作。アマゾンの内容紹介をチラ見したら、「単行本発売と同時に、女性たちの圧倒的支持を得て続々重版となった、圧倒的女性文学。これは醜聞か文学か!? 」とある通りに、どちらかというと女性を射程に据えた物語ながら、怖いモンみたさで手に取った男衆もかなり愉しめるのではないかという一冊でした。

物語は、大学教授の恩師の葬式で再会した女たちのエロい秘密をベトベトの愛欲描写で活写した、――というもので、全編これ女視点から描かれる濃密にして濃厚な描写の激しさには思わず噎せてしまうほど。絵奈子、里香、愛美、唯、翠といった一人ひとりの女性に一章をもうけてそれぞれの女たちの愛欲と苦悩を描いていくのですが、まず序章「如意ヶ岳」と終章の「東山三十六峰」が翠の視点によって描かれているところから、この翠が物語全体の狂言回しを担ってい、彼女が絵奈子に抱いている秘めた気持ちがとある騒動を引き起こしていることが後半で明かされる結構など、長編の体裁ではあるものの、一章一章でひとつの物語がスマートに完結しているため、連作短編として全体の繋がりを愉しむ読み方ができるところも秀逸です。

それともうひとつ、女性たちの愛欲と苦悩を繊細に、そして濃密に描き出してみせることで、彼女たちの生と性を描いている一般小説の物語でありながら、ちょっとしたフーダニットを凝らしたミステリとしての趣向を持たせているところが面白い。恩師が撮影したとおぼしきアソコのモロだしビデオに映し出されていた女は誰、というのがそのフーダニットになるわけですが、画面に大写しになったアソコの形状のみからでは当然、それが誰であるか判るはずもなく(爆)、それぞれの章立てによって”容疑者”リストを明示しつつ、意想外な人物を最後に明かしてみせる技法がなかなかに興味深いと感じました。――とはいえ、現代本格を読み慣れているミステリ読みであれば、おそらく中盤でこの人物が誰であるかはおおよそ見当がついてしまうのではないかと推察されるものの、こうした一般小説にまで本格ミステリの技法がさりげなく凝らされているあたりに、現代の小説の多様性を垣間見た次第です。

いずれの女性もおのおのの立場ゆえの苦悩を抱えているのですが、その因業の深さという点では、やはり絵奈子が圧巻でしょうか。兄貴が身勝手な心中をしているという過去も壮絶で、そうした兄と比較されつつも、枷に嵌められた人生から逃げ出したいという思いが激しい愛欲となって爆発し、妻子ある男たちとヤリまくるという、――いかにも観音ワールドの住人らしい振る舞いが素晴らしい。当然、コクのあるエロっぽいシーンがテンコモリではあるのですが、不思議とコーフンできないところは処女作の『花祀り』と同様で、この所以はやはり性愛描写が女視点から描かれたもので、やたらにベトベトしているからではないかと勝手に妄想しているわけですが(苦笑)、――絵奈子がそうした粘液質なセックスに溺れるほど、肉よりは心の哀しさが際だってくるという風格は、サンプリングを効かせたエロ描写によってむしろ男女の心のどうしようもない哀しさを描き出してみせる大石圭を彷彿とさせます。

愛美という女性もまた、ちょっとした美人であったがゆえにゲスな男に溺れてしまい、奈落の底へと堕ちていくという、定番ともいえる流れでその哀切極まる半生を見せてくれるわけですが、絵奈子が不倫している陶芸家の男といい、この愛美が変態セックスに溺れるゲス男といい、また里香がネットで知り合った学生といい、いずれの男子も自分勝手なセックスを女に強要するという点では同じであり、女性たちが個性的であるのに比較すると、そうした男衆は女たちの因業と美しさを引き立てるための書き割りに過ぎないというところは、団鬼六にも通じるな、……と感じた次第です。

上にはどうにも観音ワールドのセックスシーンは興奮できないと書きましたが、なんともな事件がきっかけで知り合い結婚にいたった唯の章は、そのド変態ぶりから苦笑しながらなかなかに面白く読めました(爆)。何しろ冒頭から野外放尿というトンデモないシーンで幕を明けるこの章が、ただひたすら女視点でヤリまくる他の女性たちとはやや毛色が異なる物語であることは容易に察しがつくものの、冷静にそれぞれの女性たちの今の生き様を俯瞰すると、変態道を突き進む唯が……もしかしたら一番幸せなのカモしれません。

そして狂言回しともいえる翠もまた通常の性とは異なるアブノーマルな気質の持ち主という点では、唯と共通する今を生きながら、惚れた相手が大問題で、せっかく彼女のことを思いやってくれている疑似パートナーをも巻き込んでトンデモない所業に出るところなど、社会的には成功しているように見えながら最悪のキャラであるというところが興味深い。ここでも唯との対比から見えてくる女という生き物の不可思議さを垣間見ることができます。

終章の「東山三十六峰」で、翠の視点から、過去のビデオ事件のフーダニットが明かされるのですが、その人物については予想通りながら、女たちが淫らに舞う舞台の上では完全に陰へと隠れていた意想外な人物が、絵奈子ともにかなり唐突なかたちで登場する後半にはかなりおどろかされました。そしてこの物語は絵奈子の物語として静かに幕を閉じます。

「東山三十六峰」の、翠の視点で描かれながら、突然の転調によってコトの真相が明かれされる外連や、あるいは処女作『花祀り』の後半で、怪僧の視点を混在させ、そこから「花散らし」へと流れる構成など、作者の小説構成の技法は歌舞伎や能などの伝統芸にも通じるように感じられるのは自分だけでしょうか。このあたりの構成の巧みさは作者の大きな個性の一つような気がします。

というわけで、処女作からボチボチ読み始めた観音ワールドですが、期待していた性愛描写以上に作者の描き出す登場人物たちの個性とその構成力に惹かれた次第。まだまだ未読の作品があるので、ボチボチ読み進めていきたいと思います。