第一回島田素地推理小説賞受賞者の寵物先生と、第二回受賞者の陳浩基氏の共作。本格ミステリーというよりは、その趣向と物語の背景などからSFミステリといった風格に近いでしょうか。共作といいながら、章ごとに二人の個性が非常に強く出でおり、このあたりをどう感じるかによって本作の評価は変わってくるような気がします。
物語は、犯罪者が出所した後も再犯を犯すことなく更正できるかどうかをコンピュータによって判定するシステムが確立された近未来のアメリカと日本において、そのシステムに関わる人々に様々な事件が出来し、――という話。物語は大きくPrologue、Ep1,2,3,4、そしてEpilogueと分かれており、その作風と文体から、おそらくはアメリカ編となるEp.1と3が陳浩基氏、そしてEp.2と4が寵物先生を担当したのではないかと推測します。
アメリカ編となるEp1.は、”お勤め”を終えた元受刑者が娑婆に出てから様々な悪事に手を染めていき、――という物語を不穏な空気も湛えた一人称で描き出した作品で、一回の用務員として学校に雇われたこの男が、裏で学生たちを操り、奈落へと突き落としていく展開が恐ろしい。本格ミステリー的な仕掛けは薄いのですが、何よりもその真っ黒な語り手の心情の独白と、イヤーな方向、ヤバい方向へと流れていく展開がイヤミス的好きには堪りません。この元受刑者の独白の中では仕掛けらしい仕掛けも見られず、このまま終わりかと思って油断していると、タイトルの『SA.BO.TA.GE』の真の意味が明かされ、この独白そのものが意想外なものであったことが明かされます。
続く日本編となるは、東京を舞台として、政府機関に所属する娘ッ子が、探偵事務所を訪れ、ある事件の解決依頼をするのだが、――という物語なのですが、ガイジンの眼から見たトーキョーの景色ながら(なんたってサクラホテルに、スナック『紫陽花』)、欧米人とはまた違った視点から眺められた東京の風俗も交えて描かれていく物語はやや冗長、……個人的にあまりノレなかったのはナイショです(爆)。とはいえ、終盤、ハードボイルド風に盛りあがった終盤において、物語の構成そのものが一気にカオスへとなだれ込む趣向は完全に本格ミステリーからは逸脱してSF的な趣へと傾斜していきます。
この混沌の真の意味が明かされるのは、続くEp.3 の終幕まで待たないといけないのですが、このEp.3もアメリカ編。SA.BO.TA.GEの管理に関わる役人が、システムのはじき出した奇妙な結果に疑問を持つうちに奈落へと堕ちていく、――という話。こちらもEp.1同様、サスペンスフルに展開しながらも、主人公を探偵的役割に据えて、街で頻発する事件の謎解きを軸として物語が展開していきます。街で頻発する事件の犯人は、システムが再犯の可能性ナシと結果を出したある人物ではないかと疑問に思ううち、システムのエラーを疑いながらもその呪縛に絡め取られていく主人公の末路が哀しくも恐ろしい。
そしてシステムの導き出した事件の顛末と現実世界との符号を確信しながら最悪の結果を引き起こしてしまった主人公の推理が、事件の終了後、あらためて異なる視点から再考されていく構成が秀逸です。本格ミステリーにおける推理の前提として、まず論理を構成するための諸要素を取捨選択する必要があるわけですが、本編における登場人物がその時点で陥った陥穽が明かされていくロジックが本編の見所で、取捨選択のために用いていた主人公の基準をまったく裏返すかたちで明示される要素の数々――このミッシングリンクものであれば探偵行為の過程に必然的に生じ得る陥穽を、最後の推理によって明示することで、今まで見えていた事件の様相を反転させる技巧の素晴らしさは一読の価値アリ、でしょう。
最後のEp.4は、Ep.2でも認められた混沌が、コンピュータプログラミングの様式でもって再現される構成が美しい。事件の経緯と登場人物たちの秘密が明かされることによって立ち現れる構図は、壮大な陰謀が個人の半生へと収斂していくかたちをなし、このページ数で語りきるにはやや物足りなく感じられるものの、アメリカ編とその設定を巧みに重ねて、最後に事件年表として語られる景観はなかなかのもの。長編の構成ながら個人的には連作短編として愉しんだ本作、やはりイチオシはアメリカ編のEp.3 でしょうか。個人的には短編を繋いだ形式よりも、この華文ミステリを代表する二人の才能が脱線・逸脱と収斂を繰り返すリレー小説の形式で本作を完成させていたらどんな奇抜な物語になったろう、……なんて妄想をしてしまいました。
本作における近未来のシステムなど”SF”的な部分はどうなのヨ、というあたりも色々と語りたいところはあるのですが、今回はこのくらいで。