熱層之密室 / 提子墨

熱層之密室 / 提子墨第四回島田荘司推理小説賞入選作。とりあえず本作の内容については、『皇冠のサイトに公開された第四回噶瑪蘭島田荘司推理小説賞入選作『熱層之密室』のあらすじと解説 』に眼を通していただくとして、――本作の眼目はやはり圧倒的な読みやすさとハリウッド映画を彷彿とさせるその物語展開でしょう。入選作三編の中ではもっともとっつきやすい一方、本格ミステリーらしからぬ予定調和的でストレートな展開をどう受け止めるかによって本作の評価は分かれるような気がします。

宇宙ステーションという密室状態において、過去と現在でまったく同じような殺人事件が発生する――という様態から、同一の犯人・犯行の可能性をまず読者は想起するわけですが、過去と現在では同乗している乗組員が異なるため、フーダニットという点においては同一人物による犯行という可能性は早々に排除されてしまうものの、本作が優れているのは、この究極ともいえる密室状態に読者の興趣を惹きつけることで、容疑者の限定性を明示しつつ、それが真犯人を容疑者リストから排除する巧みな誤導として作用しているところでしょうか。

密室殺人といえばその方法に焦点が当てられ、読者の興味がそちらにまず向かうのは当然ながら、本作における密室のハウダニットは事件の構図と分かちがたく結びついているところが大きな個性といえるものの、壮大な陰謀劇の内幕を明かしてそれを密室のロジックを補強する構成要素としてしまうところは議論の分かれるところカモしれません。先日感想を挙げた寵物先生と陳浩基氏の共作『S.T.E.P.』日本編の後半が、――国家レベルの陰謀劇の開示を端緒として、それが個々人の物語へと収斂していく構成であったのに比較すると、本作では、宇宙船乗組員の家族たちの個人的な体験と疑問が陰謀劇へと呑み込まれていく結構であるところが異なります。

ただ、繊細な人間ドラマを描くのであれば、『S.T.E.P.』の技法の方が小説向きではと感じてしまうのは自分だけでしょうか。登場人物が体験した全てが実は陰謀であった、――という真相は、古き懐かしの、という形容をつけ加えたくなる趣向ながら、物語を読んでいる間は、上にも述べた通りハリウッド映画のごとき期待通りの展開でページをめくる手が止まらないという体験をもたらしてくれたのも事実です。それが予定調和的であろうとも、読者の期待を先読みしたこうした構成が本作の圧倒的なリーダビリティを生みだしていることは間違いありません。なので、物語の展開が愉しめればそれでヨシ、真相開示についてはコダワリがない、という本格ミステリーらしからぬ読み方をされるのであれば、本作はかなり愉しめるのではないでしょうか(ちなみにこうした読者の予定調和を期待する”読み方”に徹底的なノン、と突きつけた作品が薛西斯の『H.A.』だったりするのですが、この先鋭的な問題作の感想については次回に)。

実際、自分の読書体験を思い返してみれば、寿行センセの小説なんて仰々しい展開を見せながらも最後は陰謀劇の内幕を明かして存外にアッサリと終わってしまうものが大半であったし(爆)、そうした結末を目の当たりにしても、では物語の始まりから終わりに至るまでの読者体験が不満だったかというと、そんなことはマッタクなくて、むしろその時間を愉しめただけでも大満足という感じでありましたら、要はその本を手に取る心構えにやや注意が必要、ということでしょう。しかしながら、本作に置いては、本格ミステリーの賞である島田荘司推理小説賞の入選作であることが、そうした読み方――物語の展開そのものを愉しむ――を躊躇わせる方向に働いてしまうのではないかと危惧されるものの、そこはそれ。本格ミステリー云々は抜きにして、「面白い小説」を所望の方であれば、本作はオススメということになるでしょうか。変わり者の探偵役を配した本作の冒険譚は、御大の作品であれば『水晶のピラミッド』や『アトポス』あたりの作風をも想起させる個性を放ってい、あのころの御手洗がイイッ、という方であればなかなかに愉しめるのではないでしょうか。ただし、本格ミステリーとしてはやや取扱注意、ということで。

関連記事:
『藝文風』最新号に掲載された第四回噶瑪蘭島田荘司推理小説賞入選者インタビューその二 『熱層之密室』の作者・提子墨
皇冠のサイトに公開された第四回噶瑪蘭島田荘司推理小説賞入選作『熱層之密室』のあらすじと解説