作家と万年筆展 @神奈川近代文学館

昨日はここ数日の中では体調も良かったので、今月の十四日から横浜の神奈川近代文学館ではじまった『作家と万年筆展』を見に行ってきました。今日はその簡単な感想を。自分は格別万年筆マニアというわけではないのですが、なかなか愉しめました。

近代文学館は最近だと二〇〇九年の大乱歩展に行ったきりすっかりご無沙汰でありました。こじんまりとしながらも堅実な展示内容は近代文学館らしい内容で、夏目漱石から現代は北方謙三、伊集院静までの直筆原稿と、実際に使用していた万年筆が展示されています。万年筆にもそれぞれメーカー・モデル名からペン先の金の配合比率、ニブの太さにいたるまでが表示してあるという念のいれよう。

大乱歩展はぐるっと会場を一周するかたちで、かなりのボリュームがあったように記憶しているのですが、今回は『「文学の森へ 神奈川と作家たち」展 第二部 芥川龍之介から中島敦まで』が同時開催となっていたため、スペースはその半分ながら一応、「第一部 名作を生んだ万年筆たち――夏目漱石から井上ひさしまで」と「第二部 手書きの魔力せんんせ現在の作家と万年筆」の二部に分かれています。

とはいえ、現代の作家でいまだ手書きにこだわりを見せる作家はかなりの少数かと推察され、実際、第二部で取りあげられている作家は少なく、北方謙三、出久根達郎、伊集静、浅田次郎、角田光代といった面々。内容の充実度、来訪者の関心度という点では漱石から井上ひさしまでの作家をとりあげた第一部なのでしょうが、実は今回自分が見たかったのは現代作家で「敢えて」万年筆を使っている作家の生原稿とペンでありました。

とりあえず第一部で興味のある作家の万年筆を列記しておくと、乱歩が使っていたのはパイロット・RT-170-F”53R”というブツ、……と書いても、これがどんなモンなのか、万年筆マニアでもなんでもない自分にはサッパリ判らない(爆)。澁澤龍彦は「パーカー21スーパー」で、埴谷雄高が「オノト5601」でした。では、現在作家はというと、北方謙三は「モンブラン・マスターピース149」、出久根達郎は「パーカー・デュオフォールド・インターナショナル」、伊集院静が「モンブラン・マイスターシュテック149」、浅田次郎は「モンブラン・ライターズエディション アレキサンドル・デュマ」、角田光代が「万年筆博士謹製手作り万年筆」。

生原稿でインパクト大だったのが伊集院静で、線の太さと強弱に何ともいえない遊びと味があり、原稿を遠目にぱっと見ただけも美しい。また線の一本一本にも細さと太さが混ざりあい、見ていて非常に愉しいものだったのですが、解説によると、氏が使用している「モンブラン・マイスターシュテック149」はニブにOBBが使われており、あの特徴的な文字の秘密はこれによるものとのこと。

自分も家でのメモ書きには普通に万年筆を使ってはいるのですが(ラミー ステュディオ(LH))がメインでインクはモンブランのミッドナイトブルー)、そもそも万年筆というのは自分のような左利きにはかなりの難物。LHのペン先とはいえ、少し姿勢を崩して書こうとすれば文字はかすれる、インクフローは安定しない……まあ、それでもうまく書けているときの筆圧を必要としない書き味が素晴らしく、それゆえに愛用もしているわけですが、これで書くのはあくまで家だけ、という限定モード(ちなみに外でのちょっとしたメモ書きには、パーカーのインジェニュイティを使い始めたのですが、これ、左利きの自分とはかなり相性が良いです)。自分がラミーを使っているのもペン先にLHが選べるからで、伊集院氏のようにOBBとか一風変わったペン先を気軽に使える右利きの方々が羨ましい。

浅田次郎の文字も読みやすく、それでいて個性的な味のあるものだったのですが、個人的に萌えたのは角田光代の生原稿。氏の原稿はフッタのところにふくよかな女性のイラストみたいのが描かれており、これが妙に可愛い。文字もこちらがイメージしている通りというか、そんなかんじでした。第一部で取り上げられている過去の作家の文字は、池波正太郎を除けば、個人的には普通というか、それほど印象に残ったものはなかったのですが、現代でも「敢えて」万年筆で書いている作家は上に上げた伊集院静、浅田次郎のほか、出久根達郎といずれも味のある文字を綴るひとで、こうした個性溢れる字体に、いま「敢えて」万年筆を使うのか、その理由を探るヒントが隠されているような気がします。伊集院氏にしろ、出久根氏にしろ、原稿を眺めているだけで、文章を書くことを愉しんでいる雰囲気が自分のようなド素人にも伝わってきます。

万年筆マニアの方がどのくらい興味を持たれるかはちょっと判らないのですが、小説好きであれば生原稿も見ることができるし、なかなか愉しめるのではないでしょうか。