爪と目 / 藤野 可織

爪と目 / 藤野 可織芥川賞受賞作ということでスルーしていたんですが、一部ではホラーという噂も聞いてそれでは、と手に取ってみました、――というか一番の理由は、作者の写真を見て「本上まなみにちょっとメンヘラ風味を加えたカンジ」という、モロ自分好みの美女であったから、というのはナイショです(爆)。

収録作は、二人称の奇妙な文体で描かれる悪魔のごとき娘と母親との隠微な関係におぞましき日常を描いた表題作「爪と目」、脳梗塞に倒れた老婆の日常と幻想の混淆「しょう子さんが忘れていること」、子供の世界ならではのおそれをモチーフにノンクライマックスの恐怖が待ち受ける「ちびっこ広場」の全三編。

「爪と目」は確かに奇妙な小説で、語り手である娘が母親である「あなた」について淡々と語っていくという構成ながら、「あなた」の過去、そして語り手が見ていない出来事までが何の説明もなく描かれていくという趣向は確かに掟破り。しかしミステリではなく純文学であるわけだし、そうそう定石にこだわらなくてもいいと個人的には思うし、むしろこの不可解さに対して「何で?」と疑問を持たせることこそが本作の狙いであるような気がするのですが、いかがでしょう。

娘を虐待している母親という現代的な舞台をさも普通の日常のように淡々と描いているところがホラー、という感想をどこかで目にしたような気がするのですが、むしろ描かれていることよりも、この人称にまつわる謎やここには”描かれていない”ことがイメージ出来てしまうことの方が恐ろしく、その意味ではホラーというより、巧みな引き算によって読者に恐怖を喚起させる怪談の技法に近いという印象を持ちました。

ただ二人称が逆に”縛り”となってか、あるいは深読みを忌避する最近の読者に阿ったゆえか、ときにやや説明口調に流れるところが、まだまだ怪談になりきれず、純文学に未練があるようにもうかがわれ、――そもそも芥川賞受賞作というお墨付きのついたれっきとした純文学であるわけですから、怪談視点でこの作品を云々するのもかなりアレなわけですが(苦笑)、たとえば終盤、「あなた」が幼稚園に語り手を迎えにいって手を握るシーンの最後の一文、

あなたは、それまでわたしと手をつないだことがなかったから知らなかったのだった。

というのはチと蛇足。ミステリ読みとしては子供と爪のかかわりといえば、夏樹静子の某長編で見せた華麗な伏線の技法などを思う浮かべてしまうのですが、ここで敢えて「謎解き」などせずとも、「コンタクトレンズ、なくしたの」という「あなた」が、「取り替えの利かない距離」で、語り手の手を握り、”痛み”を感じる場面を描くだけで、深読みに慣れた読者であれば、この意味を十分に会得できるかと思うのですが、どうなんでしょう。

最後の最後、語り手はある残酷な復讐をやり遂げるのですが、ここで淡々と語られる嗜虐と、「目の前は明る」く、「驚くべき平明」さを語り手から与えられた「あなた」との対比が恐ろしい。

ちなみに語り手が神のように「あなた」の過去を見通せていることについては、このあとしっかりと読者の想像力を喚起させる文章が添えられています。ずばり引用してしまうとネタバレになってしまうので控えますが、「目の前は明る」く「驚くべき平明」さを与えられた「あなた」に対して、「あなたは未来はもちろん、過去の具体的なできごとをなにひとつ思い出してはいなかった」と呼びかける呪いは壮絶で、虐待する母親と虐待される娘との相似性と決定的・致命的な相違を宣告して終わる最後の一撃はまさに悪魔的。純文学としてはどうなのよ、というところはありますが、ホラーというよりはもっともっと引き算の技法を使って書かれた作者の怪談を読んでみたいな、――と思って何気に調べてみたら何と、『怪談実話系 妖 書き下ろし怪談文芸競作集』に作者の怪談短編が掲載されている模様。これは是非とも読んでみなければなりません。

「しょう子さんが忘れていること」と「ちびっこ広場」は、クライマックスが描かれていないという構成が「爪と目」に通じ、なかでも「ちびっこ広場」は、子供の世話に振り回される母親の日常物語かと思いきや、後半、彼女がしたあることがきっかけで、タイトルにもある「ちびっこ広場」にまつわる奇妙な話が実話系怪談のモチーフのごとき立ち上がり方をしてくる展開がいい。何事も起こらず一件落着かと思っていると、これまた最後の最後でクライマックスが描かれない不気味な終わり方をするという破格の構成で、怪談らしさという点では表題作よりも優れているように感じました。

ホラーというよりは、昔の恐怖小説、――現代では怪談と称した方がすんなりと入っていけるような作風に、本上まなみを彷彿とさせる美女ということで、ちょっと気になる存在の作者、機会があれば『怪談実話系 妖 書き下ろし怪談文芸競作集』の収録作も読んでみたいと思います。