今だけのあの子 / 芦沢 央

今だけのあの子 / 芦沢 央オンナの友情をミステリの技法によって活写した佳作ながら、岡部えつ女史のようなオンナおんな女の情念は弱く、どちらかというとセラピー効果を狙ったイマドキの雰囲気が心地よい一冊。しかし決して緩いわけではなく、そのミステリの技法は本物で、堪能しました。

収録作は、仲の良い親友の結婚式に呼ばれなかった主人公が、式場に潜入して復讐劇を企てる物語かと思いきや、思わぬ真相から物語は一気に極上のセラピーへと反転を見せる「届かない招待状」、交通事故で亡くなった友達の部屋にその親友と二人きりになったボーイの探偵行為が思わぬ秘密を明かしていく「帰らない理由」、ヤンママっぽいママ友の家で起こった出来事に怒り震えるカメラ女子のママが思わぬ真相を知るに至り、上から目線を放棄して真の友情へと目覚める「答えない子ども」、一緒に漫画家を目指していると思っていた親友に裏切られた娘っ子の慟哭「願わない少女」、嫁姑の確執に隠された心遣いを推理する「正しくない言葉」の全五編。

いずれの物語も後半にあるきっかけから語り手の思い込みが払拭され、霧が晴れたように登場人物たちの隠された気持ちが明かされるという結構を採っており、この構図の反転が語り手のみならず読者をも癒やしてしまうという趣向が素晴らしい。この後半に用意されたどんでん返しをより効果的に見せるため、本作では特に前半で人間心理の醜さ、ネチっこさなど後ろ向きな感情をイッパイにブチまけているところに注目で、そうした本作の構成を見事に活かした一編が冒頭を飾る「届かない招待状」でしょうか。

自分が結婚したときにはチャンと招待状を送ったし、みんなで歓迎してくれたのに、なんで私一人にだけ親友のあの子は招待状を送ってくれないのよッ、――という、考えるに相当イヤーな展開で幕を明けるのですが、中盤では、この親友と旦那との隠微な関係が仄めかされ、物語は何やらヒロインの復讐劇へと転じるのかとドキドキしていると、物語は現在進行形で描かれた結婚式のシーンから一転、語り手が眼にしたあることをきっかけに、彼女がずっと知ることのなかった驚くべき事実が明かされていきます。そこから親友の優しい心遣いや戸惑いといった複雑な心境と、彼女が口にした言葉の真意が一気に繙かれていくという後半の展開が心地よい。語り手の独りよがりな推理は、痛烈な事実を突きつけられることで瞬時に打ち砕かれ、そこから彼女の癒やしへと傾斜していく展開がイマドキの本読み女子であれば大満足すること請け合いという一編でしょう(いや、褒め殺しではなく、本編はマジメに素晴らしいです(爆))。

「届かない招待状」が、後ろ向きの感情を払拭するセラピー効果を狙ったものだとすれば、続く「帰らない理由」は少しばかり癒やしの技巧が異なります。交通事故で亡くなった娘っ子の家を訪ねていった彼女の親友とボーイだったが、どうやら親友の娘っ子は何か企んでいるらしい。しきりに亡くなった娘の日記を読んでくれとせがんでくるママがちょっとキ印入っていて鬼気迫るものがあるのですが、そうした居心地の悪さの中で、ボーイが”探偵”となって娘っ子の企みを推理していくという展開は、コロシはナシというイマドキのオーソドックスなミステリではよく見られるものながら、本作では娘っ子が隠していた秘密の真相が明かされたあと、”探偵”がその地位を追われ、”犯人”として哀しい事実を自覚させらる構図の反転が秀逸です。語り手である”探偵”は「状況を分析する余裕」があり、「部外者」であるからこそ”探偵”たりえたわけですが、そうした”探偵”としての必要条件を満たしているからこそ、親友だった二人の娘っ子の反目の真相を見抜くことできたともいえる。しかそうした探偵的資格は同時に彼自身がひた隠しにていた”犯行”の空しさをより際だたせるものにもなっており、”探偵”でありながら、ある真相をさかんに隠そうとしていた”犯人”でもあるという彼の内心は、しかし決して癒やされることなく、物語は静かに幕を閉じます。

「答えない子ども」は、過保護ギリギリという神経質すぎるママが語り手の物語。こうしたひとつ間違えれば狂気にも流れかねない母親像は、「帰らない理由」での娘を亡くした母親にも通じるような気がするのですが、娘が描いた絵はキッチリと写真に残しておきたいという彼女は、ズボラなヤンママとの煩わしい関係に悩んでいる様子。貸していた三脚をちっとも返してくれないのに業を煮やした彼女は、娘を連れて彼女の家を訪ねるのだが、そこで自分の娘が描いた絵にヒドいことをされて、――という話。状況証拠としては、明らかにヤンママの子供が”犯人”に見えるのだが、しかし旦那は思わぬことを口にして、……というところからの反転がイイ。ここでも娘の描いた絵を巡る事件の真相が明かされ、一件落着となるのですが、同時にそこからヤンママの思わぬ心遣いを知ることになる彼女の心の変化が丁寧に描かれている幕引きも秀逸です。また本作では精妙に漫画といったモチーフや登場人物が繋がっているのですが、そうした登場人物や作品という表層的な繋がり以外にも、娘の描いた絵を記録として「残して」おきたいという本編での母親の願いが、この前の「帰らない理由」で娘を突然交通事故で失った母親と気持ちと微妙な重なりを見せているところなどにも注目でしょうか。

「願わない少女」は、語り手の「気づき」と推理によって思い込みや後ろ向きの感情が払拭され、そこから真相が立ち上ってくるという本格ミステリとしてはオーソドックスな構成によってセラピー効果をもたらしていたこれまでの作品に比較すると、やや異色作といえるかもしれません。冒頭、非常に不穏な事件が倒叙めいた手法によって描かれていくのですが、そのあと、舞台は変わってちょっと問題アリな母親を持った娘ッ子の孤独な内心と、親友を欲する飢餓感が綴られていきます。彼女は最後にひどい挫折を味わうことになるのですが、ここから物語が冒頭のシーンへと繋がっていく構成が心憎い。ここに隠された仕掛けは、「漫画」をモチーフにした「小説」だからこそ可能なもので、この仕掛けだけでも本作は大いに評価したいところであります。

「正しくない言葉」は、この前の物語で登場した人物のその後を交えた一編で、老境に入った独り身の語り手が、嫁姑のささやかな確執の謎解きを試みる、――というもの。若者から小さな子供を持った母親世代の心情までをミステリ的な技法によって細やかに描き出すことが巧みな作者ながら、まさかこうした老婆の心理までをもミステリ的な謎へと昇華させてしまうとは、……その実力、力量たるやただ者ではありません。本編では嫁姑という”関係”の確執がテーマになっていながら、その実、この謎は世代による価値観(それプラス、もう一つ大きな要素があるのですが)の相違にまで踏み込んでいかないと解くことができないもので、今までの人間心理の謎を活かした作品の集大成的な風格さえ感じさせます。

大事件こそ起きないし、かといって修羅場の予感を孕んだ物語は、日常の謎というものほどコージーな雰囲気もないしというものながら、個人的には本作の人間心理の機微に着目した謎の様態や構築方法は、同じ東京創元社から門井慶喜氏の傑作『人形の部屋』にも通じるような気がするのですが、いかがでしょう。かの作品のような衒学こそありませんが、人間こそ謎、心理のどんでん返しこそ至高といった趣味をお持ちのミステリ読みであれば、かなり満足できる一冊といえるのではないでしょうか。オススメです。