800年後に会いにいく / 河合 莞爾

800年後に会いにいく / 河合 莞爾「今年はもうこの一冊だけで十分ッ!」というくらいに大偏愛。御大ミーツ手塚治虫『火の鳥』と『ドラえもん』で、『虚無への供物』の奈々村久生も大喜び(意味不明。でも読めば判ります)という逸品で、猛烈に、最高に、堪能しました。

物語のあらすじは、うだつの上がらない大学生のボーイが街頭で妙なチラシをもらったことから、怪しい会社でアルバイトをすることに。そしてイブの夜に、ホの字だった職場の美女がイケメン野郎とランデブーする現場を目撃してしまった彼が悔しい思いで残業をしていると、パソコンが奇妙なビデオ・メッセージを受信、果たしてその動画ファイルのタイムスタンプは800年後の未来になっている。ビデオの中で私を助けてと訴える少女の正体は? そして彼女に惚れてしまったボーイは果たして800年後の未来に生きているという彼女を救うことができるのか、――という話。

あらすじをこんなふうに記してみると物語は明らかにSFなのですが、物語全体にアレ系の仕掛けがしっかりと用意されており、御大リスペクトの奇想が炸裂する本格ミステリというのが本作の正体。主人公のボーイが就職した会社の社長は、一見するといかにも突拍子もないことをペラペラと口にするだけの夢想家にしか見えないのですが、『エクサスケールの衝撃』を覗いたことがある人などは「あるあるかもねー」とこの社長の演説も首肯しながら読み進めることができるカモしれません、――というか、この社長を齊藤元章氏に脳内変換して愉しんでしまったのはナイショです。

本格ミステリ的な本作の謎をひとまず挙げるとすれば、第一に「このビデオの未来人はホンモノなのか」というのがあって、さらには「この未来人がホンモノだとしても、ではどうやってこのビデオを過去となる現在に送り届けたのか」、またそれに付随するリアルな現象として「電源コードを引っこ抜いたにもかかわらず、このウィルスに感染したパソコンが稼働していたのかなぜなのか」というのがあるのですが、本作ではひとまずそうした謎は脇において、「どうやってボーイを800年後の未来へ送り届けるのか」という奇想天外なアイディアをこねくりまわして、ついにはそれをある方法によって実際にやり遂げてしまいます。このアイディアそのものはまあ、ある種の発想の転換で考えられなくもないものなのですが、これからどうなるんだろという読者の興味を遮断するかのようにトンデモない事件を引き起こして、幻想とも現実ともつかない不可思議な情景を綴っていく中盤からの展開が最高に面白い。

ここから手塚治虫の『火の鳥』か、はたまた瀬名秀明の『デカルトの密室』か、というような奇想を炸裂させて、いくつもの「物語」が展開されていくのですが、本作が興味深いのは、中盤以降、この「主人公」の視点で書かれている「物語」を、作中世界の「現実」として受け入れてしまうと、前半で説明された奇想を「現実」のものとして受け入れなければいけなくなるという転倒した結構で、そうなると作中で「事件が解決された」かに見える「現実」はふたたびひとつの「物語」へと反転してしまう。『デカルトの密室』を現代版の『ドクラ・マグラ』として愉しんでしまった自分としては、本作におけるこうした構造がまたタマらなく面白く感じられ、さらには後半に「主人公」の視点で描かれている探偵的行為は、『虚無への供物』で奈々村久生が成し遂げようとしてできなかったアレじゃないノ? ……なんてことを考えると、なるほどこの「物語」の中で描かれる国民的災厄も、作者は『虚無への供物』のように明快な言葉で登場人物には語らせてはいないものの、すこぶるアンチ・ミステリー的な予言を孕んでいるよなァ、……と妙な感慨に浸ってしまったのでありました。

もっとも本作はそんなコ難しいことを考えなくとも、豊饒な「物語」の海に身を任せているだけで十二分に愉しめます。むしろ難解な本格ミステリの謎解きを奇想によって感動物語へと昇華させてしまう超絶技巧の作者のこと、本作で或る「登場人物」が口にする「物語の力」によって読者を感動の結末へと導くことこそが本懐であるに違いなく、読者としてはあまり余計なことは詮索せずにともかく「心」で感じるのが一番ッ!――ということになるでしょうか。

作者らしい丁寧な伏線ゆえ事件の現実的解を得るのは比較的容易で、物語全体の仕掛けを見破るのもまたそれほど難しくはありません。それでも読者を感動させてしまうのは、まさに作者の魔術的筆致の賜物で、とにかく今読んでおかないともったいない、そうしないと「現実」が「物語」に追いついてしまうから、――という意味でも、まさに2016年の「今」だからこそ必読の一冊といえるのではないでしょうか。オススメです。