ある行旅死亡人の物語 / 武田 惇志, 伊藤 亜衣

傑作。新聞記者の二人が、死亡記事で見かけた行旅死亡人たる女性の正体を突き止めていく話、――と簡単にまとめてしまえばその通りなのですが、死亡した女性の身許をハッキリ明かすものが部屋にはまったく残されておらず、かつ彼女の右手の指はすべて欠損し、部屋には北朝鮮のものと思われるペンダントなどのブツのほか、彼女じしんと夫とおぼしき人物の写真が残されていた、――という謎がふるっています。

欠損した指については前半で早くもその理由が明かされるも、彼女が勤めていた会社から身許を辿ることはかなわない。さらにくだんの女性は近所づきあいもなく、アパートの大家も彼女の正体はよく判っていない。さらに部屋の中には三千万円の現金がそのまま金庫に入って残されていたというのだけど、この大金はいったい何なのか。

記者二人は、部屋に残されていたある名字の判子を手掛かりに、彼女の親族と思しき人物に辿りつくものの、なぜくだんの女は死ぬ直前まであの部屋で隠れるように一人暮らしを続けていたのか、――そのあたりが判然としない。そして部屋にあったアルバムに残されていた、夫と思しき人物の正体も最後まで謎のまま。

彼女がまだ学生だったころの知り合いを見つけ、そこから会社勤めをし、指を欠損した事故まで辿ることができたものの、その後の足跡がはっきりせず、アパート暮らしに至るまでの過去は判然としないまま、話は終わってしまいます。北朝鮮のものと思しきバッチや、大金のことは、最後に学者の意見を聞くことで「現実的かつ散文的な意見」によって補強されてはいるものの、やはりモヤモヤした読後感が残る。

とはいえ、夫とおぼしき謎の人物の存在なども含めて、読書中、「背乗り」という言葉が 何度も頭を掠めたのは自分だけではないでしょう。北朝鮮のスパイ説については、警察や学者の意見から言下に否定されてはいるのですが、しかし――そうではないとしたら、あのペンダントは、そしてビニール袋に包まれて保存されていた韓国紙幣は、さらに彼女が設置したと思われる警報アラームはいったい何だったのか、――一般人の部屋にはまずないであろうブツが多すぎるのです。

もっともミステリと違って、すべてがハッキリと割り切れる明快な真相が用意されているはずもなく、現実というのはおしなべてこういう曖昧なものなのかもしれません。

何となくカラッとした結末で締めくくられてはいるものの、上にあげたブツのなかでは、ペンダントのみが北朝鮮スパイ説を否定するための考察がされているのみで、ほかのものについてはなぜかスルーされているところに、自分などはかえって不気味さを感じてしまうのですが、本作を読まれた方はどうなのでしょう。ちょっと興味があります。

緻密な取材によって、かなりの紆余曲折はあるものの、最後はその人物に辿りつけたという展開は、下手なミステリ顔負けの面白さゆえ、この手の「物語」が好きなミステリファンであれば、なかなか愉しめるのではないでしょうか。オススメです。