嗜殺基因 / 柏菲思

偏愛。第六回島田荘司推理小説賞で、唐嘉邦『野球倶楽部事件』(邦題: 台北野球倶楽部の殺人)とともに入選作のひとつに選ばれた傑作『強弱』の作者の手になる長編小説。『強弱』以前の作品ではあるものの、登場人物の陰影を謎―真相の結構のなかに描き出す技法や、現代の学校制度に対する作者の批評的視座など、作風は大きく異なるものの、『強弱』の原点ともいえる一作にも感じられ、堪能しました。

物語は、主人公が父の遺品の中から見つけたある写真――その女性は、香港の十大猟奇事件のひとつとされる「大紅花殺人事件」の被害者だった。父はあの未解決事件の犯人だったのか――という始まりから、一人息子を持つ母でもあるヒロインの疑念や煩悩を繊細に描きつつ、それがある悲劇へと繋がっていき……という話。

この小説、ミステリと大きくアピールしているわけでもなく、かといってホラーというわけでもない。極めてノンジャンル的な一冊ながら、強いて言えばエンタメ小説というよりは純文学に近い印象を受けました。というのも、これがミステリであれば「大紅花殺人事件」の真犯人は父ではない誰かではないか、とフーダニットを縦軸にして物語が展開されていくことを読者は期待するであろうし、またホラーであれば「大紅花殺人事件」の不気味さを前面に押し出しつつ、ヒロインである母の心理をネチっこく描き出していたはずで、本作ではそうした既定路線に阿ることなく、ヒロインの視点から父とその娘である自分、さらには母である自分から息子へと連なる邪悪な血の繋がりに対する恐れを淡々とした筆致で描いているところに注目でしょう。

ブラック・ダリア事件を彷彿とさせる、――というか胴体が真っ二つにされ、口が耳許まで切り裂かれていたり、血抜きがされていたりといったあたりはそのマンマ。未解決事件が、一枚の写真によって突然、主人公にとっては無視できないものとなり、父の過去を回想しながら、事件のピースを一つ一つ埋めていくにつれ、父がこの事件の真犯人に違いないと追いつめられていくヒロインの心情に、ここ最近の息子の不審な行動に対する不安を重ねて、物語は最後の悲劇へと進んでいきます。ここではヒロインの視点で過去と現在が語られつつ、「あること」が仄めかされながらもそれを巧みに隠して展開される構成が秀逸です。

ヒロインの「血」に対するおそれの端緒が「大紅花殺人事件」の真犯人であろう父にあることは間違いなく、かといってそれが現在進行形で語られていく息子の不穏な行動に繋がるにはもう一つの結節点が必要なはずで、これが上の「あること」であるわけですが、この事実が明かされる後半の緩急溢れる構成がとてもいい。

息子にまつわる不穏な行動の真相とともに、つかの間が安寧がもたらされたあとの静かな絶望――しかしその宿業を受け入れるヒロインの心情と幕引きは、大石圭の作品を彷彿とさせ、個人的には最高にツボでした。

また現代の教育は軍事ロボットを製造し、子供たちを兵士として戦地に送り出すようなものであり云々――という現代の学校制度に対する作者の痛烈な批評眼は、このあと本格ミステリの傑作『強弱』へと結実し、また青春小説として『孤島教室』にも引き継がれていったことが判ります。

地味ながら、『強弱』ルーツを辿るという意味でもあの作品に興味を持たれた読者であればかなり愉しめる一冊といえるのではないでしょうか。オススメです。

孤島教室 / 柏菲思