ついてくるもの / 三津田 信三

眼の調子が停滞期に入っているので、しばらくReader™ Storeで入手したものが続きます。本作は確か積読箱のいずれかに入っているはず、――なのですが、つい最近Reader™ Storeに入荷したので迷わず入手。実話怪談のフォーマットを採りながらも、三津田ミステリの読者であれば作中の怪異をどうしても推理・解釈してしまうという”罠”を凝らし、ロジックで割り切れない余剰によってさらなる恐怖を生み出すことに成功した好篇揃い。堪能しました。

収録作は、キ印女の夢屋敷に誘われる男の恐怖「夢の家」、人形に魅入られてしまった男が奈落へと落ちていくプロセスをサスペンスフルに描いた「ついてくるもの」、同居人たちの中にいる異様なものの正体とは「ルームシェアの怪」、忌まわしい絵から抜け出して怪異もたらすあやかしのものの存在「祝儀絵」、禁忌の土地に迷い込んだ子供たちの恐怖体験「八幡藪知らず」、引っ越してきた隣家の異常が怪異へと転じていく「裏の家の子供」、人体家具マニアの家で発生した人間消失「椅人のごとき座るもの」の全七編。

三津田式の恐怖小説の中ではかなり怖い一冊で、シメが「椅人のごとき座るもの」と刀城言耶シリーズであることを目次で眼にしたがために、三津田ミステリの読み手であれば、各編が恐怖小説の体裁で終わりながらも、そこにどうしてもロジックを持ち込んで現実的解を考えようとしてしまう、――しかしそれこそが作者が本作に仕掛けた最大の罠で、確かに論理をもって怪異の真相を”腑に落ちる”ものにしようとも、どうしても割り切れないいくつかの枝葉のごとき余剰があり、それがさらなる恐怖を引き起こすという企みが素晴らしい。

「夢の家」はヒョンなことから知り合った男から奇妙な夢の話を聞かされ、それをもとに怪談の体裁に書き起こしたという、実話怪談の定石にのっとった書き方がされているわけですが、夢の中で事態は悪い方悪い方へと進行していき、最後に、――というイヤな展開は、牧野修の「おもひで女」を彷彿とさせます。いったいにこの男は碌なことにならないであろうことは容易に想像することができるわけですが、最後のオチは読者が現実的解をイメージできるほどのあっけなさ。しかしこの冒頭のシンプルさに油断したのがいけなかった(爆)。

続く「ついてくるもの」は、捨てられていた人形を拾ってきたばかりに、人形に取り憑かれてヒドい目にあうという、いうなれば三津田式「わたしの人形は良い人形」。これまた定石の展開を見せるわけですが、あちらがしっかりと怪異は心霊現象として話が進んでいくのに比較すると、こちらは最後にある恐怖譚でも定番なアレなオチが唐突に明かされます。作中に描かれた人形の奇妙な現象は、冒頭の「夢の家」と同様の、狂気に根ざした怪異であることで”腑に落ちる”はずが、――それでも数々の不幸は現実のものとして了承せざるを得ず、すべての現象がさらなる恐怖を読者にもたらして幕となります。たたみかけるように不幸が続発する性急な展開が一転、狂気に根ざした真相によって人形の怪異が明かされるものの、再び混迷へと回帰していく多重構えが素晴らしい一編でしょう。

サスペンフルな展開で見せてくれるという点では、「八幡藪知らず」もなかなかのもので、じわりじわりとイヤーなものが近づいてくるという前半から、禁忌の地に入り込んだ男の子が見えない、――というか、絶対に見てはいけないものに追われるシーンが爆発する後半との緩急をつけた構成が秀逸です。怪異は収束したかに見えた最後で、意外なある人物が絡んでいたことが明かされるオチが冴えています。

人間の狂気なのか、それとも怪異なのかという揺らぎから立ち現れる怖さを存分に活かしたのが「祝儀絵」で、絵の中から抜け出してきたとしか思えない女が現実世界で色々なことをしでかす、――という怪異がミステリという枠組みの中に登場すれば、畢竟そうした人物は実在する人間であることが定石で、ミステリを読み慣れている読者であれば当然そいつは登場人物の中の誰なのか、というフーダニットの視点から本作を読み進めていくことになります。

実際、件の祝儀絵に絡めてしっかり怪しい人物が一人存在し、ほとんどの読者がそのものの仕業であることを容易に察することはできるものの、仮にその人物の仕業だとしても、ある人物の「ぺらぺら……」という奇妙な言葉が醸し出す違和感などが残り、頭の中ではミステリ的な真相に納得しつつもそれでも心はその解を拒んでいる、……という妙な読後感にもやもやすること請け合いです。

「裏の家の子供」は、隠れていたある人物が現実的な解の中で登場するという仕掛けが、「祝儀絵」に通じるものながら、結末の不気味さはこちらの方が上。人間の狂気と腑に落ちる帰結を見せても、ではその狂気はどこから来たのかと考え始めると結局、怪異の存在を疑わずにはいられない、そして腑に落ちるからこそ、そうした解の背後には怪異の操りがあるのではと考えてしまう、――こうした論理と怪異の揺らぎに身をまかせて本作の趣向を存分に楽しめるのは、三津田ミステリの読者であるからこそ味わえる”特権”ともいえるでしょう。

刀城言耶シリーズの一編となる「椅人のごとき座るもの」は、実話怪談の体裁を採ったほかの作品の中ではやや違和感を残し、乱歩趣味を爆発させながらもしっかりと現実に根ざした解が当たられるわけですが、他の収録作があまりにキているゆえ、怪異とミステリの揺らぎに悪酔いした頭をクールダウンさせるには程よい緩さ。これはこれで良かったのではないでしょうか。

ミステリかホラーと聞かれれば、ホラーよりながら、だからこそ三津田ミステリのファンは何倍も楽しめるという一冊で、恐怖度はかなり高いです。オススメでしょう。