石塚桜子展『マイルーツ』―石塚桜子・島田荘司トークショー(3)

昨日の続きです。今日は体調が優れないので少しだけ。鮮烈な赤が印象的な写真の絵は『母のポートレート』で、桜子さんのお母さんの話から、三鷹に住んでいた太宰治の話題へと移っていきます。

RICOH GXR + A12 MOUNT with YASHICA ML 24mm F2.8

 

(台湾版『透明人間の納屋』など桜子さんの絵が装幀に使われた本が展示されているところで)
島田「ノベルズ版になり、文庫版になったんですけれど、他の絵がどうしても思い浮かばなかなかったし、私も編集者も。だからまた使わせていただくことになったんですけど、もうこの絵はこの本がある限り百年は残りますね(笑い)。で、あとこの松本寛大さんの絵もね、これも良かったですね。
ええと、松本さんというのはここにいらしている柄刀さんの後輩なんだけれど、柄刀さんがね、書きなさいと励ましてくれたから私は今書いてると言ってましたけど、その彼にこういう絵があるんだけれど、どうでしょうと言って、そして向こうに送ったんですけれどね、この絵の写真を。そうして封筒からひらっと落ちてきたときにね、前から思ってた絵なんですよこれ、と言ってましたよ。だから彼は知ってたみたいね。だからこれだといいな、と思っていた一枚の絵なんですから文句がある筈がございません、と言ってました。この作品の中身にぴったり、合致してましたね。大変傑作だと思います。これは私、いただいたから……あとで凄い価値が出るんじゃないかなと思ってます。これは福ミスの切手ですね」
石塚「そうですね。限定千部、ばらのまち福山の……ばらの公園で販売された、郵政省認定の限定記念切手、でございます」
島田「そうですね。じゃあ、三階に行ってみますか」
石塚「はい」

(ここで三階に移動)
島田「今日はお母さんはいらしてない?」
石塚「残念ながら……本当、申し訳ないです」
島田「残念がってたんじゃないですか」
石塚「残念がってましたよ」
島田「すごく楽しみにしてましたですよね」
石塚「ええ。それで父が伝えるために、少しでもリアルに伝えるために参りました」
島田「ああ、そうですね。少し動画も録って見せてあげたらいいかもしれませんですね。……これはまたお母さんらしい絵ですよね。描いているときに何か思いました?」
石塚「もう、自分も今の瞬間を見つめているまなざしというか、眼だけではなくて……すべてです。すべてのそういう私を見ている……育ててくれた、何かしらそういう暖かいものをどうしたら表せるだろうと思ったときに、結果、シンプルなものになったんです。真っ白いキャンパスにコンテでちょっちょっと描いて、あと油絵の具で赤をばーっと塗って、キャンバスにそーっと白を残して、そして黄色と青のドットが入って、きわめてシンプル。今年で一番最新の絵です」
島田「これ一番新しい?」
石塚「ええ、この会場の中で一番新しいものといったらまずこれです」
島田「このお母さんがいなったら私との出会いもなかったということですからね。『透明人間の納屋』もあの表紙を得ることができなかった。やはりたいしたお母さんでしたね。お母さんが私のところのチャイムを押してくださらなければ、出会いがなかったんですからね。太宰のことにちょっと興味があって研究していると訊いたら、太宰さんの彼女が住んでいらした隣の部屋に住んでいたおばあちゃんになっている人を探り当ててくださって、引き合わせてくださった。で、この人のお話は大変ね、勉強になりましたし……。
まあ、ちょっとその話をすると、隣の部屋の太宰さんの印象というと、血を吐くゴボコボという音と、それから検印を押すさらさらという音だったとおっしゃいましたね。あのころ女性が下宿するというのはなかなか難しかったらしくて、女性が下宿できるように部屋を開放している数少ないおうちだったらしいんですけれど、そのおうちの各部屋は壁で仕切られてはいなくて、襖で仕切られていたんですよね。ですから廊下側からしか入らないようにしようねということですね。で、そちらは開けないようにしようねという約束をして、そして廊下側からだけ出入りをしていたという。
その閉まっている襖越しに(聞こえてくる)、検印を押す音とこぼこぼという音が太宰さんの印象だったというふうにおっしゃっていましたね。で、その検印というのが太宰さんと偶然、同い年の生まれの、松本清張さん。この人が現れてきて、大変な部数になっていくわけですね。だからもう、検印が押せなくなっちゃった。清張さんの時代から検印制度が廃止されて、今日的な出版形態になっていくんですね。そんなようなことを考えさせられて……これもお母さんもおかげでね、判りました。他に何かお母さんのことで言いたいこと、ありませんか?」
石塚「とにかく長生きして、私をもっともっと見守っていただきたい。その一心です」
島田「そうですね。私にもお母さん言ってましたけど、本当にもう、子離れの出来ない親でございましてと(笑い)」
石塚「まあ、まあ……いいんです。その……母は……我が道を行くでよろしいかと思います」
島田「じゃあ、ちょっと移動しましょうかね」

(会場内を移動し、『ホワイト・ゾーン』の前で)
島田「ちょっと驚いたんですが、これは非常に技巧的な……」
石塚「そうなんです。白い絵が描きたいという衝動がありまして。……そこである道具を使って描いているんですけど……。ホワイトゾーンという、雪吹雪の中、人が歩いて現れてくるような抽象的傾向の強い具象画です」
島田「なるほどね。……氷雨が降っているような感じもしますけど……あの、よく思うんですが、こうやって広い空間に掛けると存分に下がれますよね、後ろに。そのときにおおっというような発見はないんですか」
石塚「それはもう、感無量ですね。とにかく四畳半で描いてますから、距離感がなくて。母の絵も、もう描いているときに夢中だったので、こう飾ってみると案外大きい絵だったんだと思いまして、確かに窮屈な思いをしたけど、これも全部うちで描いたんですが、凄く狭いんで、下がってみて初めて、ああ……やりたかったことはどうやらできたみたいって、そういう後からの動き……心の動きに……私は結構感動しました」
島田「こうして飾ってみてね、初めて完成するようなことってありますよね」
石塚「そうですね。人に見ていただいてスタートラインを切るようなことがございまして」
島田「人からのね、思いが戻ってきて、それで完成するんですよね」
石塚「そうなんです、はい」

(続く)