石塚桜子展『マイルーツ』―石塚桜子・島田荘司トークショー(2)

昨日の続きです。本当は実際に二人が話されている絵を掲載できればベストなんですが、実物は是非とも会場でご覧いただくことにして(苦笑)、二人の話題は桜子さんの絵のモチーフから、小説家と画家の霊感へと広がっていきます。

RICOH GXR + A12 MOUNT with YASHICA ML 24mm F2.8

 

島田「(絵を指さして)これに関しては何かありますか」
石塚「これはですね、人間の厳しさですね、戦争を起こすような人間の残酷さとか非情さ……非情に徹しなければいけないような状況といったものを、顔で……人の顔を描きたくて描いたんですが、醜くしてはいけないと。とにかく蜜蝋というもので盛り上げながらも、端正な雰囲気で、幽玄に仕上げよう、描こうということで……鉛筆の粉を用意して、木炭を削って用意して、それでメディウムという溶き材でもってぱーっとこう、描いていったんですが、これは非常に時間がかかったんですけども、とても気に入ってまして。本当に、私のなかの幽玄というものをちょっと、描いてみました。そしたらこれがまた『透明人間の納屋』の口絵になり、そして文庫まで行きましたけども、全部口絵としてこれが残りました」
島田「そうですね。これも『透明人間の納屋』のストーリーとね、あれは北朝鮮でしたけれども、中国とかの共産党の雰囲気に通じるものがありますね。やはり時代の空気というか、そういうものが我々を出会わせたんじゃないかな、と思うときがあるんですけどね」
石塚「先生。これは大学四年生の時に描いたものなんです」
島田「そうですか。学生のときの大きな絵というのは、具象ですよね。顔がはっきり見えている、輪郭線がぴしっと出ている。こういうものが今は混在している。この違いというのは何で生じたんですかね」
石塚「画面の中で自分の思いや感情、その激しい思い、滾り……絵画でしかあり得ない、そういった思いがこう……立体的に描いてくんじゃなくてよりデッサン的にこう、陰影を使って描く人物じゃなくて、平面性の中の感情というんですか、凄い滾る感情を平面に収めるためには、規制の規約があって、それがキャンパスに現れ、そこに激しさを際立たせるには、色とテクスチャー……素材ですね。そういったものと相まってちょうど私の身体的な内面と描画するアクション……それがすべてトータルでそのときの私にぴったりこう、来たわけです。つまり何というか、スキューバーダイビングのダイバーが、こう、装着するように、サーファーがぴたーっとしたマットなスーツを着るように、その抽象的な、アブストラクティングな、オートマティズム的な絵画がちょうど私のぎりぎりの具象画としてのフィットだったんです。実にフィットしたかんじがしました」
島田「あの……小説もですね、二葉亭四迷のころから考えると、たぶん二葉亭四迷さんなんかも違う書き方をしたんでしょうけれど、最近の、松本清張さん以降の人っていうのは、眼の前を見るように、スケッチするようにして描く場合が結構多いんですよね。とても映画的、絵画的になってきていると。私なんかも描くときに大半の場面は見えるんですね。それを一生懸命、スケッチするわけです。そういうようなことは絵画はどうなんですか。たとえばこの作品……『ガスマスク』というタイトルですよね。これはガスマスクを選んだ理由っていうのは見えるんですか」
石塚「そうです。あの……本当に、ここにガスマスクがなきゃいけないっていう気がして」
島田「それは理詰めのものなんですか。それとも意味もなく……」
石塚「いえ、インスピレーションです。直感的に」
島田「ガスマスクが来るわけですね。それは……判るな……」
石塚「本当にインスピレーションとしか言いようがないです」
島田「ですよね。降りてくるのよね」
石塚「はい」
島田「私なんかも良く冗談で言うんですけれど、女の人の喧嘩なんかを書くとき、あるいは女性の秘密めいたものを書くとき……そういうときは何だか判らないから、降りてくるから一生懸命書くわけですよね。それで一晩寝るじゃないですか。それで起き上がって読んでみると、知らないことが書かれている。別世界の知らないことがそのままに書かれている。私が書いたのかしらんと思うようなときがあります。そういうのっていうのは、不思議なものですね。すぐは出来ないんですけど、何年かやっているとそれが出来るようなことが多くなってくるわけですね。常にではないんだが。
それを人は天性というのかもしれないが、天才とそうでない人がいるわけじゃないんですよね。私はそれが判るようになりましたけれど、天才のようなものが降りてくる時期がある。それからその時期がまったくない人がいるんだろうし、長く降りてきて自分のもとに捕まえておける人もいるが、あっさり手放す人もいる。この違いはどこから来るんだろうと思いますけれど、そういうことが多分あるんだろうな。絵画のこと……まあ、私は絵画は大好きだったし、美術畑の出身なんですが、画家として過ごしたことがないんでね、よくは判らないんだが、多分似たようなことはあるんだろうな、というふうに思いますね」
石塚「不思議な何かこう……何ともいえない瞬間ですね」
島田「本当に憑かれたような感じで描いているようなところがあるのかな」

島田「あの、赤や黒が最近多いですよね。そういう色彩を選ぶっていうのもその、強制されるような……」
石塚「はい、自分のこれしかないっていうものがやっぱりあるんです。そういうことがありまして、それで描くんですよ……何て言ったらいいんだろう……自分自身をコントロールして、冷静さと客観性というところにインスピレーションが降りてきて、客観性と主観性の中にそれをトライアングルのように合わせてこそ表現ができるので……短期集中なんですね。描くときは。本当によく睡眠を取って、これだって思った瞬間に短期に集中して描く。そうすると絵の具全体がぎらぎらして、そして油絵の具ですから乾き待ちの時間があって、それでまたそうして描いた絵のインスピレーションはどうなんだろうと見つめ直して、その乾いた段階でようしって言ってまた次の一手が入って、完成までに導いていくわけですが……すごい短期集中で、しかも全面に手を入れて、油絵の具だからこその待ち時間にふんばって待つという。その段階でこうしたいんだ、こうしたいんだという思いを常に覚えておかないと忘れてしまうので、その構成しながら、乾燥させながら進めていきます」
島田「そうだな。はき出さないと忘れてしまうという感覚はありますよね。小説ではよくあるんですね、それがね。だから急いで書きますね。しかし絵の場合はたとえばこういうものが見えたと。そしてこうと決めたとしますよね。こういうところを塗っているときっていうのは、機械的な作業になったりしないんですか。ああいうときは何を考えているんですか」
石塚「まず無心です。ひたすら静かに自分で音楽を聴きながら……ロックを。がんがんにロックを聴きながら、お友達とも没交渉して描いているんです」
島田「そう、それね……小説家になってからね、失われたもののひとつなんですね。私も武蔵美だったものだから、イラストを描くことがありました。絵というのは音楽ががんがん聴けるんですね。徹夜して絵を描くのは愉しい。で、そのときに音楽を聴くのが最高に愉しいんですよね。でも小説家になったらそれが駄目になっちゃいました。全然音楽があったら駄目なんですね。もう無音でないといけない。ということがありました。だからあれはとっても残念だと思ったことのひとつですね。ただまあ、胡桃沢耕史さんという方のお宅にお邪魔したら、松田聖子さんとか明菜さんのポスターがさがっていて、ラジカセからがんがん松田聖子さんの歌を流しながらしていましたけどね。それはちょっと、おそらく特殊な場面なんだと思うんですね。そうそうできないですよ。やはり彼はそういうことができるというのがあったのかな、と思いますけどね。でも基本的に多くの人……柄刀さんなんかはどうですか」
(と、ここで会場にいた柄刀一先生に話を振る御大)
柄刀「ぼくは駄目ですね。インストゥルメンタルだったらまだいいけど、歌詞があったら駄目ですね」
島田「駄目ですよね。特に日本語だと意味を持っちゃうから。邪魔されちゃうんですよね」

島田「あとこの部屋にあるもので説明をしておきたいものっていうのは、何かありますか」
石塚「先生……これが私の一番古い絵……高校三年生のときに描いたうさぎちゃんです」
(会場を移動して、『うさぎ』の絵の前に)
島田「これは何か、思い出があるんですか」
石塚「これは……美大に行くためには、美大に行くためのプラクティスの絵を描かなくてはならない。そこで専門学校というところがあって、高校とは別に夜通ったんですけども、そこでは傾向と対策とか色々なものがあって、……哀しいことことなんですけど、自由で豊潤で愉しい世界なのに、窮屈なとこでみんなでイーゼルを立てて……その中で私はこれを描いたときに『あのなー、受験絵画じゃないんだよ。これじゃあうさぎだかなんだか判らないじゃないか』と言われて、そんなことはない、これは絵として、とても私にはうさぎなんだと思って反発心と満足度が非常にあった絵です。この時代は厳しかった。かなり予備校では……」
島田「え、予備校時代なんですか?」
石塚「ええ、専門学校時代に」
島田「じゃあ、美大に入る前に」
石塚「ええ、専門学校に通っていたときに。でも本当に……テーブルなんですけど、友達には椅子に座っているって言ったんですけど説明がないので、だから受験絵画としては失敗なんです。ただ、私は絵として気に入ったので、手元に取っておいたんですが……そういうことで今回の展示の中では一番古い絵です」
島田「なるほど。立体的な感じがあんまりされていないみたいな、ちょっと感じますけれど、これは面白いですよね。これは非常に異色ですね。このギャラリーの中にあって一枚だけ変わっている。これ、二階堂黎人さんところにいくんですね?」
石塚「ええ、そうです」
島田「二階堂さんが気に入ったんですか?」
石塚「ええ、そうです。うちにいらしたときに、『欲しいっ!』って言われて」
(会場笑い)
田「これ、部屋にあったんですか。そのときに。そうですか……ほかに……あとこのパイプってよく出てきますよね」
石塚「あの……社会の中にやはりこう、社会の中の暗闇……汚い部分……不浄な部分……いろんなことがあるんですが、私は配水管をモチーフにして……そこから流れ出るのは汚水です。ここからはすべての憎悪を背負った汚水が流れてくるんです。これは非常に大切なモチーフなんです」
島田「うーん……パイプというのはね……日本の都市もそうなってきたけど、ニューヨークなんかはパイプだらけなんですよね。地面の中は。あそこは蒸気を作り出して、各ビルに売っているというビジネスがある。だから日本よりもパイプの数は多いんですよね。うん、しかもそのニューヨークを歩いていて思うことは、とてつもない百階建てのビルがものすごく古くなっているんです。ですからノスタルジーが非常に古びてしまってね、何かこう、眩暈を起こすような感じがありますね。とてつもない未来がとんでもなく古びてしまっている。そういうふうに存在している。失見当識が起こるようなね、独特の感じ……shabbyというのかな、英語で言うと……ああいうようなものが、それも雲突く摩天楼として存在しているというね。地下を見るとパイプだらけという。蒸気が発しているというね。誰がか言ってましたね、地面から順番に走って行くラインとかパイプの種類があるんだと。このパイプがあるから実は地下世界があって、たくさんのホームレスが地下に住み着いているんだと。それはパイプが暖かいからだと。むしろ東京よりね、ニューヨークを感じたりしましたけどね、私は」

島田「ほかにエポックメイキングなものは何かありますか」
石塚「あとは本当にもうスナップ写真的な絵が多いものですから、ここは」
島田「えっと、この上にも……あるんですよね」
石塚「大作が……大きな作品が」
島田「ではそこに行って続きをやってもいいのかな」
(会場内を移動)

(続く)