先日のリベンジも兼ねて、昨日、代々木VILLAGE by kurkkuで開催されている藤原新也 写真展「夢つづれ」を観てきました。会場は、喫煙所で従業員たちの吸っている莨の煙がサボテン庭園にムワッと漂う代々木VILLAGEの二階。入口を入って左側に細長く広がる壁面へずらりと掲げられたプリントは、予想に反してかなり小ぶり。ストロボを用いて”場”を構築した作風はかなり異色ながら、一閃によってむせぶような密林の闇に浮かびあがるキモノの艶やかさは、これが藤原写真であることを物語っています。
しかし……うーん……何でしょう。噎ぶような密林になまめかしい女体の肌、眼に痛いほどに艶やかなキモノの原色の饒舌さと、そのすべてが藤原氏の他の作品に通じる”らしさ”ながら、なぜか氏の写真っぽくないと感じられるのはどういうことなのか……。たとえばストロボと自然光と違いはあれど、女体の白さや、そこからにおいたつなまめかしさは『花音女』や『千年少女』にも見られた氏の作風そのものだし、見るものの眼を貫くようなキモノの派手な色使いなどもまた『バリの雫』にも通じる東洋的な彩色にもかかわらず、どこか藤原氏の写真ではないような、――そんな奇妙な違和感を最後まで拭うことができませんでした。
この違和感の所以について、帰りの道すがらずっと考えていたのですが、会場は外光が射し込む明るめのセッティングとなっていて、これかな……と。ストロボ写真なので、畢竟、写真はコントラストが高い、はっきりとした画になるわけですが、藤原氏の写真にしては今回展示されていたプリントは珍しく、黒の緻密なトーンが感じられませんでした。黒はあくまで黒く、べた塗りしたような風合いで、たとえば『全東洋写真』にゴッソリ収録されているような、夕闇のなかにほの見える人影や、その風景を包んでいる微細な黒のトーンといったものが、今回のプリントでは見ることができなかったのが悔しいというか。もっと会場が薄暗いところであれば、眼の悪い自分のような人間でも、プリントの微細なトーンを愉しむことができたかも、と思うと何ともいえない複雑な気持ちに沈んでしまいます。
とはいえ、こうした黒のトーンだけでなく、今回のプリントでは黒以外の色もいくつかベッタリとつぶれていた箇所が(自分には)散見されたのも事実で、会場を入って左側の真ん中にあたりに掲げられていた、――モデルがこちらに背中を向けて佇み、その横に乱れたキモノを並べた構図の一枚では、左側に配置されたキモノの緑や赤がベッタリと潰れていたように”見えました”。何というか、一昔前のカラープリンターで印刷したようなかんじとでもいえばいいか、――とここで、今回の個展についていろいろとネットで情報をあさってみたのですが、ポジからインターネガを起こして銀塩プリントするというやや特殊な技法によって仕上げたものであるとのこと。もしかしたら自分が感じた違和感の所以というのはこのプリントの技法の違いにあったのかもしれません。
つい先日、『「With the Wind」 Scott Tsumura 写真展 @ヨドバシフォトギャラリー INSTANCE』で、現代のカラープリント技法を駆使した素晴らしい展示を見たあとだったので、今回のレトロっぽい(?)プリントに眼が慣れていなかったのか、いずれにしろ何ともしっくりこない感想となってしまいました。やはり自分としては、藤原氏の写真は、新しいものであっても古いものであっても、そのプリントはビンテージではなく、『書行無常』展のように、最新鋭の技術を駆使したでっかいやつを観みてみたいナ、……と感じた次第です。