芸術ミステリならぬ、日本語に内在するアジャパーな昭和センスをつきつめて芸術にまで高めてしまった超絶小説。物語の構図はもとより行間に鏤められた仕掛けに到るまで高尚にして堂々たる風格を感じさせる氏の本格ミステリではありますが、さりげなく昭和的なギャグセンスを添えたおかしさは、ファンにはお馴染みでしょう。
収録作は、平凡男の聞き間違いが日常を笑うべき幻想へと転じていく過程がスリリングに描かれた「漢(おとこ)は黙って勘違い」、ボンクラの自称カリスマ日本語教師がアレすぎる偏見と、ガイジン生徒とのトンチンカンなやりとりが苦笑を誘う「ビバ日本語!」、辛辣な評論家センセイが敬愛する小説家から借り受けたワープロによってキ印へと変じていく「鬼八先生のワープロ」、パンピーを見下したマスコミ野郎の虫酸が走る言説を嘲笑する小話かと思いきや、意想外なドタバタ路線へと爆発していく「情緒過多涙腺刺激性言説免疫不全症候群」の全四編。
「漢(おとこ)は黙って勘違い」は、タイトルに「漢」とある通りに、主人公である”男”が”漢”字の聞き間違いを繰り返した挙げ句、町中がトンデモないことになって、――というドタバタ話。話の展開はある意味、最後を飾る「情緒過多涙腺刺激性言説免疫不全症候群」でケナされている「定番」をトレースした趣で流れていくものの、要所要所に凝らされた同音異義語の聞き間違いの質感が半端ないところがキモ。よくまあこれだけ考えたなあ、――その偏執ぶりとこれを一編のギャグ話へと昇華させてしまう技巧は、クラニーを双璧とする「ごくろうさま」系(爆)。
続く「ビバ日本語!」もまた日本語の特性を逆手にとったネタが、特に後半、大々的にブチこまれているのですが、ボンクラなのに自信満々というアレすぎる語り手をユーモアによって嘲笑してみせる批評眼は、「情緒過多涙腺刺激性言説免疫不全症候群」と並ぶ激しさで見せてくれます。
個人的に一番ツボだったのが「鬼八先生のワープロ」で、昭和的ギャグとともに、昭和エロスを存分に愉しめる逸品です。明日に原稿の締め切りが迫っている文芸評論家の愛用ワープロが突然壊れてしまい、そのかわりにと敬愛する文豪先生の遺品のワープロを借り受けて原稿を書くことになるのだが、――という話。そもそもこの文芸評論家が、かつては「時代遅れの文学青年として暗い青春時代を送ったあと、文芸評論家として」デビューしたという生い立ちから痛い。さらに彼が普通のキータイプを採らずに親指シフトならぬ「山田シフト」という「伝説の」タイプ方式を使っているという偏屈ぶりなど、前振りのキャラ紹介だけでも十分に笑えてしまったりするのですが、山田シフトのワープロを使い出したところからが本番です。
このワープロのもとの持ち主というのが、鬼六ならぬ鬼八先生、――というところからこの作家がどんな作品をものにしていたのか、おおよその察しはついてしまうのですが、辛辣な文芸批評がキワモノめいたエロ文へと転じていく技芸は、さながらアブサンを飲み過ぎで前後不覚に陥った深水氏に、赤塚不二夫とレーモン・ルーセルが同時に憑依して書かせた、――としかいいようのない素晴らしさ。正直、キワモノマニアであれば本作はこの「鬼八先生のワープロ」だけでもう買う価値アリ、です。さりげなく『フィネガンズ・ウェイク』や『失われた時を求めて』、「ヴァレリーの精神の置換システム」など、いかにも高尚な文芸作品の名前や言葉を羅列しながら、それを主人公の文芸評論家の言説としてしまうことで、コ難しそうな内容をズラリズラリと並べた文章ってカッコイイ!とする昨今の文壇の風潮を嘲笑してみせる批判的精神も素晴らしい。鬼八マジックによって超絶なエロ文へと見事なメタモルフォーゼを遂げた文章も素晴らしいのですが、この主人公によって文芸時評の中でやり玉にあげられる作家と小説の内容も相当にアレ(爆)。
最後を飾る「情緒過多涙腺刺激性言説免疫不全症候群」は、言葉というよりは、マスコミや世間のアレ過ぎる風潮に対する批判精神が爆発した一編で、マスコミ野郎を疎んじる登場人物の視点からコイツを嘲笑しながら進んでいく展開と思っていると、意想外な反転を見せて、ブラックすぎる奈落へと暴走していく後半がかなりエグい。前半の清水義範を思わせる軽さとバカバカしさから一転して筒井康隆を彷彿とさせる黒さで幕を閉じる本作ですが、全体として見えてくるのは、その濃密な昭和ギャグセンスたちのぼる赤塚不二夫的センスでありまして、本格ミステリの超絶技巧とはまた違ったゲージツ的才能を爆発させた本作、若者はもちろん、自分のようなロートルでも十二分に愉しめるのではないでしょうか。オススメです。