小さな異邦人 / 連城三紀彦

小さな異邦人 / 連城 三紀彦傑作。ジャケ帯に『恋愛小説の名手にしてミステリーの鬼才から最後の贈り物』とあるとおり、作者の最後の作品となった本作、十八番の誘拐ものとなる表題作をはじめ、壮絶な技巧を凝らした逸品揃いで、堪能しました。本作の評価とレビューはすでにあちこちで語り尽くされているかと思うのですが、一応自分も簡単ながら感想をまとめておきたいと思います。

収録作は、別れた妻に似た女の後ろ姿を町中で見かけたのをきっかけに男と女のスリリングがやりとりが密かに進行していく「指飾り」、無人駅に降り立った謎女の行動を綴りながら、事件の予兆を繙いていく結構に作者ならではの技巧を凝らしまくった「無人駅」、交換殺人をモチーフに、事件の背後に見え隠れする人間の狂気を不気味に描き出した「蘭が枯れるまで」、夢か幻想か、はたまた現実か曖昧なまま心象風景めいた内容が綴られていくなか、伏線回収の手際と不気味さが収録品中、もっとも際だった一編「冬薔薇」。

社内でヒドい言われようの男と、その噂の出自を巡るミステリかと思いきや意想外な真相へと収斂していく手際が見事な「風の誤算」、過去の事件と現在進行形のいじめが重なりあい、連城ミステリの真骨頂ともいえる殺人の真相が素晴らしい「白雨」、鉄っちゃんと鉄女との不倫劇に、不気味女の振る舞いを端緒とする日常の謎を凝らした「さい涯てまで」、被害者不在のまま進行していく奇妙な誘拐劇の顛末と真相「小さな異邦人」の全八編。

冒頭を飾る「指飾り」は、「恋文」直後のミステリ読みであれば、「こんなのミステリじゃねえッ!」とダメ出しをしてしまう一編ではないかと推察されるものの、現代本格に慣れ親しんだ読者であれば、結末に至るまでに繰り出されるささやかな真相の暴露と転調の数々から十二分にミステリとしても愉しめるであろう佳作です。冒頭、別れた妻とおぼしき人物の後ろ姿を見かける主人公、――というあたりに『暗色コメディ』を思い浮かべてしまうのですが、こちらは不穏な動きもなく、淡々と恋愛小説らしく進んでいきます。とはいえ、そこは連城小説ですから、主人公の男と部下の女性との駆け引きめいたやりとりと、その背後に隠された真意を巡って進行していく物語は相当にスリリング。実際に見えている外景の向こうに隠された人間心理のせめぎ合いが相当にハゲしいという、まさに連城ワールドを見せつけてくれます。

「無人駅」は、駅に降り立った女のちょっとした行動に隠されたささやかな違和感を繙いていきながら、何かが起こりつつ不穏な空気をネットリと描き出していく逸品で、事件はすでに起こってしまったのか、それともこれから起ころうとしているのか、語り手の属性と語りの時間軸を宙づりにしたまま進んでいく結構がとにかく素晴らしい。強度の誤導を凝らして、これから起こるであろう事件と女の行動を重ねていく手法によって、隠されていた事柄が一気に明かされていく後半が素晴らしい。

「蘭が枯れるまで」から、「風の誤算」までの三編は、幻想ミステリか、はたまたホラーかといわれるような不穏にして不気味な雰囲気が見事なのですが、「蘭が枯れるまで」は、起きてしまった事件を振り返るかたちで、そこにいたるまでの経緯を繙いていくなか、奇妙な捻れが生じていく後半の展開が凄い。まさに連城小説ならではの、語り手の視点から見ていた世界が歪み、瓦解していく後半は正直、ホラー。この雰囲気はかなーり『暗色コメディ』っぽいです。

続く「冬薔薇」はもっと混沌としていて、夢から覚めた語り手が目にした情景が綴られていく中で、時間軸が不気味なずれを起こして、事件の発生に近づいていく結構が怖い。「蘭が枯れるまで」と一読すると事件までの流れのベクトルが逆向きになっている印象があるのですが、過去と未来が夢から覚めた曖昧な意識の中で混沌としていく筆致は、まさに連城ミステリ。

「風の誤算」は、恋愛ともミステリとも無縁な外観を装いつつも、社内に広まっている噂の出自を辿っていくと、――という一見すると判りやすい謎をにおわせつつ、やがてリアルな事件と噂の人物が不気味な連関を見せていきます。この事件の謎が本丸かと思っていると、噂に関して斜め上をいく捻れた真相を開示して不気味幕引きとなるところがちょっとホラー。そして「蘭が枯れるまで」「冬薔薇」「風の誤算」と不穏な作品をずらりとまとめて真ん中に並べてみせた編纂がイイ。

「白雨」は一転して、多くの読者が期待しているであろう、連城ミステリならではの構図の反転を見せつけてくれる壮絶な作品で、娘が受けている陰湿ないじめ事件と、母親の視点から繙かれていく過去の殺人事件との重ね方がうまい。事件の謎を中心に据えた本格ミステリの結構としては、当然、過去の事件に添えられた様々な事柄が読者の関心になるわけで、いじめについては風景描写と同列の、――事件とは関連のないものとして視界から退けられてしまうはずが、いじめ事件の真相と、過去の事件がいま解明される必然とが意外な形を伴って重なります。しかしこの話、最後にある人物の手記によって過去の事件の真相が語られる幕引きの「その後」がとてもとても気になります。そしてこの母娘の関係と仕掛けにやはり、連城ミステリのある長編を想起してしまうのでした。

「さい涯てまで」は、「指飾り」の雰囲気が似た”恋愛”小説ながら、やはり恋愛だけで片付けることのできない謎に満ちた雰囲気がいい。本職の鉄っちゃんが妻と不仲で、職場のオンナと不倫して、――と、ありがちな展開の中に、自分たちの逢瀬を知っているとおぼしき女の奇妙な行動を謎として物語を牽引していく結構が秀逸です。

そして最後の最期を飾る「小さな異邦人」は、短編ながら誰もが唸るであろう、誘拐ミステリの傑作で、大家族のもとにかかってきた奇妙な電話を端緒とした誘拐事件へと発展するはずが、なかの子供の誰も誘拐されていないという、被害者不在のまま奇妙な電話が繰り返されるという謎の様態が素晴らしい。とはいえ、伏線が意外とアッサリと明かされているため、実をいうと、真相はこれでは……と勘ぐっていたその通りだったのですが(爆)、本作でも語り手は明らかながら、語られている時間軸や誰に向けて語っているのかが不明なまま事件の進行が語られていく技巧は、「無人駅」にも通じる見事さで、まさに最後の最期を飾るにふさわしい傑作といえるでしょう。

これが最期かと思うと本当に寂しい気持ちでイッパイなのですが、この作品をきっかけに連城ミステリの過去作、――それもミステリ読みの間では認知度は低いものの、個人的には偏愛している作品の数々が再版されればと期待している次第です。初心者に作者の最期の作品をオススメするというのは定石からは外れるものの、本作であればミステリにおける恋愛、恋愛小説におけるミステリはどうあるべきかを知る上でも最高の一冊となりえるし、何より短編にもかかわらず、一編一編が長編級の重みと読み応えがあるという点でも安心してビギナーにオススメできるのではないでしょうか。