羆 / 吉村昭

羆 / 吉村 昭動物の魔力に取り憑かれたネクラ男たちの哀歌をおさめた短編集。バッドエンドばかりながら、すべてを喪失した負け組野郎の再生を予感させる作品もあったりとなかなか読み応えのある一冊でした。

収録作は、かわいい小熊のころから育て上げた羆に妻を惨殺された男の復讐と執念「羆」、蘭鋳の飼育に取り憑かれた男の喪失と隠微な悦楽を不気味に描いた「蘭鋳」、軍鶏の戦いを通じて敗者の再生と挫折を冷たい筆致で魅せる「軍鶏」、鳩胸女とのセックスに興じるネクラ男の奈落劇「鳩」、ハタハタの来襲に備える漁師村の狂騒「ハタハタ」の全五編。

「羆」は人生の悲惨を淡々とした筆致で描きつつ、最後に無常観溢れるラストでしめくくったまさに作者らしい風格漂う一編で、タイトルからして壮絶な名作『羆嵐』をイメージしてしまうのですが、あそこまでスプラッターな描写はありません。羆の怖さよりも、むしろ主人公の熊撃ちの心情を丁寧にネチっこく描いた展開です。子供のころ可愛がっていた羆がやがて大きくなると、非モテ男だった主人公がようやく手に入れた妻を惨殺、――という鬱すぎる展開が相当にアレですが、かつて可愛がっていた羆に復讐するべく恐るべき執念でかの敵を追いかけていく男の悲哀が素晴らしい。そして復讐を果たしたあとの無常観、――『羆嵐』とはまた違った読後感は収録作の中ではしかし一番キモチいいです、……というか、他のがあまりにアレ過ぎるわけですが。

続く「蘭鋳」は、蘭鋳の飼育に入れ込むあまり身を持ち崩していく野郎の奈落行が淡々と描かれていくわけですが、非モテ男が結婚にこぎ着けたもののやはり例によってヒドいことになるという期待通りの展開が心地よい(爆)。収録作の中ではもっとも隠微な性をねっとりと描いた一編で、最後を敢えて語らない結末はホラーといってもいいのではないでしょうか。

「軍鶏」は、「蘭鋳」と似ていて家族に軍鶏へ入れ込んだものがいて、その血は争えずとばかりに主人公もやがて軍鶏の飼育にのめり込んでいき、――という話。ここでも師匠となる男の娘に恋慕ならぬネクラ男ならではの暗い欲情を抱いているのがキモで、恋の破滅をきっかけとしてますます飼育にのめり込み、奈落へと落ちていく後半の展開がキモ心地よい。壮絶な軍鶏の戦いは相当に熱く、収録作の中では一番熱の感じられるシーンではないでしょうか。もちろんここでも敗者と奈落の結末が待ち構えているわけですが、不思議と鬱な感じはしませんでした。何となくこれとこの作品に続く「鳩」の主人公は奈落の底から這い上がってこれるような気がします。

「鳩」も「蘭鋳」や「軍鶏」と同様、こちらは鳩の飼育と競技に入れ込んだ男の物語ながら、一応鳩オタクのセフレがいるところが「蘭鋳」や「軍鶏」の主人公とは異なるところ。女も鳩の競技に入れ込んでいて、いうなれば二人はライバルともいえるわけですが、競技が終わったあとはしっかりと青カンをカマしてリア充を謳歌している、――とはいえ、女から弟を紹介されるにいたって、崩壊の足音がヒタヒタと背後からやってくる中盤以降の展開は相当にイヤーな感じ。一応主人公はリア充のボンボン、――といっても、親父が残した遺産を鳩の飼育に注ぎ込んでいるだけの穀潰しで、おまけに出戻りの母親と姉との三人暮らしの均衡があるきっかけによって崩れていき、突然の破局が訪れるというお馴染みの展開が爆発。鳩競技の敗残から、鳩の亡骸を求めてプチ旅行をする情景は美しくあるものの、その後に待っていた展開の奈落ぶの変調が凄まじい。しかし最後の一行から、この主人公はきっとまた這い上がってくるんじゃないかと期待させるラストが美しいです。

「ハタハタ」も相当にヒドい話で、ハタハタの豊漁を待ち受ける漁村が舞台なのですが、荒くれ海に乗り出した漁師たちが事故に遭ってからの展開が相当に鬱。主人公の少年の父も祖父も行方不明となると時を同じくして、ハタハタがやってくると、行方不明の漁師たちを案じながらも、ハタハタで大儲けしたい村人たちのゲスい心の交錯が間接的に淡々と描かれる展開も辛ければ、漁が認められたあとの村人の豹変ぶりも凄まじくアレ。とにかく人間不信に陥ること請け合いという一編ながら、主人公家族の未来は最後の一行から何となーくですか明るいものになりそうな予感を醸し出しているのが物語を救っています。

全般的には相当に鬱っぽい小説で、爽快感も癒やしもヘッタクレもない物語ながら、怖い物見たさで挑むのであれば、心地よい鬱感を味わえる逸品といえるのではないでしょうか。特別な嗜好を持つ方のみにオススメ、ということで。