マゾ女にノーマル男、ネコとタチなど様々な性的嗜好の登場人物たちによって悲哀溢れる物語を展開させてきた大石氏の新作は、ニューハーフ。男と男というカップルゆえ、どちらにも感情移入できずにアンマリ愉しめないんじゃないかな、と読み始まる前は感じていたのですがまったく杞憂で、近作としてはまれに見るド直球の「絶望的なハッピーエンド」で昔からのファンを大満足させてくれる逸品でありました。
物語は、ニューハーフの茉莉花と”彼女”の恋人である健太が結婚式を挙げるため成田からバリ島へと向かうのだが、そこで待っていたものは、……という話。健太と茉莉花二人の視点を交互に描き出すことで、二人の心の奥にある戸惑いと決意をジックリと描き出していくという大石技法は本作でもシッカリと活かさせており、特に過去の逸話においては、性同一性障害という暗い過去を持つ茉莉花がフツーの少年からニューハーフへと変化・成長していくプロセスを描くとともに、冒頭でさりげなく言及されているニューハーフ仲間の人物にさりげなくスポットライトを当てているところなど、後半の悲劇的展開へといたる伏線を凝らしているところも抜かりなし。
茉莉花の過去にかなりの比重をおいて、物語はどちらかというと”彼女”の戸惑いや決意を中心に展開されていくのですが、前半はバリ島で楽しいひとときを過ごす二人のマッタリとした様子がやや冗長に描かれてい、中でも「トッケー」のネタを使い回して、大石式サンプリングが活用されているところなどは、俄ファンであれば「マンネリ」と揶揄するところでしょうが、自分のような初期作からのファンであれば、ここは思わずニンマリするところでしょう。
式が始まるまでずーっとこんなカンジで二人のマッタリな感じとやや悲壮な茉莉花の過去が平行して語られていくだけなのかな、と思っていると中盤に入ってからはある人物の登場によって、物語は突然破滅的な香りを帯びてきます。ハッピーエンドの前に一悶着あって、……というのは、朝ドラ昼ドラなどにも見られる定石ですが、本作におけるこの人物の登場もそうしたラストへと布石かなと思っていると、この人物の登場とは対照的にまたまた意想外な人物が現れて式はすっかり和んだ雰囲気に。
このまま何の波乱もなく終わるのかな、と……と油断していると、出ましたッ!(爆) 茉莉花の視点から、これからの幸せな未来を確信していた読者はここである人物の語りによって、”彼女”のあずかり知らぬところで進められていたある悲劇が明らかにされます。本作の悲劇性をより高めているのは、この真相が明かされたあと、物語の語りがついに茉莉花へと渡されないまま幕を閉じるところで、この結構がまさに大石小説ならではの「絶望的なハッピーエンド」の色合いを濃厚にしていると思うのですが、いかがでしょう。「ハッピーエンド」といっても、この幕引きにおいて、正直茉莉花はハッピーと感じられるのかどうか、……彼女にとっての幸福は、ある人物の登場によって絶望の淵へと突き落とされた瞬間から和解を経て、結婚式が終わるまでのホンのひとときに過ぎなかったのではないか、――ほとんどの読者がそう感じてしまうであろう極上の悲劇的な結末は、まさに大石氏の悪魔主義が炸裂した一冊ということができるでしょう。
ややネタバレになるので軽く文字反転しておきますが、本作において、不幸を引き起こすのはアウトサイダーである茉莉花であり、健太は常にそうした不幸の発火点となりえる”彼女”を庇護する存在として描かれています。そんな前提を確信させるように、物語の後半、ある人物の登場によって、式直前の幸せ気分をブチ壊しにされた二人が口喧嘩をするシーンがあるのですが、ここでは茉莉花の視点から、健太がある一言を口にするシーンが心憎い。彼の台詞を引用すると、
「不幸になりたいわけじゃないけど……茉莉花が隣にいてくれるなら、不幸になってもいいよ……不幸な時でも、君にそばにいてもらいたいんだ」
不幸であることを受け入れつつも、不幸になっても「茉莉花には隣にいて」ほしいと願う健太の言葉、――まさに大石小説ならではの「絶望的なハッピーエンド」を象徴する台詞ともいえるわけですが、幕引き直前に明かされるある悲劇は、健太が茉莉花と一緒にいることができない未来を予感させています。この悲劇性は、初期の『アンダー・ユア・ベッド 』や『オールド・ボーイ』と大きく異なるところでしょう。
またこうした事件を引き金とした幸福の崩壊は『奴隷契約』でも描かれているわけですが、『奴隷契約』におけるそれが、SMという主従関係が事件によって終焉を迎えるその帰結として描かれていたのに比較すると、本作では、事件そのものが強制的に二人の仲を分かつという古典小説にも通じる普遍性を「絶望的なハッピーエンド」へと昇華させている点も注目でしょう。
ニューハーフゆえか、肛虐に口虐のみとエロ・シーンは控えめではあるものの、その点、今回はエロ・シーンによって登場人物たちの心の深奥を描き出すというここ最近では定番化した大石小説の技巧は後退し、むしろ過去の逸話を重奏させていくことで心の惑いを描き出していくという、――これまた古典小説に近い技法が用いられています。前半の幸せ気分をブチ壊す後半の転調から、幸せの絶頂を垣間見せ、そこから奈落へと突き落とす凄まじき展開はまさに神。いかんせんニューハーフということで、どうにも感情移入が難しいのではと感じていた本作ですが、読み終えてみれば、茉莉花の今後を考えるにつけ何とも哀しい気持ちに落ち込んでしまうのでありました。
近作長編では、珍しくフツーに嬉しいハッピーエンドでまとめた『わたしには鞭の跡がよく似合う』に続く作品がコレですから、マッタク大石氏は油断がなりません。個人的には『わたしには鞭の跡がよく似合う』のハッピーエンドは嫌いではない、否、――むしろああいう明るいエロもウエルカムだったりするわけですが、そうした気持ちはある種の甘えであったことを思い知らされた次第です(爆)。大石圭といえば奈落と絶望、というダウナー系を所望の読者であれば、本作はかなり愉しめるのではないでしょうか。