花祀り / 花房観音

花祀り / 花房観音第一回団鬼六賞大賞受賞作。噂には聞いていたものの何となく読む機会を逸していた花房観音女史の作品ですが、つい先日、岡部えつ女史の短編目当てで購入した官能アンソロジー『果てる 性愛小説アンソロジー 』に収録されていた作品が思いのほか素晴らしかったので、だったらまずは処女作から、ということでこちらを読んでみた次第です。

収録作は、老舗和菓子屋の主人によって処女を奪われた過去を持つヒロインが、結婚間近の娘っ子に複雑な感情を抱きつつ、淫靡な奸計を仕掛ける「花祀り」。そして「花祀り」にも登場した怪僧がとある性癖を持つにいたった経緯を絡めて、憧れの女に積年の思いをぶつける「花散らし」。

「花祀り」は、冒頭の文章からして素晴らしい。和菓子を「官能的な食べ物」として女体に重ねたこの表現によって読者は一気に物語の世界へと引き込まれてしまうわけですが、鬼六御大リスペクトの作風を継承して、貞淑な女性がとあるきっかけから淫靡な世界へと引き込まれていくのかと思っていると、どうも物語のヒロインはすでに淫乱女として完成しているご様子。和菓子教室の先生である彼女は、自分を慕う生徒に愛憎溢れる思いを抱いてい、結婚前に彼女を自分の知る淫蕩な世界へ引きずり込もうとある奸計を思いつくのだが、……という展開は、確かに鬼六風味溢れるものながら、そうした陰謀を仕掛ける主人公が男性ではなく女性、――というところから、実を言うと、性描写も含めて物語の風格は御大のものとはかなり異なります。

物語が進むにつれて、このヒロインが処女を奪われるトンデモない状況とその経緯がAVかと見まがうようなエロ描写も交えてネットリと描かれていくのですが、視点のゆらぎを交えながら描かれる性行シーンはしかしあくまで女性の視点で彼女の内心とともに描かれ、責め手となる男性側の感情に強く寄り添うことはありません。そこのところが男性読者としてはやや複雑な思いを抱いてしまうところでありまして、確かに眼の前に展開されているシーンは相当にエロいものの、どうにもコーフンできない(爆)。やがて、いよいよヒロインがかつての”師匠”ともいえる主人とタッグを組んで、件の娘っ子をエロの世界へと引き込んでいくのですが、そこに描かれる性描写もまた上にも述べた通りあくまでヒロインの視点から描かれていきます。男性視点でシーンが描かれない結構は、例えば言葉責めという官能小説では定番の技巧でも御大とは大きな違いを見せており、ヒロインが娘っ子のいやらしい体について事細かにその様子を語ってみせるさまは、言葉責めとというよりは寧ろ”実況中継”に近く、……このあたりはなんとなく男衆だとコーフンできないような気がするのですが、是非とも他の男性読者の感想を聞いてみたいものです。

性描写に関して御大とは大きくその風格を異にするとはいえ、それでも本作が紛れもなく御大の神髄・核心を継承していると思わせるのは、SとMが明確に二元化された概念ではなく、それはときとして反転し混ざり合いをみせるところでありまして、それは本作、ヒロインの輝かしき成長譚として読めことで明らかになります。本作は、上にも述べた通り、ヒロインが自分を先生と慕う娘っ子の性の暗黒面へと突き落とそうと決意するところから始まるのですが、このときのヒロインの心情は明らかにSへと傾いています。しかしこの奸計が進行していくのと平行して、彼女が壮絶な処女喪失を行うこととなった体験が相当にエロッぽい筆致で語られていくのですが、このときのヒロインは明らかにM。個々人の資質はMかSというふうに厳然と線引きされているのでない、ときとしてそれはたやすく入れ替わり、混ざり合う――。

これは例えば、鬼六御大の名作『花と蛇』の後半で、屈辱的な責めに堪えてきた静子夫人が人工授精をさせられるシーン(手許に本がないので引用はできないのですが)にも見られるもので、――この瞬間、夫人を容赦なく責め立てていた男達は夫人の快楽に奉仕する僕となっている、……こうしたSにしてM、MにしてSという転換を、「花祀り」のヒロインの成長に託して鮮やかに描き出した趣向が素晴らしい。

こうしたSにしてMという人間の資質を大いに体現した登場人物は彼女だけではなく、「花散らし」で主役を務める怪僧もまた、若いころの甘美なトラウマを抱えて、MにしてSという性的嗜好を自信の内部に育んでいます。可愛い舞子はんに口汚く罵られた記憶から捻れた情念を心の奥底にため込んだ僧侶はやがて財をなし、落ちぶれた舞子はんに復讐する絶好の機会を得るのですが、この復讐は明快なSではなく、かなり屈折しているところが溜まらなく素晴らしい(爆)。タカビーな女を奈落の底に突き落とすというのは、男性向けの官能小説では定番中の定番ともいえる展開ではあるのですが、この「花散らし」はそんな男衆のストレートな欲望に寄り添うことなく、人間の業を凝視しながら甘美な責めと被虐を重ねたネチっこいエロ・シーンへと流れていくところが秀逸で、「花散らし」がMからSへと転化し、ついにはシンプルなSMの二元論を超越した女性の華麗なる成長譚とすれば、「花散らし」の方は、主人公が男であるゆえか、その幕引きは虚無と無常を際だたせた和の極地ともいうべき美しさを湛えています。

女性の視点から描かれた官能小説ゆえに、そのあからさまな性描写にはちょっとコーフンできない自分に複雑な感想を抱いてしまうわけですが、フランス書院などとは大きく異なる変態風味は、どちらかというと団鬼六御大はもとより、宇能鴻一郎の初期の風格や、その源泉をさらに辿れば、あるいは谷崎潤一郎などに行き着くような気もします。岡部えつ女史とはまた違った官能美を見せてくれる作者の物語、かなり気に入ったのでこれから追いかけていきたいと思います。