『王とサーカス』に続く太刀洗万智シリーズの短編集。収録作は、社会ニュースとしてマスコミに取り上げられまくった会社の広報係長の足跡をホームズ的推理によって突き止めていく表題作「真実の10メートル手前」、駅での人身事故に語りの技巧を重ねて、今ドキのリアルな犯罪を明らかにする「正義感」、高校生男女二人の心中事件に隠された悲痛な真相「恋累心中」、独居老人が日記に遺した意味深な言葉の真意を探る「名を刻む死」、あの傑作『さよなら妖精』の登場人物の関係者が日本を訪れ、万智とともに”非常に単純な事件”の謎解きに挑む「ナイフを失われた思い出の中に」、水害で一命を取り留めた夫婦の事件性ゼロの出来事から、隠された心の内を炙り出す「綱渡りの成功例」の全六編。
表題作となる「真実の10メートル手前」は、マスコミを騒がせたある会社の広報係長の女性が世間の目を逃れて失踪。その足跡を万智が追いかけるのだが、――という話。失踪した女性が電話口で話した内容から、その場所と彼女が出会った人物を突き止めていく推理はホームズ的で、ほんの些細な一言から一気に「真実」へと距離を詰めていく展開が素晴らしい。いよいよ探偵が彼女の今いる場所を突きとめて、――という最後のシーンがタイトルにもなっている「真実の10メートル手前」に表されているのですが、この”真実”の意味を忖度しながらこの結末の苦さに米澤節を感じて震えてしまうこと請け合いという逸品です。
「正義感」は、冒頭ある語り手によって、駅での人身事故の状況が語られていくのですが、いかにも万智らしい人物の不審な行動をこの人物の口によって描写させる黒さが作者らしい。唐突な万智の一言によって、ごく日常的な人身事故の光景が一転するのですが、この物語は、まさにイマドキのカジュアルな犯罪模様であるからこそ、本格ミステリーとしては純粋な「倒叙もの」になりえないという点が興味深い。
「恋累心中」は、収録作の中ではもっとも構図の反転に精緻な仕掛けを凝らした傑作で、ミステリ読みであれば、心中という古風な選択をイマドキの若者が実行したという奇抜さを疑い、コロシを疑ってそのフーダニットに注力して読み進めていくかと思うのですが、事件の結末は思いのほか苦い。そして事件の真相には万智の行動そのものが大きく関わってい、二つの事件が最後に連関する結構は期待通り。若者たちが遺したメモの悲痛さとその苦しみを思うと、この事件の黒幕は万死に値するのでは、――というふうに怒りと哀しみがないまぜになった複雑な読後感に悶絶すること間違いなし、という傑作でしょう。
「名を刻む死」は、明かされる事件の様態そのものに大きな反転は見られないものの、ここでは死者が遺した意味深な言葉の意味とその真相が明かされたあと、死体の第一発見者で本作の主人公でもあるボーイの”憑きもの落とし”を万智が請け負う幕引きがイイ。
「ナイフを失われた思い出の中に」は、『さよなら妖精』へと繋がる一編で、主人公となるガイジンさんも実はもう一人の探偵として、本作では万智の心を解き明かして読者に開示するという重要な役割を担っています。当初は万智が記者であることに不信感を抱き、彼女の一言一言に「極めて程度の低い詭弁」だの「失望は隠し得ない」といっていたガイジンさんが、二人で事件の謎解きを進めていくうちに、ようやく万智のことを理解するに致るという王道の展開も心地よい。事件の構図に関しては、関係者の心のすれ違いが「非常に単純な事件のよう」なものを複雑に見せていたという真相を、ガイジンさんから見た万智に対する偏見が和解へと致る経過と重ねてみせた結構が素晴らしい。「恋累心中」と並ぶ傑作でしょう。
あとがきで作者は本作の語りの手法について言及しているのですが、これを読んで『王とサーカス』はなかなかの逸品であることは認めつつも、今一つノれなかった理由が判明しました。そんな自分も、探偵役である万智の立ち位置と描き方において、本作では大満足できた次第で、あるいは『王とサーカス』よりもコッチを先に読んでいた方が両方の作品をもっと愉しめたんじゃないかなァ……と考えてしまったのはナイショです(爆)。
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王とサーカス / 米澤 穂信