王とサーカス / 米澤 穂信

王とサーカス / 米澤 穂信内容紹介に『『さよなら妖精』の出来事から10年の時を経て、太刀洗万智は異邦でふたたび、自らの人生をも左右するような大事件に遭遇する』とあり、舞台が異国で”大事件”と言うことから、読み始める前にはかなり深刻な物語をイメージしてしまったのですが、想像していたものとは少しばかり異なりました。

物語は、フリー記者の女性が取材のためにと赴いたネパールで王族が殺されるという事件が発生。その取材を始めた矢先、人死にがあって、――という話。舞台が異国、それもアジアとあれば自分などは篠田節子のような壮大な物語をどうしても期待してしまうのですが、本作はある意味、昭和の推理小説を彷彿とさせるほどの鷹揚さで淡々と進んでいきます。

旅先のネパールの情景描写から彼女の周囲を取り巻く人物紹介が語られ、そこから突発的に王族殺害事件が発生して物語は一転、――かと思いきやさにあらず。王族と軍部が統べる閉鎖的な国家ならではの隠然たる情報統制がなされい、彼女の取材もなかなか思う通りには進みません。そこからある謎めいた存在の人物へとコンタクトを果たし、そのことがきっかけで人死にが発生すると、ここでいよいよ物語は加速度的に進んでいくのかと期待していると、――またまたそこでも大きな急転は発生せず、物語はそのまましずしずと謎解きへと入ってしまいます。

そこで存外にあっさりと明かされてしまう「犯人」は予想通りで、その動機についてもこの人物の不可解な行動からおおよその察しはついていたものだった、……と書いてしまうと本格ミステリーの謎解きとしては期待外れかと勘違いしてしまうかも知れません。しかしながら本作の見所はこの「犯人」が名指しされた後に明かされる痛烈な真相で、ここにいたって、作者が「日本人」の「記者」という属性を持つ人物を「探偵」に据えたその深意を理解して感じ入った次第です。

以下、ちょっとだけネタバレを含むので文字反転しますが、本作の「犯行」と「犯人像」そのものは凡庸で多くを語ることもありません。「犯行」の細分化によって「犯人像」を分散させる趣向なども、昭和のミステリではよく見られたものであるし、犯行の様態そのものは銃殺で大きなトリックもなく、またフーダニットの追求も特に前段の「犯人」に関してはシンプルなアリバイ検証による消去法によって犯人を突き詰めていく推理であっさりと流してしまっている。これが事件の構図に様々な趣向を凝らした傑作短編『満願』の作者の最新作なのかと眼を疑ってしまったものの、もう一人の「犯人」が明かされ、タイトルにも絡めた真の動機が明かされた瞬間、その痛烈な真相の背後に隠された作者の真の狙いに感心することしきり。なるほどなあ、確かにこれは作者の本格ミステリーだと納得しました。

本作ではやはり「記者」という、――事件の調査をしながらその真相を探るという、限りなく「探偵」とも相通じる行為を行う立場でありながら、「探偵」とも微妙に異なるその役割、――その「相似」と「差異」に着目して、主人公の煩悶を丁寧に描き出した構成が秀逸です。

当初は、王族殺害事件というミステリらしい「事件」が発生したため、本作の謎はこれかと期待して読み進めていったらまったく違って、一人の男が銃殺される”だけ”というささやかなものへと縮小してしまったため、なんだか肩すかしを食らってしまったものの、この痛烈な真相から逆算していくと、なぜ前段で王族殺害事件が描かれなければならなかったのか、そしてなぜタイトルがこの物語に描かれた事件の端緒となる「王」であり、また事件の渦中にその意味が語られる「サーカス」だったのか、――そのすべてが首肯できてしまうという心憎い演出も素晴らしいの一言。

事件を「解決」する「探偵」とは異なり、「記者」である「彼女」は、犯人の「操り」によって危うくある「犯行」に手を染めてしまいそうになるのですが、謎解きという「探偵」行為によって彼女は自らの窮地を脱し、「不作為」をもってして自らの「記者」の立ち位置に踏みとどまるという、「探偵」を主軸に据えた本格ミステリーだからこそ可能な主人公の物語の見せ方は、異国を舞台にした他のジャンルではここまで鮮烈に描き得るものではないでしょう。そしてこの趣向を現代本格の「操り」としてみれば、彼女が一介の旅行者ではなく記者という特殊な属性ゆえに、件の犯罪を誘発する端緒となってしまったという皮肉も、本作の幕引きに作者らしい苦さを添えています。

まず「記者」であり、そこから「探偵」となった主人公が、この事件の落とし前をどのようにつけてみせるのか、――彼女が下したこの答えは同時に彼女自身のその後の人生をもまた方向づけるものでもあるという幕引きも秀逸で、王族殺害事件とその顛末という大きな歴史の渦に呑み込まれ不明となってしまう事件の関係者たちのその後と、主人公との対比も心憎い。

物語全体を俯瞰すれば、現代本格らしからぬ鷹揚な展開など、やや期待とは異なる風格ながら、最後に明かされる真相と、それによって完成される物語の幕引きは『満願』の系譜に連なる大人のミステリーとして、ロートルの自分はかなり愉しめました。しかしながらド派手さの感じられないこの作風が、ヤングにはどう受け止められるのか興味のあるところです。

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