今回は香港のネットメディアである立場新聞が氏にインタビューした内容を紹介したいと思います。このインタビューが行われたのは、台湾の皇冠文化から『13.67』が刊行され、台湾の台北国際ブックフェア賞小説部門を受賞した2015年2月当時のもの。カズオ・イシグロがノーベル文学賞を受賞したことですし、この記事を今日取り上げるのはタイムリーだったカモしれません。
台北国際ブックフェア賞小説部門を受賞した後というタイミングもあって、記事ではまず受賞について陳氏の言葉を引き出しています。氏の言葉によると、国際ブックフェア賞については、「以前にも西西や董啟章といった香港の作者が候補にあがったことはある」とのことですが、いずれも受賞は逃しているとのこと。それを受賞したのが、日本で言う純文学というよりは、本格ミステリやホラーといった大衆小説として読者に受け入れられている陳氏の作品だったことに記事は注目しています。
「こうした大衆小説においてはまず娯楽性があり、そこから社会的なテーマといったものを探求する」方向へと向かっていくという陳氏は、自身の『13.67』が受賞したことについて、同時受賞した駱以軍を挙げつつ、「台湾の文壇においては純文学と大衆文学をはっきりと分けたりはしない」そうした背景があるのだろうと述べています。
続いて香港人が台湾の賞を受賞したことについて話が及び、香港の映画が台湾の金馬獎を、そして台湾人がアカデミー賞を受賞することも決して特別なことではないという記者の指摘に、陳氏は「この時代においては、国境という概念も昔と同じではない」といいます。インターネットの爆発的普及によって、グローバル化が進んだ現在、「出生地はその人がどこで生まれたかを示したものに過ぎず、どこに居住しているのか、どこで仕事をしているのか、どのような考えを持っているのかといったこととはまったく関係がない」と。
さらに「香港人がこうした賞を受賞するのは決して特別なことではない。特別なことというのは、香港人が台湾で執筆を生業にしていくことだろう」と氏はいいます。2008年に第六回台湾推理作家協会賞を受賞していらい、本格ミステリやホラーといったジャンルで活躍する陳氏ですが、台湾に移り住むこともなく、少なくとも一年に一度台湾を訪れるだけで、編集者とも会うことはない。仕事での連絡は電子メールで、――というやりかたで今まで多くの本を執筆してきたと陳氏。そして「台湾に行って初めて、ああ、(メールで色々とやりとりしていた相手は)このひとだったのか」となることがもっぱらで、「以前はまずお互いに顔を合わせて仕事を進めていた出版業界のやりかたも、インターネットの普及によって大きく変わった」と氏はいいます。
香港に住み、印税や原稿料は台湾元で受け取り、ものを買うのは香港で、――という生活。台湾の市場は香港に比較すると大きく、出版社もまた香港に較べれば多いという現実を、陳氏は砂漠に喩えます。「香港が砂漠だとすれば、台湾は砂漠の中の都市といえるかもしれない」。香港の出版社が縮小していく現状を陳氏は嘆いているといい、そうした困難はまた台湾の繁体字市場も直面していることでるあると記事は指摘しています。
「博益出版社がなくなってから、香港では翻訳小説を刊行する出版社もなくなってしまった」と陳氏はいいます。ちょっと調べてみたのですが、博益出版社というのは、1981年に設立し、2008年まで活動を続けていたようです。つまり1981年までは香港でも翻訳小説の市場はそりなりにあったということでしょう。
「博益出版社があったころは、村上春樹や赤川次郎といった作者の作品が香港で翻訳され、香港の出版社が香港人に向けて刊行していた」のに、今ではそうした翻訳小説のほとんどは台湾から輸入しているとのこと。陳氏はそうした現状を自由市場における必然的な結果と認めつつ、台湾の出版業界がひとつの流行語として述べている「出版氷河期」についても言及しています。
まずこうした出版不況の現状は、香港や台湾のみならずグローバルな現象であると述べ、かつては人々が知的探究のために本を手に取っていたのに対して、現代人は携帯電話の利便性とネットの使用料によって「ほかのにこと時間を使うことが増え、そこから自然に本を読まなくなった」と氏は指摘しています。このあたりは、以前に『台湾カルチャーミーティング2017第3回 「出版をリブートする-台湾出版文化の多様性と未来』で文芸誌『短編小説』の初代編集長・傅月庵氏が述べていた話とも通じるように感じました。
続いて、話題は香港における出版と編集のありかたへと進みます。youtubeへの投稿などによって誰もが有名になることのできるインターネットの時代に、出版社の編集者と作家との関係はどうあるべきなのか。これについて、陳氏は編集者の重要性を指摘しています。その作品の中心的なテーマを理解し、しかるべき読み手に対して、作家の持っている才能をしっかりと作品の中へと反映させることができる能力を持った優秀な編集者が香港には少ない、と氏はいいます。それには出版社の資金面での現実や、人材の不足、待遇面の問題など色々ありますが、「多くの場合、一人の編集者が、文学から美容、経済など様々な分野の仕事をこなす必要があり、一つのジャンルに専念できない」という香港の出版業界における特殊事情があるとのこと。また投資の回収という経済的側面から、一人の作家には一、二回のチャンスしか与えず、それが失敗すれば(要するにその本が売れなければ)、早々に引き上げてしまう――。
そうした点においては「台湾の方がまだ成熟しているといえるかもしれない。作家にたくさんの機会を与えてくれるから」と陳氏。そこで台湾における出版社の規模を挙げ、その分野に秀でた専門的な編集者が、作家に対してアドバイスを行うこともできるといいます。「台湾の編集者は作品の善し悪しについてはあまりこだわらず、自身の出版社の持つイメージにふさわしいかどうかによって、作品の改稿を進めることが多い」とのこと。
そうした台湾の出版業界の有り様を眺めるにつけ、香港での成功は難しいように感じらるものの、陳氏は、戒厳令下において台湾でも出版が規制されていた過去を挙げ、戒厳令が解除されてからまだ三十年間も経っていないと指摘しつつ、「いったい台湾ではどうやってこれほどの短期間で出版業界を発展させることができたのか」という問いを投げかけます(なお、台湾の戒厳令下における出版業界とその後については、上にあげた『台湾カルチャーミーティング2017第3回 「出版をリブートする-台湾出版文化の多様性と未来』の記事にも少しながら言及がありますので参照のこと)。
「それには社会の仕組みが大きく影響している」と陳氏はいいます。台湾の小中学生にとって読者は娯楽の一つとなっているけれども、読書という点においては漫画も文学も大きな区別はない。本の内容がいかに低俗であろうとも、それによって大人が子供たちに読むのをやめろと咎めることもない。「だから子供たちも文字アレルギーに陥ることなく、自然と他の作品を手に取るようになる」といいます。子供のころに低俗な本を読んでいようとも、やがて赤川次郎を手に取るようになり、そこから興味は東野圭吾へと移り、さらにもっと味わい深い文学作品を探すようになる――。
このあと陳氏は日本の現状と照らし合わせて、本を読む側の視点から香港の状況を論じているのですがこれがちょっと面白い。香港で生まれ育った陳氏は、本土の純文学と大衆文学には大きな差があるといいます。日本では、『デス・ノート』の作者である小畑健が太宰治の『人間失格』のカバーデザインを手がけたりというふうなことが普通に行われているけれども、「馬榮成の書いたイラストを董啟章の本のカバー・デザインに採用するなんてことがありえるだろうか?」と問いかけます(馬榮成は香港の漫画家。董啟章は上にも挙げた通り、純文学作家)。
記事では、純文学と大衆文学がターゲットとなる読者層は同じではないと指摘し、しかしそれは両者が一緒になって何もできないということではない、といいます。そこで日本の例を挙げて『『人間失格』のような文学作品に、漫画のカバー・デザインを採用することで、まず小中学生の読者がその作品に興味を抱き、そこからさらに物語の背景へ関心を持ってくれるようになる」と。
「だから大衆小説を書くのを辞める、なんてことは決してない」と陳氏はいい、香港にも将来、純文学と大衆文学双方の風格を持ち得た文学のかたちが現れることを願っていると続けます。個人的には『13.67』はまさにそうした作品だと思うし、この大傑作に続いて刊行された彼の新作『網内人』もまたエンタメ小説の外観を持ちつつ、深刻なテーマを扱った作品として評価できるのではないかな、と感じています。
記事の最後は、再び社会の現状について台湾との比較を行っています。仕事の面では台湾と密接な関係を保ちつつも、彼はただ闇雲に台湾が好きというわけではなく、経済、治安、また社会制度において台湾もまた多くの問題を抱えていると指摘します。そんななか、唯一、台湾が香港において優れている点は、すでに民主化されていることだという氏のコメントはかなり重い。記事でも、その点において香港の現状は決して楽観できるものではなく、だからこそ香港の若者たちは「台湾を目指している」といいます。
しかしながら「香港で執筆活動を続けることは確かに辛いことだけれども、それはどの国でも同じことだ」と陳氏。執筆業というのはある種の博打であるといい、東野圭吾が1983年に『放課後』で江戸川乱歩賞を獲得し、1999年に『秘密』で再び注目を浴びるまでの不遇時代を挙げて、「(執筆を)やめるべきか、それとも続けるべきかという判断は、小説を書くより難しい」ともいっています。
名前が知られることは何よりも重要であり、「賞を取るまでは、香港の誠品書店で自分の本を見かけることもなかった」ころから大きく前進した今も、普段の生活を変えることはないと陳氏はいいます。顔も洗わず、朝食をとる前からパソコンをたちあげて執筆を始めるスタイルを変えることはないそうで、一人で黙々と小説を書いている自分は、たいしたミステリ作家ではないと謙遜しつつ、「ストーリー・テラーであれば、それで十分に満足だ」という氏の言葉を紹介して、記事は終わっています。
次回”こそ”は、授賞式の後に行われた鼎談について取り上げたいと思っているのですが、いかんせん色々と忙しくて腰を据えてテープ起こしをする暇がないゆえ、次の記事の内容は未定、――ということで。写真撮影の合間に少しばかり撮りためた動画の整理も進めつつ、鼎談の記事に取りかかっていこうと思います。乞うご期待。
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