年末、部屋の大掃除をしていたときに積読箱の中から出てきた一冊で、確かコレ、まだtwitterをやっていた当時、「何か相当にヒドそうなので、是非是非読んでみてください」と請われて購入したブツだったような……ざっくり結論から述べますと、ミステリでも何でもなく、四十ウン年間の読書歴の中で最低の一冊を挙げるとすればコレ、というほどにヒドい劇薬でありました(大苦笑)。
話の筋は明快で、妄想癖の激しすぎる童貞ボーイが、ボランティアで見つけた女子高生に一目惚れ。数回のデートでいきなりAからCに持ち込んでその後はセックス三昧の毎日を送るも、そんな日常に何かツマンネーと飽きてしまった挙げ句、芥川賞作家になることを決意する、……という話。
文芸社からのリリースとはいえ、これがミステリ風味を効かせたあらすじでも添えられていれば、『エコの闇 テロリストの光』や『午前零時の恐怖』のように何かの間違いで手にとってしまうような悲劇が発生してしまうことも危惧されるわけですが、本作はまずジャケ帯に添えられている惹句が相当にアレで、
奉仕と偽善は常に紙一重だ――
さあ、君ならどう思う?……
怒濤の勢いで展開するエンタテイメント小説。
もう誰にも止められない。カノジョ、食い物、名誉、
欲しいもののために打算は当然しょっ!!
おいおいぃ、お前たち
いい子ぶっちゃいかんぜぇ?
つまるところボランティアとは――
ギブ&テイクである、俺はそう思うのだ。
で、裏を返すと、「狙った獲物は絶対に逃さない、19歳のムサシの旅が今、爆発的に始動する!!」とあるわけですが、「爆発的に始動」という言い回しからして頭の悪さを露呈しているところもかなりアレ。「第一次(導入)」「第二次(展開)」「第三次(整理)」と三部に分かれた「第一次」の冒頭からして「童貞は恥っ! んなの恥、恥、恥、恥だっつうの! っはあぁ~わっかんないかねえぇ~、ま、わかんねぇだろうな、どおぉー考えたって女にはよ、女、になんぞわかるか、わかってたまるかっ、てんだ。」というフウな一人語りが延々と五頁あまりも繰り出され、最後が「あざーすっ!」で終わるというテイタラクでありますから、後の展開は推して知るべし、というキワモノぶり。
登場人物も極端に少なく、もっぱら主人公の童貞男が一人語りでただダラダラと妄想と主義主張のごった煮をアジテートしていくばかりで、シーンの描写はあっても全く話の展開に絡んでくることなく、彼以外の登場人物の台詞も極力控えたエコ仕様ゆえ、じっくりとこの文体に付き合うだけでも正月明けのヌルい頭にはかなりの苦行を必要とします。
また宮崎駿のアニメに出てくる短髪美女に憧れる童貞男が、カノジョ探しの目的で参加したボランティアでようやく理想の女に巡り会ったのち、その場でメアドを聞き出してデートに誘った挙げ句、いきなり「付き合ってくださいッ!」と懇願するという二昔前のラブコメでもなかったようなイージーな展開には、マトモな神経をした大人の読書人であれば卒倒すること間違いナシ。
それでも敢えて本作の魅力を挙げるとすれば、幼稚園児の知能のまま青年になってしまった大人「でも」恥ずかしくって絶対に文章で書いたりはしないし、ましてはそれを本にして世間様に見てもらおうとは思いもしないような悪ノリをさらりと描いてしまっている剛毅さでありまして、たとえば主人公がカノジョとのセックスを「ボッキー牛松先生の性教育」と題して実況中継してしまうシーンを引用してみると以下の通り。ちなみに「先生」と自ら名乗っているのは主人公です。
「ツユミぃ~! ほらほらっ」
先生は全裸で踊り始めた。腕を突き上げ敷き布団の上で軽快にステップを踏む。
「ツユミツユミぃ~! 見てみて!」
ヤり終えた直後だったかツユミも服を着ていなくて、布団を引き寄せ体を隠すように座っていた。先生の裸なんて見慣れているはずなのに目のやり場に困るらしく、わずかにひきつるような顔で先生から視線を逸らしている。
ではっ、ここで本日爆笑必須ネタ!
とそこで先生は、自分のモノをつかんで股間に押し入れた、尻の方へ全部挟み込んでぎゅっうっと太腿を閉じるや、
「ほらっ、見てよツユミ、女の子だよおぅ~!」
あんれぇ? あのはずのモノ、が消失しているではないですか! 先生は女の子、に変身したのだった。
「ほらツユミツユミっ! 女の子だってば! 女の子! 女の子! こっち見てみてっ!」
足をクロスさせ内股に力を入れた女の状態で、
「いないいない」
先生は両手を広げ一気にツユミを惹きつける。
「ばあっ!」
不意を衝かれ心がぐらつき表情をひきつらせるツユミに、先生は手で股間を隠しながらいないいなぃ、いないいないぃ、
「ばあっ!」
と手を離すとツユミの目の前に先生のモノが顕わになった。たちまち女の子から男の子へ。見事! どうだ! 面白すぎだろっ!
こうしたヒドいシーンを挿入しつつ、主人公の一人語りがダラダラと続いていくわけですが、やがて何だかよく分からないけど何となーくカノジョとのセックスにも苛々するようになってきたこの輩は「女はお茶くみなんかじゃなくフェラチオだろがぁっ!」とセックスの最中にも脳内でわめき出す始末。最後に「自己分析すると俺は深い人間だ」と読者に告白し、「――そういうわけで、俺はここで宣言しようと思う」という言葉に続けて、唐突に「俺は将来、「小説家」になりたいと思っている」とブチあげます。ここにいたるまで小説のショの字も出てこなかったような気がするのですけど、自己実現って何かかっこよくねー?というノリで、
俺の小説は専門家だけに評価されたい。文学において、俺は大衆の共感はいらないと考えている。そんなの意味がない、ただ、だた文学に精通する人たちの評価のみを得たいのだ。専門家に絶賛されてこそが本物の物書きだ!
高校のときから書き始めていた、今まで忙しくて存在すら忘れてきた、書きかけの小説が俺の手元にある。タイトルは未定だがテーマは決定している。
この世でもっとも美しい愛のカタチ、自己犠牲、だ。
俺の一番の夢は、
三十五歳までに芥川賞を獲る!
ここにいたって、おそらくは読者がまさに今手にしているこの小説こそが、主人公の書きためていた小説なのかもしれないかもしれない、……という「驚愕の事実」が明かされるとともに、この小説がもしかしたら作者の自叙伝だったするのかもしれない、かもしれない、かもよ? というオチで終わります。
表現の自由を信じているいかなる創作者であろうとも「焚書」という言葉がどうしても脳裏をかすめてしまう、……という意味では破壊力抜群の本作、たとえブックオフとかで100円本コーナーにコッソリ置かれていようとも、否、道端に捨てられていようとも手に取るのは御法度。ダメ小説であってもそもそもミステリでもないので、「美意子たんペロペロ。般若心経の代わりに毎朝『孤島同窓会』の写経やってまーす」なんていう好事家であっても、読まない方が身のためです。