この世界とわたしのどこか 日本の新進作家vol.11@東京都写真美術館

この世界とわたしのどこか 日本の新進作家vol.11@東京都写真美術館開催は来月末までとすっかり勘違いしていて最終日の今日、慌てて見に行ってきました(大汗)。本展覧は『香港写真芸術協会からの要請に応じ、香港での展覧会を日本に先駆けて』昨年の十月に行われており、東京での展示はその後ということになります。香港絡みでアジア的な風格という意味では、大陸のドラァグクイーンたちを撮影した菊池智子の作品がそれに該当するものの、あまりそうしたことは考えなくても十二分に愉しめました。

今回の展示のお目当ては笹岡啓子のFishingシリーズだったのですが、緻密な描線が際立つドでかいプリントは圧巻で、その中でも特に素晴らしかったのが「Kominano, Chiba 2011」。びっしりと岩肌を埋め尽くした海藻が暗部からぞわぞわと浮かび上がるプリントは脅迫的で、こうした写真の緻密さを見せつけてくれる風格は、「Jogashima, Kanagawa 2011」の粗い砂地や、「Obuse, Nagano 2005」の目が痛くなるほどにエッジのたった枯れ枝の連なりでも堪能できます。我を忘れるまで細部を凝視するという自己流の写真鑑賞術を存分に愉しむことはできたものの、もう少し静謐なイメージが強いかなと思っていたため、この饒舌な作風はかなり意外でありました。

田口和奈は今回の中ではもっとも尖っていて、これもまた興味深く見ることはできたのですが、コントラストを極力抑えたモノクロームの作品は、自分のような目の悪い人間にはかなり辛い(爆)。”見る”ことを鑑賞者に強いる作風で、非常に押しの強い作品ゆえ、写真にまず個性を求める人であれば、かなり愉しめるのではないでしょうか。一番印象に残ったのは「あなたを持っている細長い私」で、暗部を手探りするようにしてそこに描かれているものを辿っていくという鑑賞を強いられるわけですが、かなり疲れる(苦笑)。この作品だけは、他の作品、――たとえば「無題、裸婦」や「窮迫の、深みの」のようなロマンティシズムは薄く、『ドグラ・マグラ』の表紙とか、Naked Cityのジャケにしてもイケるんじゃない?という、ミーハーっぽい、カジュアルな楽しみかたもできるかもしれません。

大陸のドラァグクイーンたちのポートレートという、アウトサイダーであり異形のものを被写体に据えた菊池智子の一連の作品は、まず写真の色彩とトーンに惹かれました。大陸そのもののような、重い空気をとらえた全体の色はかなり好み。『壁に貼られたエイズのポスターと、結婚を祝う「双喜」文字の飾り付けの前のアージエとボーイフレンド』のような”狙った”写真や、「性別適合手術直後のメイ」や「豊胸手術後のシャオジャン」のようなショッキングな作品についつい目がいってしまうものの、個人的には「線香を供えるファー」や「長江の河岸に佇むファー」のような静謐なポートレートが良かったです。特に「長江の河岸に佇むファー」だけはこれまた”狙った”ようにソフトフィルターをかけたようなトーンでまとめられているのですが、この全体の雰囲気が大陸の重く、淀んだ空気との調和を見せていて素晴らしい。

アイディア賞は大塚千野の”Imagine Finding me”シリーズでしょうか。あえてネタバレは控えて、アーティスト・ステートメントには目を通さずに写真だけをざっと眺める楽しみ方が吉、でしょう。最初は母親と子供の二人が写っている記念写真に見えていたものが、何枚か眺めているうちにその企みに気がつくと思わずニヤリとしてしまうという逸品で、デジタル世代ならではの見事な仕掛けが秀逸です。これ、実はかなり愉しめました。この”Imagine Finding me”が見ることによってトリックを見抜く企みだとすると、From “Photo Album”シリーズは、そこにないものを見るという行為を強いられるという点でかなり過激。田口和奈の作風も相当に見るものを挑発する試みではありましたが、このFrom “Photo Album”までいってしまうと、果たしてフツーの写真として受け入れていいのかどうか、むしろ現代芸術のくくりで鑑賞した方が愉しめるかもしれません。

蔵真墨の「蔵のお伊勢参り」からの作品は、正直に告白すると、写真を眺めただけではピンとこなくて、そのあとアーティスト・ステートメントに目を通してようやく腑に落ちたというものゆえ、正直、キチンとこれらの写真を自分の中に受け入れることができたのか正直微妙(苦笑)。なので、感想は差し控えます。

笹岡啓子の脅迫的な細部の連なりにドップリと浸かり、田口和奈の作品に見ることを強いられ、大塚千野の”Imagine Finding me”をミステリの仕掛けを見抜くような遊び心で満喫、……といったかんじで、かなり愉しめた展覧会でした。パンフの中にある紹介文には『大震災や経済の低迷などにより、社会環境が不安定化する現在、様々な問題が山積し、既存の価値観が大きく変化しています。そうしたなかで、日本の現代作家たちは、それぞれが自分の足下を見つめながら自らの課題と格闘し、独自の世界を創造しています』なんて難しいことが書いてありますが、そうした社会との関わりの中に写真を位置づけるような評論的な視点をも、現代的技法を駆使した遊び心によって軽々と飛び越えてしまった大塚千野の個性はかなり貴重。これから追いかけていこうと思います。