ザ・流行作家 / 校條 剛

ザ・流行作家 / 校條 剛 傑作。小説ではありませんが、笹沢佐保に川上宗薫という、一見するとあまり繋がりが感じられない二人の逸話をふんだんに盛り込んで、あの昭和の時代ならではの「流行作家」の生き様を描き切った一冊です。

陰陽で分ければ、陰の笹沢、陽の川上というふうに対照的な二人ながら、こと女と酒に関しては何というか破天荒。エロ作家である川上宗薫が女をモノ扱いしてその体にしか興味がないのとは対照的に、笹沢佐保は愛人も本気で愛してしまうという、二人の女性観、恋愛観も様々なエピソードを添えてミッチリと語られているところもイイ。

また二人の作者が活躍した昭和の時代はマガジンの時代であり、単行本や文庫本をメインにした現在の出版状況の中で、あのような作家はもう生まれ得ないのでは、――という前半の考察から、盛りだくさんの逸話を添えて語られる二人の作者の活躍を中盤に配した構成も巧みです。後半には老境を迎え、癌に蝕まれながらもなお原稿を書き続けようとする川上宗薫の、どこかあっけらかんとした生き様と対照させるように、笹沢佐保の『どんでん返し』によって壮絶な死を迎える後半の内容は鳥肌モノ。

さらには時代の流れと新たなタイプの「流行作家」の登場によって忘れられていく笹沢の悲哀溢れる後世を描きつつ、マガジンとは違った出版方式の登場によって、彼らの作品にもまた光が当てられるかもしれないという希望を添えたラストもいい。

作品そのものを論じるところはあまりないのですが、それでも編集者という視点から「売れる」小説について述べている箇所はいくつかあり、その中でもなるほど、と膝を打ったのは、笹沢佐保の木枯らし紋次郎シリーズがドラマの知名度に反してベストセラーにならなかったのはなぜか、――という考察を試みたところで、作者は捕物帳と、木枯らし紋次郎の股旅物を比較して以下のように述べています。ちょっとだけ引用すると、

捕物帳と股旅物は、大衆時代小説の二台ジャンルである。この二つには明確な差異がある。捕物帳は「定住者のお話」であるに対して、股旅物は「住所不定者のお話」である。……捕物帳は、いわば警察の物語であり、股旅物は、犯人のほうの小説といっていい。追うものが主体となって語られるものと追われるものがしゅたいとなっとた物語というまるで正反対の方向性を持つのである。……

なぜこの「明確な差異」が、一方をベストセラーにし、股旅物である木枯らし紋次郎が売れなかったのか、――というところで、作者は物語を読むものの心理にまで深く分け入り、なかかな興味深い考察をみせてくれます。また、さらに別の箇所では、ミステリ読みであれば三度のメシより大好きなどんでん返しを多用する笹沢小説の宿業にも言及しつつ、流行作家であったにもかかわらず、他の作家と明暗を分けることになった彼の作風にも言及していて、これはかなり参考になりました。このあたりは本格ミステリ読みであれば、違うよッ!と反論したいところなのですが、本格ミステリの傑作とベストセラーとはまた違うわけで、ミステリ作家ではなく、多くの作風のエンタメ小説に関わってきた編集者だからこそ見いだすことのできた視点であるともいえるでしょう。

二人の作家の死を描ききったあと、作者は人間の幸福という深い主題にまで踏み込んでみせるのですが、ここでは編集者たちに好かれ、最後の最後でいいオンナをゲットしてみせた川上と、酒癖の悪さから家族のみならず編集者たちを振り回した笹沢との比較では、……やはり川上のほうが幸せだったのかなァ……としみじみ。後半の笹沢佐保の逸話は結構辛いものが多く、最後のどんでん返しをみせる彼の壮絶な死にいたっては思わず言葉を失ってしまいました。

本作では、各出版社の担当が作家と集まってドンチャン騒ぎに興じるといったエピソードなど、編集者の視点から見た作家と編集者との濃密な関係が語られているところも興味深いのですが、それにしても「文豪」という言葉が生きていた昭和の時代と違って、平成の今ではこんなこともあまりないのだろうなあ、と思うとちょっと寂しいような気もします。編集者というのも普通のリーマンと同じになっていき、さらには作家たちもまた作家という職業に就職するような気持ちでなっていくのだとしたら、編集者と作家との関係もますますビジネスライクに傾いていくことは想像に難くないわけで、これからは、本書のように作家のおもしろおかしい、あるいは壮絶な逸話というのも、その周囲のひとによって語られるようなことはなくなっていくのかもしれません。

マガジンの昭和から、電子書籍へと新しい出版の時代を迎えた平成の今にいたるまでを、二人の作家とその周囲を取り巻く人物たちの逸話を添えながら活写した一冊で、ノンフィクションではあるものの、読後感は非常に小説に近いので、気負わずに愉しむことができるのではないでしょうか。二人の作家とその作品を知らずとも、ミステリ読みであれば、笹沢佐保について作者が言及している箇所に眼を通せば、ミステリとエンタメ、あるいはエンタメ小説としてのミステリはどうあるべきか、ということを考えるための端緒となりえるかと思います。オススメでしょう。