リバーサイド・チルドレン / 梓崎 優

リバーサイド・チルドレン / 梓崎 優 叫びと祈り』という超絶的な傑作をひっさげて登場した作者の初長編。正直、期待しすぎていたのと、作者のあまりの手筋のうまさに(この点については後で説明します)早々に事件の構図を予見できてしまったゆえ、正直、真相が明かされたときには「えっ、本当にこれで終わりなの?」と呆気にとられてしまった次第です(爆)。

物語は、カンボジアという異国を舞台に、自らもある悲劇的ないきさつによってストリート・チルドレンとなった日本人少年の周りで子供たちが次々と殺されていき、……という話。現代の、フツーに生活できている日本人からするとあまりに過酷な環境、――とはいえ、テレビや雑誌で見慣れた光景の中で笑いあり涙ありの毎日を送っている主人公たちの前に、大人の警官たちが情け容赦のない扱いをするシーンなど、ある意味多分に”小説的”な逸話が淡々と繰り返されていくなか、仲間内でも人気のあったボーイがまず屍体となって発見されます。

そのあとも次々と子供たちが餌食となっていくなかで、本作の謎として大きくクローズアップされていくのがまず動機。大人たちからひどい扱いを受けている子供たちが何故次々と殺されていかなければならないのか、――もっともこれについては、カンボジアの社会問題という誤導を巧みに凝らして、かれらの周囲に感じられる変化をかなり明確に書き出しているところが秀逸です。

とはいえ、カンのいい読者であれば、……というか、自分のようなボンクラでも、人気者だったボーイの名言集や、かれら子供たちが自分たちの”世界の外”の人間を眺めるときの視点を注意深く見ていけば、ある一つの大きな疑問に行き当たるに違いありません。それは作中である映画のエピソードが語られにいたって確信に変わり、それでも『叫びと祈り』の作者であれば、それを大きなミスディレクションとしてさらに驚愕の構図を見せてくれるに違いない、――と期待して読み進めていくと、バッチリ予見した通りの動機だったのにはかなり吃驚してしまいました。

思うに本作の場合、作者はあまりに優等生的なやり方で、この動機の伏線となるモチーフを整頓しすぎたような気がします。前半部で描かれる多くの逸話は、かれらストリート・チルドレンと”外”の世界との対比に読者の注意がいくように仕向けられ、実際、主人公が天啓を得てこの動機に思い至った際には、作中に添えられていたそうしたエピソードで登場人物たちが口にした一言一言が繰り返されます。その伏線の回収の技法には黄金比にも似た数学的な美しささえ感じられるのですが、逆にいえば濁りがないともいえる。

ここでいう濁りとは、いってみれば作者の個性でもあり疵でもあるわけですが、そうしたものをいっさい排除して澄み渡った水面のごとき本作の構成の見事さを、”素直に”美しいと思えるか、それとも自分のようにひねくれた心地で見てしまうか、そのあたりによって本作の評価は変わってくるような気がするのですが、いかがでしょう。

とはいえ、この動機に気づいてしまった主人公が、その出自と特権的な属性ゆえにある種の業を負ってしまいながらもそのことについて無自覚であるという転倒には、美しく整理された構図と相反して、社会派や感動の人間ドラマと呼ばれることを忌避しようとする作者の厳格さな意思表明にも見え、このあたり、普通に感動物語としても完結しえた『叫びと祈り』に「祈り」という逸話を添えることで非情な幕引きを見せつけた作者の矜持が感じられます。

『叫びと祈り』の転倒と狂気を期待すると作風の違いに驚かれるかもしれず、ここは自分のようなひねくれ者よりも、伏線が美しく配置された物語を美しいと感じられるピュアな感性をいまだ抱くマニアの方がより深く本作の深淵に踏みいることができるような気がします。