第三回島田荘司推理小説賞受賞作。物語はというと、とある基幹ソフトの開発会社に「御社の機密データを”誘拐”した」との電子メールが送られてくるのだが、この”誘拐”に身代金を要求してきた犯人に対して、開発会社のエンジニアや融資銀行の行員たちを巻きこんだ大捕物が展開し、――という話。
そもそも機密データを「誘拐」したという犯人の言葉が奇天烈で、字面を追いながら作中の犯人に対して「おいおい、それって誘拐じゃなくて恐喝っていうんじゃァ……」というツッコミを入れたい気持ちにかられてしまうわけですが、なぜ犯人はこれを恐喝ではなく敢えて「誘拐」としたのか、その理由は最後の最後、事件の構図とともに明らかにされます。
誘拐事件といいながら、何しろ誘拐された被害者ならぬ被害物が形のない「データ」であるところがミソで、ここに有能なエンジニアのボーイを探偵役として犯人の正体とその目的を探っていく展開は誘拐ものの定石で見せてくれます。とはいえ、本作がありきたりの誘拐ものではなく、御大曰く「21世紀型の犯罪」であるところは、金融の専門知識とITネットワークの知見を融合させた趣向にあり、さらには機密データを誘拐の被害”物”とすることで、ある特殊な状況を惹起させた犯人の仕掛けにも込められています。
正直、物語の展開はやや冗長で、本来であれば手に汗握るサスペンスフルな展開で突き進むべきところが、頭の悪そうな重役連中のワイガヤシーンが続いたり、あるいは警察側のボンクラ捜査であらぬ方向へと事件が迷走していく見せ方など、まだまだ改善すべき箇所も多いとはいえ、そうした不満は最後の最後、この事件の構図に隠された恐るべき犯人の奸計が明かされた瞬間に帳消しとなります。
「誘拐もの」として評価すれば、この構図は連城三紀彦の某作にも通じる、本格ミステリという「型」があるからこそ成立しえる転倒ともいえ、おおよそ本格ミステリらしくない減点要素はこの見事な構図の開陳によって霧散してしまうという驚きの趣向が素晴らしい。とはいえ、フェアプレイという観点から見ればこの転倒の構図と犯人の狙いゆえ、必然的に伏線の配置がおろそかになってしまった嫌いはあるものの、痛快ともいえる本格ミステリならではの事件の構図の素晴らしさを鑑みれば、個人的には没問題。
かなり前から作者の作品を追いかけてきた自分としては、人狼城推理小説賞や台湾推理作家協会賞に投稿された短編のイメージを覆す作風の転換も驚きで、本職である金融関連の知見をフル活用した内容は、グローバルを指向するこれからの華文ミステリにも新風を吹き込む痛快作といえるのではないでしょうか。