生き直し / 岡部 えつ

生き直し  / 岡部 えつ傑作。2011年の春にリリースされた『新宿遊女奇譚』から早二年半、待ちに待った岡部女史の新作は、版元を双葉社に替えての社会派大衆小説、――とあらすじ紹介を読むと勘違いしてしまうのですがさにあらず。社会批判を根底に据えつつも、考え抜かれた結構と引き算の技法によって恐怖を喚起させ、底知れぬ暗黒へと読み手を誘う巧妙な作風はまさに現代の怪談で、堪能しました。

上に述べた通り、そもそもジャケ帯に添えられた惹句が「あの子をいじめから救って、わたしは地獄に堕ちた」で、アマゾンにもある紹介文もざっと読んだ限りでは、子供時代にいじめ絡みで辛い記憶のある主人公の再生を描いた感動と癒やし(オエッ)の物語、――かと思ってしまうわけですが、そんなことはありません。

枯骨の恋』や『新宿遊女奇譚』といった短編は、『幽』のメディアファクトリーからの刊行ということもあって、畢竟読者もこれから体験する物語を”怪談”として受け入れる構えができているわけですが、本作はまずもってジャケからして”怪談”らしくない。さらにはあらすじ紹介からも”怪談”のにおいを消し去っているところから、岡部女史の怪談を期待している自分のようなファンは戸惑ってしまうかと推察されるものの、現代のいじめを舞台にしながらも、これから同窓会へと向かうヒロインがバスに乗って思い出の地へと還っていく情景から、過去の記憶を辿っていくシーンへ転じるにつれ、ファンはそこからにおいたつ濃厚な”怪談” の気配を感じとるに違いありません。

やがて民話をもとに派生した噂話がオチなしのゾーッとする怪談として語られ、さらには民話の縁起が、中学時代に目の当たりにした主人公の記憶と重ねられる結構も素晴らしい。個人的にもっとも惹かれたのは、ヒロインがバスに乗って記憶の地へと帰還するなか、都会で過ごした小学校時代の受難と、中学時代の記憶を重層的に語ってみせる技法で、主人公が住む現在の世界と記憶の土地を結びつけるトンネルと、民話の中で重要なモチーフとして語られる「狢穴」とを重ねてみせた趣向でしょうか。

山を抜け、トンネルをくぐり、主人公は記憶の土地へと還っていくのですが、前半はその途上で脳裏に甦る小学校、中学校時代の回想に費やされています。小学校時代に経験した挫折を経て、現代の「狢穴」を通過してこの土地にやってきた主人公が見た小学校、中学時代の出来事、――それらは一続きの物語として語られながらも、彼女の過去の体験が土地の民話と混ざりあい、重ねられることで、神話的な、……というといささか大袈裟ではありますが、普遍的な物語として昇華されていきます。

それは「狢穴」を通過させることで自らの痛切な体験そのものを突き放し、俯瞰する作用をもたらしているようにも見受けられ、主人公は小説賞受賞という錦の御旗を持って凱旋を果たすわけですが、岡部女史の小説がこのままメデタシメデタシで終わるはずがありません。

記憶を辿る主人公の回想のなかにも様々な不安要素を鏤め、それを最後に展開されるおぞましき現実的事件の伏線とする技法は期待通りながら、怪談の様式美にも、またミステリの様式美にも阿らず人間の恐怖と暗い闇を活写する岡部女史の筆致は冴えています。

怪談の様式美という点でいえば、たとえば「毒沼」という忌み地の存在が挙げられるでしょう。怪談の様式美にしたがった展開を採れば、たとえば「アブレバチ」のようにこの毒沼の存在はもう少し人間の因業をため込んだ恐怖の対象として描き出すことも可能だったでしょう。またミステリ、サスペンスの様式美を採れば、ちょっとキ印入った野郎が作中で登場するのですが、この人物を絡めてこの毒沼の崩壊を悪夢的な現実的事件へと収束させることもできたと考えられるわけですが、本作ではそうした様式美から容易に想起できる展開を忌避するように、終盤では主人公の書いた短編小説を挿入するかたちで巧妙な転調を引き起こし、それを端緒に意想外な事件を発生させることでおぞましき恐怖を大喚起させる後半の展開が秀逸です。

そうして民話の中に登場する唄にこめられていた謎が氷解した刹那、主人公が幻視する悪夢的情景のおぞましさ、――現実の事件にのみこまれて収束するかに見えた物語は、再びそこで幻想へと大きく旋回し、静謐な恐怖を滲ませた暗黒賛歌によって幕を閉じます。人間の因業を女ならではの情念溢れる筆致と技巧で描き出した短編とはまた異なる、長編ならではの構成の妙と魅力を放つ本作は、、現時点における岡部女史の新境地にして最高傑作と言い切ってしまってもいいのではないでしょうか。オススメです。