安部公房とわたし / 山口 果林

安部公房とわたし / 山口 果林実はこの本、本屋で見かけてから気になってはいたものの、しばらく購入を躊躇っていたのは、『これって要するに敬愛する安部公房のプライベート、――それもおそらくは不倫という負の部分を洗いざらいぶちまけた暴露本の類いでしょ? そういうのは知りたくないなァ、……と思っていたからだったりするわけですが、結論としては読んで良かったと思います。

作者の個人生活というものに興味が湧かない自分は、安部公房が山口果林と不倫をしていたというのもまったく知らなかったのですが、表紙の写真や冒頭に掲載されたスナップを見るにつけ、まあ、こんな美人で可愛い、歳の離れた娘っ子に熱をあげてしまうとは、安部公房も普通の男だったんだなあ、――と感じ入った次第です。

本作を一冊の「作品」として見た場合、冒頭に安部公房が倒れるシーンを配し、それを後半でもう一度繰り返すといった、映画的な構成がいい。プロローグのシーンは、安部公房と作者の「台詞回し」も相まって非常に印象的なものなのですが、そのプロローグで安部公房の死にうちのめされる作者の姿から一転して、第一章からは二人の出逢いが淡々と描かれていきます。

この「安部公房との出会い」と題した第一章は、村松友視からデートに誘われただの、恋人にフラれただの、自身のモテッぷりをひけらかす作者のドヤ顔が脳裏に浮かんでかなりアレだったりするわけですが(苦笑)、ここから第二章「女優と作家」までは尊敬する安部公房と知り合い、崇拝から敬愛、そして男女の関係へと移りゆく作者の内面が様々な逸話も添えてかなり緻密に書かれています。

相当のメモ魔であったと思しき作者が披露するエピソードはいずれも興味深く、安部公房がカメラや車といったメカ好きだったというのは予想の範囲内ながら、ピンク・フロイドが好きでシンセまで購入して舞台音楽を自分でつくっていたとか、作者が杉並に引っ越して一人暮らしを始めてからというもの、安部公房は駐車場代を節約するため、メンバーズクラブの会員は無料で駐車場を使えるという新宿の「京王プラザホテル」に車を停めて彼女に会いに行っていたとか、箱根の家で逢い引きをするときには小田原の老舗喫茶店で待ち合わせをしていた等等、――気取ったところもない安部公房の赤裸々な生活が記されているところは面白い。

またキョンシーの真似をしておどけてみせたりといった、年の離れた愛人を相手に妙に子供っぽいところを見せる安部公房の一面が記されていたりと、二人の愛の生活が中盤までじっくりと記されていくのですが、安部公房の病をきっかけに、そうしたおどけた生活に不穏な雰囲気が立ちこめていく後半の展開もいい。

安部公房の死から長い月日を経たこともあってか、メモ魔とおぼしき作者の語る逸話は細部まで詳しく記されていながらも、その筆致はどこか乾いた、素っ気ないものであるところにも注目でしょうか。そうした書き方によって、かなりきわどいことをさらりと告白してしまうのがこの作者の凄みであり、例えば安部公房が癌とわかり、医者からは「睾丸摘出治療を受けたほうが、ホルモン剤治療の効果が上がる。男性機能の変化は覚悟してほしい」と宣言されると、「初めて安部公房の口から別れた方が良いかも知れないという言葉も出た」という。しかしそのあと二人は『宦官』について調べたりしたあと、「関係を続けることでお互い納得しあった」とあります。「男性機能の低下」といった説明がされているところで「関係を続ける」とあれば、当然その「関係」とはアレな関係ということになるわけで、病に罹ってもなお”そっち方面”でも盛んなところを見せる安部公房に、やはり天才にとっても創作の源泉というのは結局、”そっち方面”だったりするのかなア、……と感じ入った次第(爆)。

ひとつ気になったのは、作者から見た安部公房の妻、真知夫人の描写でありまして、安部公房が病に倒れたあと病院で直接かち合ったときのシーンなどから察せられる夫人は完全にヒステリーのオバはん扱い。またこれは安部公房から聞いたという又聞きになるわけですが、作者との不倫に激高した夫人が京王線に飛び込もうとしたとか、とにかく愛人の作者にしてみれば”宿敵”であるとはいえ、アンマリの扱い。『壁』をはじめ当時の安部公房を新潮文庫で読んだ世代の自分としては、やや複雑な気持ちに悶々としてしまうのでありました。

作家・安部公房に関する逸話としては「ひとつの作品を書き終えるころになると、次の作品イメージがおぼろげに浮かび上がってくる」と話していたというくだりや、「安部公房の好みには、ある傾向があるのに気づく。ちいさい世界で完結するものどもだ」と、東急ハンズでエコスフェールを購入したときの当時を振り返りながら、安部公房の嗜好について披露しているところはかなり興味深く読みました。また後半には「ちいさい世界で完結するものども」を愛する安部公房が「作品の舞台の取材は港町が多」く、それについて作者は「閉鎖空間でなく、外に開かれているイメージが港町にあるのかもしれない」と述べています。小さい世界で完結するものを愛する一方で、「外に開かれている港町」を取材していたという対比、――もしかしたらこのあたりに幻想世界と現実世界を連関させ、独特の小説世界を構築する際のヒントがあるのかな、などと感じました。

こうした逸話を連ねていきながら、この二人の「物語」は、安部公房の死というゼロ時間へと収斂していくのですが、そこでもう一度プロローグのシーンが繰り返されます。この「物語」の後半を更に重苦しいものにしているのが、安部公房の死とともに作者の母の死が重ねられていることで、作者は二人に頼られながら自身も疲弊していく展開はかなり辛い。

しかし安部公房の死はこの「物語」のクライマックスでは決してなく、安部公房の死後、かれの戦友とも言える担当編集者の死や、”宿敵”ともいえる真知夫人の死を経て、作者が次第に自分自身を取り戻していく過程が描かれていきます。そしてようやく過去を突き放して見ることができるようになった現在の心境を綴ってこの「物語」はひとまずの終幕を迎えるわけですが、この安部公房の死以後の様々な逸話が、本作は安部公房の「物語」ではないことを物語っています。もちろん作者の目から見た安部公房の姿だけを描いて一冊の本をしたためることも、相当のメモ魔を思わせる作者のことだから可能だったに違いありません。

「人生の後始末を考える年代に突入」したいま、「自分の人生を取り戻」そうとこの本を綴ったことの心境について、エピローグでかなり詳しく語っているのですが、このエピローグを読むにいたって、第一章でモテモテぶりをドヤ顔で語っていた作者に対する印象が、自分の中で一変していることに気がつきました(爆)。真知夫人側と和解があるのかどうか、――本作での夫人の扱いぶりを眺めるにつけ、何となく難しそうという印象はあるのですが、この様子だと、作者は未来の創作に繋がる安部公房の様々な逸話をまだまだ抽出に隠し持っているに違いなく、機会があれば是非とも第二弾も出してほしいなア、……と思った次第です。

エピローグからも明らかな通り、本作はあくまで山口果林の本ではありますが、安部公房の知られざる逸話が満載ゆえ、神聖なる作家というよりは人間・安部公房を知りたいという方であれば、手に取る価値は十二分にあると思います。そのあたりはあくまで取り扱い注意ということで。