二歩前を歩く / 石持 浅海

二歩前を歩く / 石持 浅海 キ印ここに極まる、とでもいうべき我らが石持氏の新作短編集。収録作は、部屋のスリッパが勝手に移動するという”日常の謎”めいた怪異に、超常現象の存在を認めた前提から、まさに石持ワールドらしいロジカルな詰めを見せていく「一歩ずつ進む」、通行人が自分を避けて通るという謎にハウ、ホワイのコンボを精妙なロジックで突き詰めていく「二歩前を歩く」、死んだ嫁の髪の毛を壁紙に溶かし込むというキ印の行為が論理を経て怪談へと転化するオチが怖キモチイイ「四方八方」、消灯したはずの電気が点いているというささやかな謎を怪異にこしらえて、怪談オチへと引っ張っていく強引さが爽快な「五ヶ月前から」、車のガソリンが勝手に増えている謎から醸し出される警告に、オカルト探偵が精妙な気づきを添えるイヤミス「ナナカマド」、訳アリの美人OLにまつわるチンケな謎に強引すぎる怪異をブチ込み、石持ワールドならではの斜め上を行く恋愛物語へと昇華させた「九尾の狐」の全六編。

いずれもその謎の立ち位置からミステリというよりは、怪談といってもいい風格で、SF的な世界観を基盤に精妙なロジックによって本格ミステリへと仕上げていた過去作に比較すると、本作ではポー以降、怪異が出てくればそれは論理によって現実的事象へと解体されるという定石を爽やかに裏切ってみせます。

冒頭の「一歩ずつ進む」は、部屋のスリッパが誰も見ていないところで移動するという、別段怪異の存在を認めなくてもそれらしい現実的解を想起することができそうなネタながら、探偵含めて登場人物すべてが科学的知見を持ち、ロジカル・シンキングができる連中なのに、――いや、それだからこそ超常現象の存在を認めざるを得ないという、やや無理筋な設定が前提となっているところが新機軸。スリッパの移動という、従来のミステリであれば日常の謎ものに分類されるべき物語を、石持ワールドならではの「ここにロジックをブチこむかいッ!」とでもいうべき斜め上をいく展開で、怪談そのもののオチを見せてくれます。

「二歩前を歩く」もまた、通行人が何故か自分を避けて通るという、――これまた日常の謎としても十分に現実的解を思い浮かべることができそうな謎に対して、超常現象を前提とした推理で突き進んでいくのですが、件のロジックの使いドコロが、まずその超常現象たるモノの正体というよりは、メカニズムを知るために用いられているところが面白い。可能性の分類にはじまり、「二歩前を歩く」というタイトルにもある仕組みを解明していく論理の構築は精妙で、怪異の真相はいうなればそうしたメカニズムの解明によってもたらされた副産物とでもいうべきものになっています。

「一歩ずつ進む」では、その副産物である怪異の正体は、怪談めいた因縁・因果として語られるのですが、「二歩前を歩く」でも、その姿は仄めかされるものの、完全な真相が明らかにされないままブラックな結末を予感させる幕引きへと加速していくオチがいい。

この二編を読んでいくと、読者としては「ハハン、要するに今までは怪異が出てくれば、それが現実的事象へと解体されることを前提としていたわけだけれども、この本では怪異は怪異として認めつつ、それがどんな仕組みを持っているのかの解明が重要ってわけだナ……」と、本作の「読み方」も了解されてくるわけですが、そこへ「四方八方」という、収録作の中では怪異の立ち位置に関してやや斜め上を行く物語をブチこんでくるから油断がならない。

「四方八方」は、好きだった嫁の髪の毛を壁紙に溶かし込み、そいつで部屋の四方八方を囲んでいるというキ印的思考がまず冒頭、読者の前に提示されるのですが、この気色悪さ、気持ち悪さには完全にドン引き。もっとも”ザーメンの臭い”というエロティシズムを描写する上では忌避すべきモチーフに対してもしっかりとしたリアリズムを貫いてみせる石持氏でありますから、ここに登場するキ印的発想もまさに迫真とでもいうべき気持ち悪さで読者を魅了してくれます。こうしたキ印的思考から、当然、因縁・因果による怪異を期待してしまうわけですが、そうした思考とはやや違った形で、本編はホワイダニットのロジックを見せてくれるところが秀逸です。いうなれば前二編の先入観を華麗に裏切るかたちで、ロジックの精妙さを際だたせた本編ながら、真相が明かされた最後の最後で因縁・因果譚へと大きく傾斜したオチへと繋げてみせる豪腕もいうことなし。

「五ヶ月前から」は、この前に収録された某編とやや似た真相ながら、ここでもまた部屋の照明が点いているというささやかな謎からホワイダニットが生成されていく過程がスリリング。なぜという疑問から”犯行現場”と他の場所の要素の違いに始まり、真相へと次第に近づいていくロジックは収録作中、一番実践的だと感じました。怪異をもたらしたものを供養して幕となる結末はありきたりながら、その中で主人公が「こうなっちまったも仕方ねーじゃん」と悪びれた様子もなく開き直って一人語りをするシーンでは、石持ワールドの住人らしい清々しさを見せてくれます。

「ナナカマド」は、これまた車のガソリンが勝手に増えているという”日常の謎”が、超常現象を前提とした世界観ゆえに怪異へと転化してしまう物語で、「一歩」「二歩」といった怪現象の”数値化”とでもいうべき厳密さも添えて、その怪異の出所を辿っていく推理がいい。怪異といえばどうにも漠然とした事象をイメージしてしまうところへ、「一歩」「二歩」、あるいは本編にもあるようにガソリンの増加量を”数値化”してみせることで、怪異のメカニズムを解明するためのロジックを構築していくところが本作の面白いところではないでしょうか。そしてこのガソリンの増加量という目の付け所が、真相開示のあと、何ともブラックなオチへと帰結する幕引きも、石持ワールド全開でニヤニヤ笑いが止まりません。

書き下ろしである「九尾の狐」は、収録作中、もっとも緩く、ホンワカした恋愛物語なのですけれども、ある美女にまつわる怪現象のメカニズムとその怪異が出現するトリガーを探っていくところへ、推理によって構築された仮説を実験によって実証していくという科学的アプローチも活かされているところが面白い。美女の怪異の正体という怪異の機構を完全に了解した主人公の内心を描きつつ、斜め上をいくやりかたで何とも背中がムズムズしてしまうようなラブ・ストーリーへと昇華させてしまう強引さか際だつものの、多くのリーマン・ミステリをものにしてきた石持氏ならではの、”奇妙な味”の恋愛オチは、ファンであれば手放しでニンマリしてしまうところではないでしょうか。

全体的に軽めの仕上がりながら、現実世界における超常現象を前提とした本格ミステリという奇妙さ、さらには怪異という文学的な曖昧さによって成立している怪談に、本格ミステリならではの数値化や定点観測、仮説検証などの趣向を添えた妙味が光る、――まさにその奇妙さは石持ワールドならではともいえる本作、石持ミステリ初心者にはやや敷居が高く感じられるものの、自分のようなファンであればそのロジックの決め所と想像の斜め上をいく変態ぶりを堪能することができること請け合いです。オススメでしょう。