経眼窩式 / 植田 文博

経眼窩式 / 植田 文博島田荘司選 第6回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞受賞作。個人的には本格ミステリーというよりはサスペンス色が強く、また個人的な嗜好からは極悪なホラーとして堪能したのですが、このあたりについては後述します。

物語は、かつて父親から虐待を受けた娘ッ子がその父親を探しているうち、イケメンの訳アリそうな男と知り合い、ワルすぎる病院を中心とする陰謀に巻き込まれていく、――という話。

この娘の身体的特徴に、訳アリなイケメン男子に、事件の中心人物と、主要登場人物たちがいずれも家族との関わりから何かしらのコンプレックスを抱いているのがキモで、特にヒロインに関してはこの事件と陰謀に巻き込まれていくうちに、劣等感を克服していくという成長譚の結構を取っているところがイイ。御大も選評で述べているとおり、ミステリの骨格に、ヒロインの成長譚や恋愛物語の外観を与えた戦略が奏功して、「ある意味爽やかに読ませ」ている、――といいたいところなのですが、極悪に過ぎるワルどもの所行と、猟奇的描写のあまりに上手すぎる筆致に、ハッピーエンドを予感させる幕引きでジ・エンドとなりつつも、その読後感は非常に複雑(爆)。

御大も絶賛している通りに、小説的構成は措くとしても、そのシーンや登場人物たちの内心が容易にイメージできる文章力は相当のもので、選評にも引用されている、ヒロインがある人物に対して誤解を抱くシーンで、彼女が不信と惑乱を自覚する筆致などは素晴らしいの一言。しかし作者の本領、――というか、そうした卓越した描写力がもっとも発揮されているのは、本作でたびたび描かれるある強烈な猟奇シーンでありまして、これは相当にイタい、というか正視できない(苦笑)。そもそも本作でワルどもが大金を稼いでいる所行というのが、相当に恐ろしく、――これはあくまで個人の好き嫌いになるかと思うのですが、本作の事件の手法とはやや異なるものの、「違うものに”つくりかえられて”、ワルどもに”操られる”」という点で、その恐ろしさは、北九州の某事件や尼崎の某事件も通じるものがあり、この二つの事件に凄く興味があるんだけど関連本は恐ろしくて読めない、――という自分に、本作の事件の構図はまさに心の深淵を突かれたようで、件の猟奇シーンはパラ見ですませたかったのに、作者の見事な筆致に負けて結局ジックリ読んでしまうというテイタラク(爆)。

そうしたホラー小説的な視点で見ると、たとえば行動的な女性ルポライターが個人的事情もあって事件に首を突っ込んでいくうち、犯人に拉致されミイラ取りがミイラになってしまうというフラグ立ちの展開に至っては、稲川淳二の怪談語りのごとく、怖いなーイヤだなーと思っていると、まさに期待通りの嫌すぎる結末へと突き進んでいくというかんじで、怪談やホラーのお約束を心得た作者の鬼畜ぶりには圧倒されます。正直、猟奇シーンの細部の描写を見るに、本格ミステリーよりもホラーっぽい風格の作品の方が作者には向いているのではないかと。

……と、自らの嗜好と重ね合わせて、本作のホラー小説的魅力について長々と語ってしまいましたが、本格ミステリとして見ると、例えば件の猟奇シーンを繰り返す中で、さりげなくその描写に誤導を紛れ込ませたりといった小技を効かせたりしているところは秀逸ながら、ワルがやらかしている極悪事件の構図については、想定の範囲内、――というよりはむしろ、本作の場合、事件の真相が開示されときの驚きよりも、事件の極悪さがもたらす驚きの方が完全に勝っており、そうした意味では、本格ミステリの「技巧」が、作者の見事な描写力と筆致によって描かれる作中の「事実」に負けてしまっているともいえるカモしれません。

事件の構図については中盤までで全体像が見渡せてしまっているがために、社会派ミステリとしての基盤を支える事件の闇といった側面についての驚きは薄く、中盤以降は、上に述べた騙りの誤導も含めたフーダニットの謎で物語を牽引していくのですが、その中で探偵役となるヒロインの錯誤によって犯人が二転三転していくところが秀逸です。最後に明かされる真犯人が想定の範囲内というよりは、もっとも”しっくり”くる人物であることからも、本作はフーダニットに傾注した作品ではなく、むしろこの二転三転するフーダニットの趣向によって、ヒロインの探偵的行為がもたらす副作用を彼女の”業”へと転化して、恋愛物語へと昇華させた手際に注目でしょうか。恋愛物語としてこうした見せ方ができるのは、やはり本格ミステリの構成でしかありえないし、事件の真相開示よりも、ヒロインの探偵的行為がもたらした”業が、ハッピーエンドを予感させる結末によって浄化される展開の方こそが作者の書きたかったものではないのかと思うのですが、いかがでしょう。

謎が物語を牽引するシンプルな本格ミステリとして読むと、確かにフーダニットや事件の構図に想定の範囲内という物足りなさは残るものの、むしろ本格ミステリだからこそ生じる探偵行為を恋愛小説へと転化させた趣向など、小説そのものの構成に魅力を感じる一冊でした。……と、無難にまとめつつ、やはり個人的には本作、「ホラー」としては今まで読んだ中で一番イヤ怖かったです(爆)。そうした視点からすると「ハンニバル大好きッ!ボクチンもレクター博士と一緒にソテーした”アレ”をムシャムシャしたいっ!」(ちょっと違うか)みたいな強度の変態君や、「グロ耐性はないんだけど、やはり気持ち悪い小説を読んでみたくて……」なんて初な読者もご安心を。本作の猟奇シーンは、強烈に気持ち悪いですけど、血はほとんど出ません(ホントだよ)。

他の読者がどこかで語ってくれるだろうと期待して、敢えて本作のサスペンスとしての魅力については言及しませんでしたが、もちろん社会派ミステリとしても本作のテーマは相当に恐ろしく、”清張派”というよりは、”夢明派”とでも形容したくなるおぞましき社会の闇を活写した物語の力は相当のもの。また人間描写に注力した叙情と悲哀溢れる風格は、ばらのまち福山ミステリー文学新人賞受賞作らしい一作といえるかもしれません。