災厄 / 周木 律

災厄 / 周木 律建物の見取り図を見れば一目瞭然なトリックと、システム化されたキャラ造詣によって、遅れてきた新本格とでもいうべき作風で本格ミステリ界でも賛否両論な”あの”周木律の手になるパニック小説、――といえば、本格ミステリの本流に対して、手遊びにものした一冊かと推察されるものの、さにあらず。まさに本格ミステリの様々な技法を駆使して、パニックの根源たる”あるものの”の正体を謎として、後半にはどんでん返しまで凝らした徹底ぶり。まさに本格ミステリを偏愛する作者だからこそ書けたであろう逸品で、正直、作者には講談社ノベルズより”コッチ”の作品をもっとモット書いてもらいたいと切望してしまうのは自分だけでしょうか(爆)。

物語は、上昇志向の強いお役人が、四国で発生したある大量死の調査を任される。何者かのテロであるという政府の既定路線に敢えて疑義を唱え、ウィルス・細菌などの突然変異であると主張する男はやがて現場である死地に赴くのだが、そこで彼が見たものは、――という話。

このお役人には、かつてライバルのカノジョを横取りし、さらにはこのライバルを左遷させたという暗い過去があり、今はそのカノジョと妻としているものの、こうした過去の傷が何となーくトラウマになっている様子。とはいえ、この暗い過去を前半から臆面もなく晒してみせているがゆえに、読者からするとどうにも形勢不利な主人公に感情移入ができないのがかなりアレ、――とはいえ、この主人公を突き放した設定・描写の数々もおそらくは作者の企みに違いなく、男二人が一人の女を取り合うという古典的な様式美を活かした物語の下地づくりは、バリバリのコード型本格の様式美によって物語を構築してみせた講談社ノベルズのシリーズにも通じます。

政府が、テロか、それともウィルスなどの突然変異によるものなのかという二者択一を迫られる中で、主人公は突然変異説を強弁するものの、何しろウィルスであれば当然発見されるべきブツが見つからない。そこで政府は一気にテロ説へと傾いていき、さらにはテロ説を裏付ける新たな証拠が挙げられるにつけ、主人公は絶体絶命のピンチに追い詰められていくのですが、――まず、この二者択一の揺らぎから、最後まで二転三転していく展開は、ストレートに物語が進行していくパニック小説よりも、ミステリに近いです。いったい大量死の原因は何なのか、仮にそれが主人公の主張する突然変異だとすれば、何故病原体が発見できないのか、さらにはテロ説を裏付けるあるブツが何故見つかったのか等々、――物語が進むにつれて立ち上る様々な謎が後半、一気に収斂していく展開は素晴らしいの一言。

形勢不利な状況からライバルとの和解を経て、一発大逆転を狙う主人公が、皆を集めて大団円を企む見せ場など、まさに本格ミステリの謎解きシーンにも通じる外連も痛快で、主人公の口から繙かれる大量死の真相を聞くにつけ、前半から大胆に明示されていた様々な事象のすべてが真相にたどり着くための伏線だったことが明かされていきます。正直、この伏線回収の妙は、見取り図を見れば一目瞭然という講談社ノベルズとはまったく異なる質感で、これが同じ作者の手になる物語であることが俄には信じられず、……というのは大袈裟ですが、例えば病原体が採取されない理由づけなどは、まさに本格ミステリの誤導の技法を大胆に用いたものともいえるし、コード型の様式から離れた舞台で、ここまで巧みに本格ミステリの技巧を活かしつつ、それをパニック小説へと昇華させた作者の力量は生半なものではありません。

数学がなくても、――といいつつ、一応ウィルス関連でそれなりの衒学を披露してみせるものの、それらはすべて後半にこの災厄の真相を明かすために必要なものであるし、簡潔にして要を得た説明は、テロ説と突然変異説の揺らぎにシッカリと組み込まれて、非常に説得力のあるものとなっています。

唯一、欠点に”見える”要素があるとすれば、主人公とライバル、さらには一人の女を巡る人間関係が皮相的でドラマチックでないことですが、ライバルの男の心変わりや、後半にあっさりと和解したあと二人がいいカンジに落ち着いてしまうところなど、人間の生死をテーマに据えるがゆえに濃密な人間ドラマの描かれることが期待されるパニック小説のジャンルにおいて、本作はあまりにアッサリしすぎてはいまいか、――ロートルからはそうした批判があるのではと推察されるものの、この点に関しては、本格ミステリを愛する作者が用意した巧妙な「どんでん返し」を経て、物語はシンプルなパニック小説から、昭和時代を彷彿とさせる陰謀論を凝らした謀略小説へと転化していくラストを読めば、主人公をはじめとした主要登場人物たちは単なる「駒」に過ぎないことは明らかでしょう。市井の人間の濃密なヒューマンドラマと、陰謀・謀略の対比が小説としても重みとコクを生み出していたのが昭和の小説だとしたら、本作はそうした定石ともいえる対比を敢えて忌避して、作中の人間など神の視点から見れば所詮は「駒」に過ぎないという、新本格以降のドライな人間観が現代風ともいえます。

あらすじだけ読めば、本格ミステリとは縁もゆかりもない、直線的な展開を軸にしたパニック小説のように見えるのですが、蓋を開けてみれば、大胆な伏線にミスディレクション、謎解きシーンの外連やどんでん返しによる世界の反転など、本格ミステリの作者でしか書き得ない作風が素晴らしい物語でありました。「数学もないし……」「見取り図がないし……」なんて、あらすじ紹介からスルーしている作者のファンは勿体ない。これは絶対に「買い」でしょう、――と大きな声でアジテートしてしまうわけですが、しかしまあ、講談社ノベルズのあの作風から、作者の資質を見抜いて本作のようなパニック小説を書かせてしまった角川の担当編集者にはまさに脱帽。本作をシリーズ化するのは難しいと思いますが、是非ともこちらの作風の作品をドシドシ出していってもらえればと期待する次第です。