ずっとあなたが好きでした / 歌野 晶午

ずっとあなたが好きでした / 歌野 晶午傑作。どうしても、どうしても『葉桜』と比較してしまいたくなる作風なのですが、『恋愛短編集』として見た本作の最後のタイトルが「散る花、咲く花」であるところから、おそらく作者も読者にそうした読み方をされることは折り込み済みではないかとも思われます。いずれにしろ、本作は『葉桜』と並べることで、その物語とテーマはより強く光り輝くという点で、『葉桜』に比肩しうる、――というよりは『葉桜』と並べて語られるべき作者の新たな代表作といった方が良いのカモしれません。

ネタバレを回避するためには、ここらでペンを置いて、あらすじやその仕掛けについては言及しないのが肝要かと推察される一冊であるわけですが(爆)、それではアンマリ面白くないので、ひとまず要所要所で文字反転を添えながら本作の魅力について語ってみたいと思います。ジャケ帯には『サプライズ・ミステリーの名手が贈る、時にみずみずしく、時に生々しい恋愛小説集……だが!?』とあり、本作の体裁は目次からして一見すれば、いかにもな「恋愛小説集」に見えるのですが、それが罠。いかにも作者らしい、『葉桜』とはまた違った仕掛けで魅せてくれます。

――と、ここでさっそく文字反転を入れますが、「恋愛小説集」という通りに、冒頭の「ずっとあなたが好きでした」からあるボーイの恋愛物語が語られていくわけですが、それがどうにもスッキリしない、いかにも尻切れトンボな終わり方をするものですから、たいていのミステリ読みの方であれば、ここで「この”続き”が次の短編に大きく絡んでくるのではないか」と想像を巡らすに違いありません。つまり、「恋愛短編集」を、いかにも本格ミステリ読みが好みそうな「連作短編集」として、一つ一つの、一見バラバラに見えた物語が実は全体を俯瞰したときには繋がっていて、――という結構をイメージするわけですが、続く「黄泉路」はイマドキのネットを用いた集団自殺を扱っており、冒頭の「ずっとあなたが好きでした」とはかなり趣が異なる仕上がりであるため、まずもってこれらがどう繋がっていくのかが判然としない。さらには集団自殺と見えた中にもさりげなくミステリ的なコロシが織り交ぜてあるものですから、一つの事件を多角的な視点から考察した展開でいくのかと想像していると、これまたかなり予想とは違った方向へと「恋愛小説集」の中の一編一編は展開されていきます。

こうした「恋愛小説集」としての短編の連なりには一見するとまったく関連性が見えない、というか”見せない”ところが作者の類い希なる騙りの技巧の巧みさであり、こうした仕掛けを気取らせない書き方の中では、作中の時間軸を曖昧にして、作中人物や事件の連関を悟らせないような工夫が凝らされているところが秀逸です。

物語は後半に至っても同じと思わせるシーンは現れず、それぞれが完全に独立した恋愛物語であることを確信させながら進み、最後の最期、――正確には「錦の袋はタイムカプセル」で意想外な繋がりを見せ、「恋愛小説小説集」に見えていたものが、哀しみとおかしさを織り交ぜた怒濤の「大河小説」であったことが明かされる仕掛けにはもう脱帽。正直に告白すると、――読んでいる最中は、「連作短編集」に見せながらその連関の手の内をまったくうかがせない構成と、ミステリ風味の希薄な恋愛物語が続くことで、中盤はやや飽きてしまったのですが(苦笑)、この長さは必然と思わせる構成には大いに納得で、これがたかだか三、四編で構成される「恋愛小説集」であれば、「錦の袋はタイムカプセル」で明かされる真相にそれほどの驚きも感心も生まれなかったような気がします。

またこの長さは、物語の時間軸が不連続であることを悟らせないためにも必要で、これがあるからこそ、ある物語における作中人物とこの「大河小説」の主人公との邂逅が描かれるそれ以後の物語がより心に沁みるわけで、一見すると無駄に思えた構成と仕掛けのすべてが、この驚きとドラマの感動に寄与しているという戦略、……この凄さを形容する言葉が思い浮かびません。

仕掛けを明かしてハイオシマイとならないところが、また本作のさらなる凄みでもあり、特に「ずっとあなたが好きでした」というタイトルに込められた二人の人物の”思い”が精妙な重なりとすれ違いを見せるダブル・ミーニングが心憎い。

というわけで、大変な傑作なわけで、あとはもう読むしかないッ、という言葉を添えておしまいとするのが定石ながら、蛇足ついでにもう一つ。これも念のため文字反転しておきますが、最後を飾る「散る花、咲く花」で主人公が”花占い”をするために文房具店を訪れ、六一本の薔薇を買おうとするエピソードがイイ。結局、薔薇は十二本しかなく、彼はある行為を諦めることになるのですが、なぜ十本でも二十本でもなく、十二本だったのか、――、いや、言葉を換えればなぜこの薔薇が十二本で”なければならなかった”のか……。ここからは自分の妄想ですが、「遠い初恋」の中で、彼が一目惚れした転校生の誕生日について「十一本の蝋燭の火が吹き消され」という記述があります。ここから、この年にこの物語の主人公は十一歳か十二歳であったことが仄めかされている、――と考えることはできまいか。だとすると、この人物が再び「錦の袋はタイムカプセル」において、ある人物に対して「そう、これ、……(略)の伝言だから。今の僕が告ってるんじゃないから(略)」という台詞が非常に意味ありげなものに見えてくると思うのですが、いかがでしょう。「ずっとあなたが好きだった」という告白の証としてある人物に贈られるべきだった六十一本の薔薇は、ある運命的な悪戯によって、……これを天(作者?)の配剤だとすれば、この人物には十二歳の気持ちにかえって再びあのときから新しい恋愛を始めるべきであると、天が示しているような気がする、……というのがあまりに穿った読み方でしょうか。さらに十二との関連でいえばこの仕掛けが明かされるのが「恋愛小説集」としては”十二”編目の「錦の袋はタイムカプセル」で、最後の最期に新たな恋の予感で物語全体の幕が閉じられる「散る花、咲く花」が、十三編目であることもなかなか興味深かったりするのですが、こういう邪推もあまりに過ぎると野暮なのでこれくらいにしておきます(苦笑)。

作者の新たな代表作の誕生、ともいえる本作。確かに相当な傑作ではありますが、最初に述べた通り、この物語は『葉桜』と並べることでより光り輝くものであるゆえ、個人的には歌野ビギナーの方はまず『葉桜』の方を読了しておくことをさりげなくオススメしておきまたいと思います。歌野ファンであれば、自分のような輩が口にするまでもなく必読、でしょう。