『江口敬 写真展 風の向こう側』@風花画廊・珈琲楓舎

先週の金曜日から土曜にかけて、福島市の風花画廊・珈琲楓舎にて現在開催されている『江口敬 写真展 風の向こう側』を観てきたので、簡単ながらここへ感想を書き留めておきたいと思います。氏の写真展は、2013年の小伝馬町iia galleryで開催された『Life is beautiful −光の森−』からずっと追いかけているのですが、同じく13年に銀座のArt Gallery M84で観た『音のない言葉』や昨年の『風姿』と今回が大きく異なるのは、ぼんさいや「あべ」・阿部大樹氏の盆栽作品とのコラボであるというところ。

写真と盆栽という、一見すると分野も異なり交わるところのないように見えるおのおのが一つに空間に置かれたときどのように共鳴しあうのか、――というところにまず興味がいくわけですが、自分はそのとっかかりにと、会場へ向かう前、福島の地方紙『モンモ』を取り寄せてあらかじめちょっとした復習を済ませておきました。『モンモ』の初夏号には「ふくしまの手しごと 作り手を訪ねて」と題した記事が掲載されてい、それによると、大樹氏の祖父・倉吉氏は『昔は松の苗木を山から採取して盆栽にしていたものを、「このままでは山の自然を守れなくなってしまう」と営林署へ出向き、許可を得て松を種から育てる「実生」の技術を確立させた』ひととのこと。

自分の頭にイメージとしてある盆栽”作品”といえば、作品になりえる樹や草をみつくろって”仕上げ”ていくものだと思っていたので、この「実生」という考え方と技法はちょっとした衝撃でした。写真であれば、シャッターを押すその”瞬間”にそのすべてがあるといってもいい写真芸術ともいえ、種から仕上げていく「実生」との間には、その時間軸に大きな差異があるように感じられますわけですが、その一方で、いま少しこの点について深い考察を進めていく必要も感じられます。

江口氏の作品は、抽象化を極めていくことでその被写体の実相や本質を明らかにしていくという点が、一般的な写真作品とは大きく異なるところでしょう。いわば氏の作品において、シャッターを押したその”瞬間”は、一枚の「写真」が芸術の萌芽へといたるささやかな第一歩に過ぎないともいえる。だとすると、絵画や他の芸術作品にはない写真芸術だからこそありえる「シャッターを押す」という”瞬間”の行為は、奇しくも盆栽の「実生」という考え方や技法の端緒となる「種を蒔く」という行為と同じものと見ることもできるのではないか。そしてこの写真と盆栽という二つの芸術における不可思議な相似は、江口 氏と阿部氏二人の作風と技巧だからこそ、――ということに気がつくと、今回のコラボはある種の奇跡ともいえるかもしれない、……なんてことをつらつらと頭の中で考えながら、興味深く展示された作品を鑑賞した次第です。

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個人的に一番惹かれたのは、この写真の空間(写真作品のタイトルは『氷河期行き急行列車』)。毎日盆栽作品の入れ替えがあるとのことなので、今日行って同じものを見ることができるかどうかはまったくの未知数なのですが、写真と盆栽という二つの芸術作品によって構築された空間の強度と美しさは半端なく、珈琲楓舎のマスターに淹れてもらった限定ブレンドの「SETSUNA」を味わいながら、その素晴らしさをイッパイに堪能することができました。

なお、会期は来月の六月六日まで。写真と盆栽のみならず、写真と他分野の芸術作品とのインスタレーションに興味がおありの方にもオススメしたいと思います。