網内人 / 陳浩基

傑作。すでに世界各国で翻訳刊行されている前作『13.67』に続く作者の新作。『13.67』が過去から現在へと遡行していく構成によって香港の歴史を重層的に描き出した”外向き”の作品だとすると、本作は香港のまさに現在進行形の姿を描き出した”内向き”の作品といえるでしょうか。

物語は、自宅の高層アパートから飛び降り自殺をした妹の死の真相を知るべく、探偵に依頼を行った姉は、調査が進むうち妹を自殺に追いやった「犯人」の姿を知る。そしてその人物への復讐を件の探偵に託すのだが、――という話。

『網内人』というタイトルから想起される通り、ネットに関連した先端技術を駆使して、妹を死に追いやった人物を探り当てていく展開に、リアリティのある専門的知識を交えた趣向が素晴らしい。日本にはすでにその分野では先駆者にして先頭をひた走る鬼才・一田和樹が存在しますが、華文ミステリでここまでネットの技術を盛り込んで物語をつくりあげた作品は(自分の知る限り)ないのではないでしょうか。ヒロインと探偵の視点から描かれる前半の「調査・推理」のパートのみならず、次なる「復讐」の段階においても、盗聴やドローンによる監視などをリアルでも実際に行われている技術をふんだんに盛り込んで息詰まる展開を魅せてくれます。

前半の犯人捜しにおいて、ネットのなりすましによる書き込みとその背後に隠された悪意や、秘められた人間関係などが明らかにされていくところは期待通りながら、それが復讐へと移行する過程で、妹の内心と周囲の人物の秘められた思いがヒロインの前で明かされていく描写が悲哀を誘います。妹の死には明確な善と悪の対比だけでははかりきれない様々な要素が混在しており、そうした単純化できないリアルの複雑さは、本作における探偵の造形にも表されています。探偵のあだ名がギリシャ神話のある神に由来することは中盤で明らかにされるのですが、この神の持つ二面性が、ターゲットへの苛烈な復讐を押し進める悪魔的な要素と、復讐に燃えるヒロインを諭すという、善悪の単純な二極対立では推し量ることのできない探偵の複雑な造詣を見事に表している趣向も二重丸。

憎悪が憎悪を量産させていく「システム」としてネットがそのツールとして機能しているというリアルのさらにその先を描き出しているのが本作の真骨頂で、本作のヒロインである姉と探偵のパートと、復讐のターゲットとなるある人物の視点に加えて、さらにもう一つ、一見するとヒロインの復讐行為には関係ないとしか見えないパートが最後の最期で痛快な連関を見せる構成が素晴らしい。

『遺忘・刑警』(『世界を売った男』)のプロローグに描かれた幻想が最後の最期で回収される趣向や、『13.67』における冒頭の「黑與白之間的真實」と最終章の「Borrowed Time」を対置させた妙味など、物語を牽引する本線の背後に「騙り」の技巧をしっかりと絡めて読者をあっといわせた作者らしく、本作にもそうした仕掛けは健在です。『13.67』ではその仕掛けによって明かされる真相が、イギリスと中国という大国に翻弄され続けた香港の歴史的悲哀を描き出していたのに比較すると、本作では痛快な復讐劇へと繋げる見せ場として機能しているところが異なるのですが、この仕掛けの印象は『氣球人』に近いカモ知れません。

社会派という点では、『13.67』に通じる作風ではありますが、本作では、なりすましや学校裏サイトなどネット社会の闇みならず、貧困家庭や格差の問題など、まさに香港の今日的な問題を登場人物の視点を借りて描き出しているところに注目でしょう。そして”日本人にとって”驚くべきは、――中国からの移民を受け入れ、経済的繁栄を享受してきた「香港の今」の問題をテーマにしているにも関わらず、ここで詳らかにされている問題のほとんどすべてが、「日本の今」にも当てはまってしまうというおそるべき現実でしょう。

中国からの移民をルーツとするヒロイン家族の悲壮な生活、さらには弱者の権利などいっこうに顧みられない労災制度、家族全てを失ったヒロインが今のアパートを出て行かざるを得ない借家制度、学校裏サイトによる噂話の蔓延とそれによって自殺に追い込まれる子供、ネットで空虚な正義を振りかざし、真実を追求することもなく安易に天誅を下そうとするネット社会の群衆、さらには満員電車における痴漢事件などなど、ここに描かれる小説的現実は、そのまま日本を舞台にしても成立してしまうという恐ろしさ――。本作に描かれる物語は、大陸との関連性によって浮かび上がる香港のリアルであるのみならず、同時に、強欲なグローバリズムによって蹂躙される日本の現実そのものではないか、――と”日本人の視点”から読み解くこともできるような気がします。

そうした悲壮な現実を描き出しているのみならず、本作は同時に、1%のエスタブリッシュメントとその他99%の人間に分類されてしまうグローバリズムの必然的帰結の中に生まれたシンデレラ・ストーリーとして読むことも可能でしょう。そしてそうした奇跡を生み出すものが何であるか、――本作では、ヒロインの強い意志と選択から生み出される果敢な行動力に、探偵の視点を重ね合わせることによって、この悲壮な現実から”幸福な”未来へと続く道筋を指し示しているような気がしてなりません。

いうなれば、本作は、現在から過去へと辿っていく構成によって、香港の取り戻せない過去への郷愁と現実への失望を描き出した『13.67』と対をなす作品といえるのではないか。強い意志と行動を持ってこの悲壮な現実への失望を超克し、まだ描かれていない幸福な未来を作り出していくべきではないか、――という作者からの強いメッセージを感じた次第です。そうした主張を決して重い言葉で語ることなく、抜群の感性とエンタメをも交えて描き出した本作。すでに韓国の出版社が版権を獲得したという話も耳にしましたが、『13.67』とともに作者の代表作となりえる逸品であることは間違いありません。オススメです。

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なお、本作を読む前に、MONDO GROSSO の『ラビリンス 』のPVを見てしまったため、物語を夢中で追いかけている間、ヒロインの阿怡が満島ひかりで脳内再生されていたのはナイショです(爆)。

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