愚者の毒 / 宇佐美 まこと

『入らずの森』を読んだのが2009年で、それ以後はまったくのノーマークだった宇佐美氏の新作、――といっても刊行されたのは昨年秋のことですから、もうかなり経っています。第70回日本推理作家協会賞を受賞したということで、つい最近偶然にもその存在を知ことになった本作ですが、巷の評価に違わぬ大傑作でありました。

物語は、職安で偶然に知り合った二人の女性。そのうちの一人がもう一人の彼女の紹介で家政婦としてとあるお屋敷で働くようになるのだが、人の良い当主が亡くなったことをきっかけに、語り手の女性の運命にある変化が起こり、――という話。

日本推理作家協会賞受賞作というからには当然”そうした仕掛け”があるわけですが、怪談・ホラー作家が書いた推理小説だと甘く見ていると見事な不意打ちを喰らうという逸品で、まず一九八五年、一九六五年、二〇一五年というふうに三つの時間軸を「第一章 武蔵野陰影」、「第二章 筑豊挽歌」、「第三章 伊豆冥海」という章題ともとに三つの土地に配置した構成が素晴らしい。「武蔵野陰影」では三つの年代のうち真ん中、一九八五年の出来事が主に描かれ、そこへもっとも新しい、――現在の視点となる二〇一五年の出来事をさりげなく交えて物語は進行していきます。この二つの年代の交え方が巧みながら、ミステリの読み達者であれば、この語りになんとなく違和感を覚えつつ、そこに隠された仕掛けには気づいてしまうかもしれません(自分がそうでした)。

しかしながら、作者が凄いのは、第三章においてあっさりとこの仕掛けを開陳しつつ、”三つ”の時代と、”三つ”の土地が物語の構成を支える舞台でありながら、”二人”の主要登場人物だけがその構図の中心点にいるものと誤認させつつ、過去のシーンにさりげなく描かれた身体特徴を伏線として、物語の構図を担うべき残る一人の影をその重なりの中にあぶり出し、さらにそこからおそるべきモンスターの存在を明かしていく構成でしょう。

言うなれば、その騙りの仕掛けを捨て駒として、現在の二〇一五年へと繋がる二人の登場人物の壮絶にして悲壮な半生を描き出すその筆致はまさに作者の真骨頂。冒頭から描かれている現在たる二〇一五年の情景から、語り手ともう一人の人物が無事であることは明々白々なのですが、それでも消し去ることのできない不安な影、――一見すると平穏に見える「第三章 伊豆冥海」でさらにまたもう一つのカードを裏返して、タイトルにも繋がるもう一つの重なりを明かすとともに、最初期の寿行センセっぽいミステリ・トリックまでブチ込んで展開する犯罪の不可思議さ、おそろしさにはもう脱帽。

筑豊から伊豆という直線描写によって、すべての暗い過去は完全に消し去られたかと思いきや、一九八五年における武蔵野の暗き陰影を体現した”Nevermore”の出現によって、語り手はふたたび過去と対峙し、最期には救いとも、また奈落ともとれる悲劇を体験した後、物語は幕を閉じます。

そしてこの最期の悲壮をいっそう高めているのが(ネタバレなので文字反転)、中盤まで「現在」の語り手が葉子か希美のいずれかという推測を読者に与えて、そこに仕掛けの騙りがあることを気取らせながらも、それを終盤まで温存することなくあっさりと開陳してみせることで、あたかも物語を折り返した一枚の紙のように、葉子の視点と希美の視点とを”等価”にしてみせたことでしょう。仕掛けが明かされたからといって、語りの主導権のすべてが希美に託されたわけではありません。葉子の視点から描かかれた「武蔵野陰影」の逸話の数々は読者に強烈な印象を与えているがゆえに、真の語り手たる存在を中盤において明かした希美は、葉子の影を振り払うことはできない、――それはあたかも武蔵野での生活以降の葉子の人生そのもののようであり、それがまた物語の悲壮さをいっそう際だたせているように感じられます。

さらに葉子の視点から描かれていたユキオに関する事実が、読者にとっては明々白々な事実にもかかわらず、最期の悲劇が発生するまで、ついに物語の語り手でありこの物語の主導権を握っていた希美は知らなかったということも悲哀を誘います。

本作における、騙りの仕掛けを大胆に捨ててみせたからこそ際だつ後半の悲劇性は、何よりも読者を驚かせることを第一義におくミステリ作家ではさらっと書けないのではないかなァ……と感じた次第です。そうした意味でも、本格ミステリとはまた違った技法の語りと語りを必要とする怪談作家としてスタートした宇佐美氏であったからこそ、ものにできた”ミステリー”の傑作といえるのかもしれません。デビュー当時から、岡部えつ氏とともにそのミステリーの才能に注目していた自分としては、かくもおそるべき作品を書いてしまった作者の次なる一手に期待しないわけにはいきません。次はどんな手を、そしてどんな騙りをもってして読者を愉しませてくれるのか。宇佐美氏の次作を期して待ちたいと思います。

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