片翼の折鶴 / 浅ノ宮 遼

傑作。現役医師の作者による医療ミステリ、――とのこと。収録作は、ある病的な嗜好が災いして貧血の原因を特定できない患者のホントの病気を探り当てる「血の行方」、特殊な脳の病状から幻覚を見る人物の証言を巡って、不可能犯罪の謎解きが二転三転する「幻覚パズル」、臨床講義で教授が出した不可思議な変異に学生達が取り組む傑作「消えた脳病変」、様々な検査を尽くしてもやさぐれ患者の病状を特定できない不可思議に、臨床探偵の観察眼が光る「開眼」、倒叙の形式を借りて、現在進行形の殺人とその暴露に夫婦の秘められた思いを明かすこれまた傑作「片翼の折鶴」の全六篇。

冒頭の「血の行方」は、前々からとある病的な嗜好を持っていた患者の貧血の原因は何か、――と、まさに医療ミステリらしい、病状の真の原因を特定しようとする物語。ド派手な事件も起こらず、医学に明るくない読者を置いてきぼりにして、最後にわッとばかりにあるモノを明らかにして貧血の真相を明かしてみせる趣向から、アンフェアも何も、とにかく医学知識のマッタクない自分には「ふうん……」という感慨しか湧かなかったのですが、続く「幻覚パズル」で評価は一転。

こちらは、訳アリ家族の一軒家での暴行事件に、被害者の逆行性健忘症や、レビー小体型認知症といった専門知識も交えて、関係者の証言から事件の全容を繙いていこうとする物語。次々と入れ替わりに「探偵」たる医者が登場して、信用ならない証言から、不審人物は果たしてリアルなのか、それとも幻覚に過ぎないのかなどを推理していく展開が素晴らしい。そしていよいよあらゆる可能性を消去しつつ、それでも残る不審点に合理的な解答を見出そうとした刹那に立ち現れる意想外な真相、――傍点付きで語られるこの事実の反転ぶりには思わずのけぞってしまいました。消去法を繰り返していくうち、螺旋を描きながら真相へと次第に近づいていく推理部分の展開の素晴らしさと、それまで推理の前提としていたある事柄が、矛盾点を突き詰めた結果として反転する趣向の見事さなど、まさに医学の知見と本格ミステリの技巧が最高にスリリングな出会いを見せた逸品でしょう。

続く「消えた脳病変」は、前二編で「探偵」を務めた臨床医師がまだ学生だったころの物語で、脳外科の臨床講義において、教授が実際に体験したという事柄を問題編として提出し、その真相を当ててみよ、と学生に迫ります。タイトルにもある通りに、脳病変が消えてしまったという不可解に対して、「医学的に」どのような説明が可能か説明して見よ、と――そもそもこの問題の提出方法自体に巧みな罠が隠されてい、医者の卵たちは悪戦苦闘してみせるのですが、これは案外、医学知識のマッタクない本格ミステリファンの方が、「消えた脳病変」に関して”のみ”は、合理的な解答を提示することができるのではないでしょうか。実際、自分も「これしかないでしょ」と考えた通りだったのですが、それでもなぜそれが臨床の現場において「消えた脳病変」という謎に”変化してしまった”のか、――その謎は依然として残ります。そこに学生であった本作の探偵が鮮やかな視点を明示して、思わぬ事実を明かしてみせるどんでん返しが素晴らしい。教授と生徒という関係、さらには弱者である患者と、臨床の場においては絶対的な立場にある医師という関係性を一息に崩壊させるその驚くべき事実、――さらにはその事実こそは、「問題編」そのものに仕掛けられていた巧妙な誤導の端緒でもあったことが明かされるにいたる外連の見事さなど、まさに傑作と呼ぶに相応しい一篇です。

「開眼」は、体の不全からすっかりやさぐれてしまった患者の呼吸器に関する病状の真の原因は、――というもので、真実の病名を探り当てるという趣向は「血の行方」と同じではあるものの、こちらはある種の合わせ技を用いた結構が面白い。「血の行方」では患者の過去が誤導となって医師たちを惑わせていたのに対して、こちらでは医師が今目の当たりにしている患者の様態そのものが、その病気の真相を隠してしまっているといるところが異なります。ここでも探偵役を担う臨床医師が患者に対してある種の鎌を掛けて、鮮やかにその真相の裏撮りを行う仕掛けがスマート。

「片翼の折鶴」は、病気になった妻を殺害しようとする旦那の視点から語られる倒叙ものながら、探偵が明らかにする真相でもっとも読者を驚嘆せしめるのは、犯行における犯人の失策ではなく、犯人が殺害を決意したその動機と経緯であり、これにはさりげなく伏線となるシーンが投入されていたものの、まさかこれが犯行動機に大きく関わっていたとは意想外。犯人もまた同じ医者であることからたくみな頭脳戦が展開されるのですが、倒叙ならではの、犯人側の視点でしか犯行の様態を観察できない構成を活かして、被害者である妻の内心を読者の目線から隠し去った趣向が心憎い。そして探偵の推理によって明かされる犯人と被害者の悲痛な思い、――まさに本格ミステリの技巧によって人間ドラマを描ききったこれまた傑作といえるのではないでしょうか。

医療ミステリというと、医学の知見などこれっぽっちもないボンクラには関係ないデショ、と思って敬遠していたのですが、本作は大当たり。とくに「消えた脳病変」と「片翼の折鶴」は、医学知識を抜きにしてもその技巧の見事な構成から、端正にして濃密な本格ミステリの愉悦を堪能できる物語に仕上がっています。オススメでしょう。

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