何年も昔に、ふしぎ文学館から刊行された『べろべろの、母ちゃんは…』を手に取って以来、古本屋で見かけてはコツコツと集めてきた宇能鴻一郎の一冊。『痺楽』と『逸楽』と同様、本作もなかなか見つけることが難しく難儀していたのですが、最近になってようやくゲットすることができました。
収録作は、デカ女大好き男が、その奇妙な嗜好の深奥に秘められた源泉を知り、甘美な奈落へと堕ちていく「巨女渇仰」、古代彫刻の肉体美に魅せられた男が、実家でその”代用品”の使い道を見つけたあげくの末路を描いた「プラスティックの妻」、伝説となったホモ男の軌跡を辿る「公衆便所の聖者」、学生時代にフラれたトラウマから”ニヒル”な男になるべく奮闘する男の悲喜劇「ニヒル病患者」、自らの臀部の美しさに目覚めた青年の甘美な地獄「恍惚の玩具」、インドで美少年と出会った優秀な商社マンの転落を描き出した「魔楽」の全六編。
基本、自らの怪しい性癖によって人生を台無しにしてしまった男たちの物語なのですが、その中へユーモアや近代史などを隠し味とした逸品料理へと仕上げてしまうのが作者の真骨頂でありまして、冒頭の「巨女渇仰」は、中でもかなりユーモアへと振り切った一編でしょう。演出家で美人な奥さんもいる男がデカ女にハゲデブと罵られたい、――という心の奥の渇望を満たすべく、イマドキの若い美女に入れ込んだものの、あっさりと弄ばれるだけで、……とここからがこの物語の本番です。アングラ劇団の演し物で見かけた頭の足りないデカ女を引き取ったあげく、彼女との奇妙な暮らしを始めた主人公の末路がおかしくも、もの哀しい。ここでは、彼のデカ女大好きのさらに奥に隠された本当の変態嗜好が暴かれる後半と、すべてが明かされる瞬間を第三者の視点から描いてみせた幕引きが素晴らしい。
「プラスティックの妻」は、古代彫刻の美しさに惹かれたボーイの哀しき末路を描いたこれまた逸品です。まだガキの頃に実家の洋裁屋にあったマネキンと怪しげな宴を愉しむ前半部のシーンが秀逸で、生身の女とのセックスをトラウマとしながら、ごくごくフツーのリーマンとして所帯を持つこともできた主人公が、とあることをきっかけに再びかつての嗜好に覚醒して奈落へと全速力で堕ちていく急転が悲哀を誘います。幕引きのシーンは「巨女渇仰」にも通じる狂気と恍惚をぶちまけたナイスなもので、これまた作者しか書き得ない変態小説の秀作でしょう。
「公衆便所の聖者」は、確か『べろべろの、母ちゃんは…』にも収録されていた逸品で、いまこうして読み返してみると、ある人物からの伝聞をもとに冷静な筆致でその体験を描いていくというのが、作者の変態小説における一つのフォーマットだったのだな、と気づかされます。本作に収録されているものだと、表題作の「魔楽」がまさにそれで、インドで出遭った日本人の男性の転落劇が淡々と語られるのですが、真面目な商社マンだったこの人物が、赴任先のインドで美少年と知り合ったばかりに男色へとのめり込んでいく、――という話。この前に、家臣と家来の関係が云々と、少しばかり難しい蘊蓄が語られるところが宇野節で、「公衆便所の聖者」ではそうした哲学的知見が、最後のシーンに描かれる廃屋での虚無感を見事に引き立てていたのと同様、本編でもインド少年との主従関係がある事件をきっかけに逆転する構図へ説得力をもたせている構成が秀逸です。
「恍惚の玩具」は、作者の満州体験をチラリと想起させる味付けが見事な一編で、自らのお尻の美しさに目覚めてしまったナル男が、様々な遍歴のあげく彼の地で出自とは大きく異なる転落人生を送っており、――という物語。かれ自信の手による暗喩を凝らした手紙によって語られる現在の境遇を、語り手による第三者の視点から分析してみせるエピローグが恐ろしい。彼の地での歴史的背景を重ねてみせることで、日本人読者の内奥にあるマゾヒズムを惹起させる趣向が冴えています。
「ニヒル病患者」はこれまた思いっきりユーモアへと振り切った一編で、かなり好み。変態嗜好にくわえて、男ならではのばかばかしい振る舞いを誇張して描き出した本作の主人公もまた、若い頃のトラウマが変態コースへのスタートラインとなっており、それが「ニヒル」という、――最近ではあまり耳にもしない言葉の曖昧な意味づけをめぐる問いかけによって、男を阿呆らしい振る舞いへと駆り立てていく展開が素晴らしい。ニヒル探求が頓挫しかけた刹那、恩寵のごとく訪れた災難によって陽気で元気マンマンな男性から、見かけだけは陰キャラへと変じた主人公が、ロックオンした女性を振り向かせるべく奔走します。しかしこれまた宇野ワールドの法則とおりに、その思いは決してフツーの形で成就することなく幕引きとなるわけですが、ここでも「巨女渇仰」と同様、表に見えている行為に加えて、主人公が抱いているもう一つのある変態嗜好をさらりと添えて、甘美な幕引きを引き立てた趣向が心憎い。
いずれも恋愛小説ならぬ変態小説というジャンルにおいては、戸川昌子女王と並んで孤高の存在とも言える”当時の”作者の勢いを感じさせる一冊といえるのではないでしょうか。しかしとにもかくにも入手が難しく、また再版などはとうてい期待できないところがチと哀しい。ちなみに自分が手に入れたのは、昭和四十四年に講談社から刊行されたもので、奥付を見ると、第2刷となっていました。こんな変態な小説でもしっかりと重版されているところが、キモチワルイというか羨ましい限り。『べろべろの、母ちゃんは…』でさえも入手が難しい昨今ですが、官能小説とも違う「変態」をご所望の好事家であれば、探しまくってでも手に入れる価値はアリ、といえる逸品でしょう。オススメです。
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