ただいま来日中の台湾“妖怪小説”作家・何敬堯。タイムリーなので、今日は作者のミステリ作品を取り上げてみたいと思います(というか、自分はこれしか読んでおらず、最近ブームの妖怪本については未読)。本作ですが、妖怪ものではなく、ミステリ。とくにタイトルに「怪物」「迷宮」という言葉がある通りに、人の心の闇と狂気をミステリ的な事件に絡めて綴った短編集で、堪能しました。
いずれの作品も盆城なる台北をモチーフにしたと思しき架空都市で起こった事件を描いたもので、収録作は、撮影目的で忍び込んだ廃墟ビルでおぞましい光景を眼にしてしまった平凡ボーイが悪夢にうなされた挙げ句、狂気へと堕ちていく「夢魘犬」、誘拐された娘を取り戻そうとする母親の奔走と、駅爆発事件の犯人で子供を失った男の執拗な追跡が重なり合う「惡鬼」、夜の水族館で発生した不可解な毒殺事件が暴き立てるある真相「姆指珊瑚」、いかにも怪しい男の誘いに乗って山中にある滝を観に行くことになった夫婦ととある中年婦人の顛末を描いた「山魔的微笑」の全四編。
前半の「夢魘犬」と「惡鬼」の二編は、読者の前に明示された二つの事件が次第に重なりを見せていく結構が秀逸で、「夢魘犬」ではある廃墟ビルでおぞましい死に様を晒していた人物と、詐欺グループの首謀者が同姓同名であったという偶然を知ってしまった主人公が、死の真相を追いかけていくうちに狂気の闇へと引きずり込まれていくという物語。ここでは主人公の狂気を主観から描くのではなく、むしろその狂気へと没入してしまった主人公を最後に俯瞰して描いてみせたことで、タイトルにもある「怪物」へのおぞましき変貌を活写した幕引きが恐ろしい。
ミステリとしても秀逸なのが、続く「惡鬼」で、娘を誘拐された母親が、犯人の思惑によって操られ行き着いた先が、かつて爆発事件のあった廃駅で、――というシーンと、くだんの爆発事件で子供を失った刑事がその犯人と爆破事件の真相を追いかけていくシーンとが平行して描かれていきます。娘を誘拐された母親のなんとしても最愛の娘を護ろうとする美しき母性愛が、爆発事件の真相の明かされた瞬間、まったく違った様相を見せる趣向が心憎い。ここに描かれているのは、善悪という理性的判断を超えた、狂気にも近い“愛”なのですが、これを爆発事件を追いかけていく刑事の、――父親の視点から裏返しにして見せたところが秀逸です。
「姆指珊瑚」は、夜の水族館を舞台に珊瑚の産卵という幻想的な情景を前に突如発生した、海の王子ならぬ海のプリンセスの毒殺事件を描いたもの。チヤホヤされているであろうプリンセスの心の暗い内面が謎解きを介して明かされていく、――という、毒殺事件を軸にして見れば極めて真っ当な本格ミステリの展開を見せつけつつ、冒頭から語り手が語りかける「あなた」の存在を宙づりにしたまま後半まで進んでいく構成が秀逸です。プリンセスの死の真相を解き明かした語り手の口から語られるもう一つの意想外な事実と、ある盲点を活かした“あるものの”の存在がタイトルの真意を説き明かす趣向もいうことなし。
「山魔的微笑」は、ふと知り合ったあやしい男から、「山ン中にある美しい滝を観に行きませんか、実はとっておきの秘密のルートがありまして」、……なんていかにも胡散臭い誘いに乗ってしまった夫婦が体験する地獄、――というような話から思いきや、語り手である夫がベラベラと喋り散らす妻への不満と恐怖がかなりアレ。案内役の怪しい男以上にトンデモなサイコ妻が、このトレック中にトンデモないことをやらかすんじゃァ、……なんて思っていたら、物語は妙な方向へとねじ曲がっていきます。人死にはあるのですが、意外な人物が意外な死に方をするところから、視点を変えて今度は、あれだけ散々なことを言われていた妻の視点を用いて、この事件へと突入していくまでのいきさつが語られていく、――という多視点の趣向が、人死にの真相を最後に明かす展開は期待通り。
いずれもかなり上質なミステリなのですが、ロジックよりはサスペンス、恐怖、人間の心の闇を描き出した作風は、今の日本の作家でいうと、――芦沢央の黒さが大好きッ!なんていうひとであればかなり気に入るのではないでしょうか。また、「山魔的微笑」の中でさらっと語られている「学校の怪談」のゾーッとする奇譚など、さすが京極夏彦、三津田信三が好きという作者の嗜好を感じさせる趣向もありで、かなり愉しんで読むことができました。
日本語で読める日が来るのかどうか、――についてはまったくの未知数ですが、芦沢央が好きな人は読んで損はなしッ!とここは強くオススメしておきましましょう。
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