元年春之祭 / 陸 秋槎

かなりの難物にして異形の本格。正直、抜群に愉しめたかどうかというと、――漢文にマッタク明るくない自分は心許ないのですが、華文ミステリの怪作としていま読むべき一冊であることは間違いありません。

物語は、昔昔の中国(前漢時代)で、とある一族が惨殺された四年後、春の祭礼を準備している最中にまたもや一族の間で不可解な殺人が発生。コロシの現場は開かれた密室になっていたのだが、果たしてその犯人と密室トリックは? ……この不可能犯罪に博覧強記な百合っ娘探偵が挑む、――という話。

とにかくノッケから登場人物の会話のなかに”釣して網せず、弋して宿を射ず”とか、”射は仁の道なり。射は正を己に求む。己正しくて而る後に発す。発して中らざるときは、即ち己に勝つ者を怨みず、反りて己に求むるのみ”というふうに『論語』や『礼記』といった漢籍からの引用がズラズラズラーッと登場する次第で、学生時代に古文や漢文は大の苦手だった自分はイキナリ出鼻をくじかれた格好で読み始めてはみたものの、上に挙げた漢籍からの引用はまだ序の口。事件に大きく関連してくる件の祭礼のくだりが登場人物の口を借りて説明されるところなどは、法水麟太郎もかくや、――といわんばかりの難易度を誇り、ちょっとボーッとしていると完全に置いてきぼりにされてしまうようなペダンチックな会話の連打が延々と続きます。

主人が「神明について教えを請いたい」と茶話を持ちかけ、『礼書』や『詩経』に通じた博覧強記の百合っ娘がブワーッと自身の知識を語ってきかせるシーンにいたっては、ボンクラの自分などはもう圧倒されっぱなしで、しばらくはページをめくる手がとまってしまいました。じゃあ、本作は漢籍に通じた賢い読者でないとまったく読み切ることはできないかと不安になってしまうのですがご心配なく。

衒学づくしの百合娘の高説に関しては、その場で話を聞いている登場人物たちでさえも「とてもお恥ずかしい話なのですが、質問がなんだったのかすこし思い出せなくて……」と話をはぐらかしたり、「私も憶えていないのだ――無逸はできればそう同調したいと思い」なんて心の内で考えてたり、さらにはこの百合ッ娘が難しい知識を披露したあと、「六方は十二律とも照応していて……」と話を続けようとするのを遮るように、その場にいたひとりが「わかった、そのさきは話さなくてもいい。どうやらややこしい学説で、私の理解をすこし超えそうだから」なんてストップをかけているくらいですから、現代に生きる日本人の我々が彼女のご高説を聞いてもチンプンカンプンであるのはむしろ当然至極というものでしょう。

とはいえ、この前半部でドドドーンと語り尽くされる漢籍の知識の奔流が、事件の構図に大きく関わっているのもまた事実で、そういう意味では、本格ミステリの読者よりはむしろ中国古典に詳しいひとの方が本作の異様な真相を腑に落ちると感じるカモしれません。現代に生きる日本人には及びもつかない異様なホワイダニットながら、実を言うと、こうした中国ミステリならではの超個性的な作風に相反して、本作を読了してまず思い浮かべたのは、京極夏彦の『姑獲鳥の夏』と『鉄鼠の檻』でした。その理由について詳しく語ることはややネタバレになりそうなので差し控えますが、そうした本格ミステリ的な趣向と方向性は紛れもなく、京極夏彦以降の現代本格であることを強く感じさせます(逆に言うと、本作が綾辻行人以降の「新本格」として語られるのにはちょっと違和感を覚えたのもまた事実)。

また本作でクローズアップされるべき点としてはもうひとつ、百合娘をはじめとしたどこかポップに感じられる登場人物たちの造詣でしょう。さっきから百合娘百合娘と連呼しておりますが、実際、この探偵は意中の娘と呪怨遊びをした挙げ句、川ドボンの隙を見てあわよくばあの娘の下着をこっそり盗んでクンカクンカしたい(意味不明。でも読めば判ります)、――なんていうフウに、白百合の芳香をプンプンさせた自身の欲望を衒いもなくカミングアウトしてみせたりする進歩的な造詣には超吃驚。こうした登場人物のサブカルテイスト溢れるキャラ立ちにも注目でしょうか。もっともこうした登場人物の百合テイストをとっこにして贋の推理を途中で開陳してみせたりといった仕掛けもあり、漢籍の奔流という難解さに、存外に現代フウでポップなキャラ立ちを見せる登場人物たちをすりあわせた遊び心が摩訶不思議な妙味を醸し出しているところもまた本作の大きな個性といえるかもしれません。

中国のミステリ作品といえば、例えば第四回島田荘司推理小説賞受賞作でもある大傑作・雷鈞の『黄』や王稼駿の諸作などを自分などは想起してしまうのですが、そうした現代的な作風とは一線を画した、――日本のミステリといえば正史の『本陣』『獄門島』といったふうに、中国のミステリといえば、……という日本人の期待を体現した中国テイスト溢れる本作は、日本ですでに紹介されたものの中では水天一色『蝶の夢 乱神館記』と並ぶ個性的な一冊でした。怒濤の漢籍引用によって紡ぎ出されるペダンチックな会話にはかなり取り扱い注意ですが、華文ミステリとしての強烈な個性を満喫できる異形の一冊としてオススメしたいと思います。

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