熟れた月 / 宇佐美 まこと

傑作。アマゾンの内容紹介には、「注目の作家が描く、驚きと感動の書下ろし長編ミステリー」とあるのですけど、狭義のミステリとはちょっと違う、むしろミステリの技法を駆使して、「底辺で生きる人間たちの業と、人生の不思議な縁を描」いた物語、とした方が本作の魅力がよりよく伝わるような気がします。

物語は、とある会社で経理をしている中年オバはんが社長を殺してしまうシーンから始まります。社長から愛人になってと迫られた彼女は、専務の横領を黙認していた様子。で、この専務の横領を社長にどうしても知られてはならない理由が彼女にはあるらしく、社長からの申し出を受けようとするものの、ガツガツしている社長のキモさにドン引きした彼女は思いあまって彼を刺殺してしまう、――と、ここから物語は倒叙形式に描かれていくのかと思いきや、シーンは変わって、今度はこの中年オバはんの息子にホの字の娘っ子の視点から、ファミレスに駆け込んできたオバさんの不審なところを推理していく展開になります。どうやらオバはんは何者かに脅迫されているらしいところまで娘っ子はネットで知り合った体育会系のクール・ガイと突き止めることができたものの、オバはんは自分の息子への不可思議な伝言を託して物語の舞台からは退場してしまいます。そのあと、娘っ子にあるトンデモない受難が降りかかるや、そこにふしぎな人物が登場し、この娘っ子のシーンはふっつりと終わってしまう――。

そこからは、ヤミ金業者の女社長と、その下で働く取り立て屋の男の二つの視点から物語が描かれていくのですが、中年オバはんと娘っ子との繋がりは見えてきません。バブルに浮かれて人生を落後していった取り立て屋の男と、子供のころから地獄を生き抜いてきた女社長という二人の波瀾万丈の人生は相当にダークで読ませるのですが、前シーンとの繋がりにあるミステリ的な技法が使われていることに気がつくのはかなり後。

余命幾ばくも無いことを知ることになった女社長は、公園で見かけた車椅子の男に自らの過去を語り、取り立て屋の男は自らの転落人生を回想する、――ここで注目するべきは、取り立て屋の男のシーンでしょう。この落伍者としての半生に裏打ちされたミステリ的技法が、女社長の口にしたある言葉と連関し、男がかつての故郷に戻って、自らの暗い青少年時代に落とし前をつけようとする。ゴシック文字で強調されたふしぎな呪文(?)によって解き明かされる彼の少年時代と、中盤からずっと彼につきまとっていた人物の正体が、彼の心象に大きな変化をもたらしていく展開が痺れます。

そして最後の最期、冒頭のシーンへと回帰していく最終章で、この奇妙な構成に隠されていた仕掛けのすべてが開陳されるところは感涙必至という素晴らしさで、読了後、もう一度第一章に戻って読み返してしまいました。ああ、あそこであの人物が落としたアレがここにもう一度出現してあの人物を記憶を「一度だけ」呼び覚まし、それらがすべて繋がるのか、――と感慨に浸ることしばし。

物語の構成そのものに凝らされた技法は紛れもなくミステリ的ではあるものの、この物語は、むしろ怪談、それもゴースト・ストーリーに近い印象を受けました。ちょっとネタバレ気味なので文字反転しておくと、――最後まで読んで判ることなのですが、この物語は、「死者」が「生者」に伝えるべき言葉を「ふさわしい人」を介して届ける、そうすることによって死者を神上がりさせる、――そういう構造になっています。死者と生者という分け隔てられた境を超えるためにトリック・スターめいたある人物を配置して、その人物が「死者」の世界と「生者」の世界を行き来するのですが、この物語のはじまりであるシーンの時間軸を明らかにすることなく、またミステリ的技法を用いて、「死者」の世界の視点から見ていた人物と「生者」の世界に登場する人物との重なりを隠蔽していた結果、第一章ではっきりと語られているこの物語の構造は背景の遙か彼方へと後退し、この物語における「死者」の世界の存在を隠しおおせている趣向が秀逸です。それによって、最後のシーンで、「死者」の世界の存在を、登場人物の一人とともに気づかされる読者にたいして、世界の「真相」を知るというミステリ的な恍惚とともに、ゴースト・ストーリーとしての感動を与えるという素晴らしさ、――本作は、怪談からスタートし、ミステリ作家としての花開いた作者ならではの逸品中の逸品といえるのではないでしょうか。オススメです。

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