神戸在住の音響作家seratakeijikが昨年リリースした一枚。自分が彼の存在を知ったのは『diving bell』からなのですが、このアルバムが彼のデビュー作なのかどうかは不明。詳細なディスコグラフィーが公開されていないので、bandcampのリストから推測するしかないのですが、確か自分の記憶だと、本作は『sleeep. 』とほぼ同時にリリースされていたはず。
seratakeijiは現在、もっとも気になるアンビエント・アーティストの一人なのですが、彼の作風で際だっているのは、やはり電子ノイズを日本の風土の音へと昇華させてしまう魔術的な技法の数々でしょう。ノイズは霧のような電子音のヴェールの向こうからゆっくり立ちのぼり、やがてノイズと音はメビウスの輪のようにゆるやかな反転しながら音像を作り上げていく。音に耳を澄ませていたのに、いつの間にかその音がノイズに変わっている――本作は、そんな彼ならではの不思議な音体験を堪能することができる代表作の一枚といえます。
この前にリリースされた『diving bell』に収録されている“resonance”でもその片鱗を感じることはできたのですが、作者のもう一つの大きな個性は、音に『人の気配がしない』。情感を排して音だけがひたすらに流れているような感じとでもいうか。ミキシングの違いなのか『diving bell』より音の輪郭がそぎ落とされてい、音全体が靄の中を流れている――昔のモノラルで聴いているような感覚に近いといえるかもしれません。こうした音処理が人の気配のないという印象に繋がっているのかは不明ながら、冒頭の“lens”からしてひたすらにくぐもった鐘の音が繰り返される趣向がとても印象的。
そこに音圧を伴った音が迫り来て、耳につくノイズがたちのぼってくるという展開ながら、音像や何らかの「人間的な」感情を揺り動かすような音ではない。それでいて濃密に感じられる(風景を伴わない)日本の風土の感覚は何なのだろう?
“sui”はより静寂へと振った曲風で、『diving bell』の“be”をより円くしたような音。そしてこうした情感を排した作風がもっとも際だっているのが最後の“euphoria”で、冒頭、雨の音かと思って耳を澄ませていると、そのノイズの向こうから輪郭を詰めた音がゆっくりと立ちのぼってくる曲構成が強烈な印象を残します。
この曲だけは雨の音に似たノイズがいっさいの揺らぎもなく続けられるのだけど、最後の最期で唐突に宗教的な”ある音”が静かに鳴り響いて終わるという外連が素晴らしい。しかしこの“ある音”も人間が鳴らしたものでは決してなく、機械仕掛けなのか、あるいは自然の風が起こしたものなのかと、――そんな不思議な心地を味わうことができます。
意図的に音の解像度を下げてノスタルジックな音世界をつくりだした傑作といえば、自分の場合、まずBoards Of Canada『Geogaddi』を思い出すのですが、あるアルバムには濃密な人の気配がありました。あの作品との比較もまた一興でしょう。
そして似ている音、ということで思い出したのが、鈴木方山『臨終のための音楽』。このアルバム、確かコンセプトが『死のための音楽』ではなかったか。コンセプトも音もかなり違うものの、肉体の人間たる存在が感じられないという点ではこのEPに近いような気がします。
音像も情感も取り除き、さらには人間の視点を排除した音というものがあるとすれば、こんな感じになるのではという心地にさせる摩訶不思議なアルバム。逆にいえば、あからさまに心地よくさせるような、聴く者におもねるようなところがまったくない、「ただ今、ここに響いている音」を体現したストイックさがある。
ちなみに作者の現時点での最新作は、ドイツのアンビエントクリエーターscarless armsとのコラボアルバム『listen to the numbers』。こちらはコラボということもあってか、本作に比較するともう少しゆったりと聴けるかもしれません。seratakeijiの強烈な個性をじっくり煮詰めたアルバムということで、まず一枚、ということであれば個人的には本作を強くオススメしたいと思います。