傑作。あらすじは、シューマンの妻に脅迫状が届き、その内容からブラームスはシューマンが『詩人の恋』に込めたある企みに迫ろうとする、――という逸話を端緒に、物語の舞台はいきなり現代に飛んで、同級生に片思いしている高校生と、合唱サークルの大学生の日常を活写しながら『詩人の恋』に隠された謎を巡って、芸術探偵がその真相に迫ろとする、という話。
全七話からなる構成ながら、物語は、現代の逸話だけを取り出すと、片思いの高校生、大学の合唱サークル、芸術探偵の謎解きと大きく三つに分けられ、その外枠にブラームスを語り手とした1856年の過去が配されてい、それぞれに事象としての繋がりはないものの、『詩人の恋』の謎を端緒として「三つの主題が交替しながら、現実にはありえない世界を次々と展開して行く」かのごとき結構が素晴らしい。
実を言えば、最後の最後、”熱唱”とともに明かされる『詩人の恋』に秘められた物語については、前半にハッキリと描かれているのですが、その情景の真意が読者には判らない。それは片思いの高校生や大学の合唱サークルの逸話があくまで秘められた恋物語として明示されているからでもあるのですが、その秘められた企てが「いつの日か、遠い国のどこかで……明らかになる」とシューマンが手紙に書き記した通りのことが作中で展開されるロマンに、ちょっと『占星術』を想起してしまったのは自分だけでしょうか。
隠された物語の大絵図を理解するための伏線は、片思いの高校生の逸話の段階から大胆に明示されてい、たとえばそれは『暗い憧れ』といった違和感を伴う言い回しとともに繰り返し引用されているため、芸術に明るい読者であれば、その言葉の真意をとっこに、隠された物語の細部と手紙に記された文意とを容易に重ねることもできるのではないでしょうか。
そういう意味では、本格ミステリ的なおどろきは薄いものの、やはりここは芸術探偵が、『詩人の恋』の再解釈とともに隠された物語を懇切丁寧に明かしてみせる謎解き”そのもの”の外連を愉しむのが吉、でしょう。
ちなみに本作、上にも述べた通り、目次を見ると「第一部 杜塞道夫 1856年秋」から「第七部 君たちに解るかい この棺桶がどうしてこんなに巨大で重いのか」までの七部構成となっているのですが、第一部からの続きと見られる過去の逸話がエピローグとして第七部における芸術探偵の謎解きシーンを終えたあとに空行もなく配されているのですが、これ、紙版でもこうなんでしょうか? 個人的にはこのエピローグは第八部に構成されるべきだったのでは、とか、あるいは本作では書かれることのなかった第八部(あるいは芸術探偵の謎解きによって明らかにされたある人物の物語)の絵付けは読者の想像に委ねられているのかどうか。作中における8分の6拍子への執着を見るにつけ、この構成の企みについて色々と想像を巡らせてしまいます。もっともこのあたりもまた「受容する側はそれに自由な解釈を行う自由がある」わけで、本作の物語を読了した読者の手に委ねられているのカモ、……と考えることにしておきます(爆)。
もう一点、言及するとすれば、作中ではシューマンの期待通りに「芸術や表現に完全な自由が齎された暁」の現代においてその隠された企図が明かされたわけですが、さて読者のいる現実に眼を向ければ、ポリコレが猛威を振るい、表現の自由はますます侵されつつあるという皮肉に過ぎるリアルに大苦笑してしまったのは自分だけでしょうか。
結構なボリュームながら、軽妙な筆致でガンガン読み進めていくことができる本作、作者の代表作のひとつとなりえる逸品ではないでしょうか。オススメです。