汚れた手をそこで拭かない / 芦沢 央

さらっと読めてしまう短編集ながら、濃厚に過ぎるイヤ感や鮮やかな反転劇が冴える一品揃いで堪能しました。収録作は、病床にある妻が過去に夫のしでかした失敗の背後に見え隠れする悪意を暴き出す「ただ、運が悪かっただけ」、大ポカをしでかした学校の先生がその失敗の隠蔽を試みる「埋め合わせ」、ボケ妻の物忘れが引き起こしたあるものの死の真相が反転する「忘却」、傑作映画が完成するも、俳優のクスリ疑惑にお蔵入りとなりかけたところでトンデモないことをしでかす「お蔵入り」、料理研究家として成功した人妻を襲う受難「ミモザ」の全五編。

冒頭を飾る「ただ、運が悪かっただけ」は、職人の旦那が過去にやらかしてしまった失敗話を聞いた病床の妻が、その背後にある真相を暴き立てる、という内容。ほんのささいなことがきっかけで客を死なせてしまった、と過去に苛まれる旦那の口から聞かされる逸話が痛烈で、何よりもその死んだ客というのが、今フウの言葉でいうとトンデモないモンカスで、このあたりの描写がイヤ感マシマシで最高にムカつくこと請け合い。その死に隠された悪意からその死の真相をあばきたてていく妻視点の筆致が静的で、モンカス野郎への怒りに震える読者の心を爽やかにクールダウンしてみせる対比が素晴らしい。

「埋め合わせ」は、収録作の中ではもっとも気に入った一編で、ある種の倒叙ものとして愉しめる傑作。プールの水をキチンと溜めてなかった学校の先生が、そのミスから水道代を請求されるのを恐れるあまり、様々なことをしてタイトル通りの「埋め合わせ」をしようとするのだが、――という話。この「犯人」とでもいうべき先生もキチンとしたロジックをベースに自らの「犯行」を組み立てていき没問題と安心したのもつかの間、ギャンブル好きのヘラヘラした同僚教師に目をつけられ、その陥穽をつかれた挙げ句、とんでもないバッドエンドが待ち構えています。しかしながら主人公の先生を奈落へ突き落とすヘラ男の奸計がまことに鮮やかで、犯行のロジックとそれを瓦解させるロジック両者の切れ味が素晴らしい。

反転という意味では、「お蔵入り」もなかなか冴えた一編で、素晴らしい映画を撮れたと小躍りしていたスタッフに水をさすような噂が耳に入ってくる。何と主演俳優にクスリ疑惑が浮上し、これでは映画がお蔵入りになると不安にかられたひとりが、その男優を殺してしまう。このコロシを隠蔽するため皆で口裏を合わせたものの、思わぬところからそれを覆す証言が現れ、――という話。くだんの証言を行った人物の心情などまったく眼中にない登場人物たちの振る舞いが、ホイチョイ・プロダクションズの『気まぐれコンセプト』あたりに登場しそうな業界人の典型でイラつくことこの上ない。それゆえに証言者の決意が引き起こす結末に思わずざまあみやがれ、と快哉を叫びたくなる天晴れな一編に仕上がっています。

イヤ感マックスの登場人物を添えた一編といえば、最後の「ミモザ」で、正直、中盤からはあまりに不愉快で飛ばし読みしてしまった(爆)。料理研究家の人妻が、かつて不倫していたデキる男と再会するも、彼はすっかり落ちぶれてい、金の無心をしてくる始末。しかしひとたび金を貸したのをきっかけに、ヒロインが奈落へと急降下していく展開がとても辛い。そして辛いと同時に、この男の振る舞い、言動そのすべてが不愉快という点でも、ムカつく短編ミステリのベスト10を選出するとすれば、まず筆頭に掲げたくなるほど気分が悪くなる怪作。

宇佐美まことと並んで、刊行される作品がこれすべて傑作という作者のなかでも、粘度の高いイヤ感と鮮やかなミステリ的技巧が光る一冊といえるのではないでしょうか。オススメです。