ヘルたん / 愛川 晶

現代本格の最先端をゆく『神田紅梅亭寄席物帳』シリーズの作者、愛川氏の(おそらく)新シリーズ。『ヘル』というとHELLを、そして『たん』といえば美意子タンの「たん」をイメージしてしまうボンクラ脳を嘲笑するかのように、ライトなジャケとは裏腹に展開される物語はかなりヘビー。それでも登場人物たちを偏愛せずにはいられない、大切な一冊になりそうです。

巨乳の先輩に優男のモテボーイ、伝説の名探偵、さらには駄目押しとばかりにネコのコンボで漫画チックなジャケとくれば、本作を手に取られた読者のあらかたは、語り手の優男ボーイと巨乳の先輩が『日常の謎』的な事件にかかわることになり、伝説の名探偵が華麗な謎解きを披露して、――という展開を想像してしまうわけですが、さにあらず。ジャケにも「介護と推理のフュージョン!」とある通り、お伽噺チックな本格ミステリ遊戯が入り込む余地のない厳しい介護の現実が緻密に描かれ、さらにはそうしたリアリズムを底支えするかたちで伝説の名探偵にもある疵があるという物語世界の構築が巧みです。

一応、連作短編ならぬ連作中編の形式を採っており、収録作は、ある奇妙なドアノッカーの造形をモチーフに、登場人物たちそれぞれの背景を描き出してみせる結構が粋な「パルティアン・ショット」、過去の陰惨な事件に、これまた奇妙なマグカップというブツのモチーフを重ねて真相へと迫る「ミラー・ナイツ」、登場人物の中の一人の意味深な振る舞いの真相が、過去の痛みとともに開陳される幕引きのもの哀しさ「シュガー・スポット」の全三編。

「パルティアン・ショット」、「ミラー・ナイツ」と、プロローグめいた出だしで、あるブツの奇妙な造型がさらりと描かれているのですが、その奇妙さをミステリ的な謎としながらも、本作に収録された作品のキモはその謎解きそのものにあるわけではありません。いうなれば、その奇妙なブツの謎をとっこに、事件やイベントに関わっている人物たちの心の綾を探り当てていくという結構で、真相や謎解きよりも、奇妙なブツをモチーフにした事件との重なりと構図の見せ方に注力した作品は、『神田紅梅亭寄席物帳』シリーズに通じる愛川ミステリの真骨頂といえるかもしれません。

本作では、伝説の探偵もまた介護を受ける身であるというハンディがあり、体の不自由というよりは、探偵という頭脳労働を行う者にとっては致命的な疵を抱えているという設定が本作の最後のヤマにどう絡んでくるのか、――というところも見所のひとつでしょう。探偵が構図をあぶり出すヒントを、モチーフとなっているブツに絡めて、主人公である優男ボーイに語って聞かせ、むしろボーイ自身が謎解きの殿を請け負ってみせるという役割分担もまた『神田紅梅亭寄席物帳』を彷彿とさせます。

「パルティアン・ショット」で語られる謎は、ボーイの個人的なものであり、かつそれがまた非常に青春青春したものであるため、畢竟、伝説の探偵から明かされるモチーフの重ね方も含めて、登場人物のお披露目的な側面がやや強く前面に押し出されているため、「日常の謎」もの的な緩い風格かと油断していると、続く「ミラー・ナイツ」は、過去の陰惨な事件から、介護問題に絡めた現代への時間的な隔たりとともに、探偵の疵も交えて単純に見えていた事件の暗い影があぶり出されていきます。

介護にかかわることになったボーイの奮戦や、モテモテであるがゆえの悩み、さらにはホの字の先輩との行き違いなど、ミステリ的な結構から離れたところでも色々と読みどころが多いわけですが、プロローグで語られたブツと事件との重ね方は収録作中、ピカ一ではないでしょうか。ここで使われるトリックも介護の現場にいるからこその気づきが添えられてい、「推理と介護のフュージョン」というジャケ帯の惹句とも見事に呼応しています。

巨乳先輩に憧れる優男のボーイという軽めの青春ミステリっぽい設定を、介護という重いリアリズムの中で展開されることで、物語はやや意外な方向へと流れていくのですが、とくに人物と人物との連関が過去とともに明かされていく「シュガー・スポット」はかなりヘビー。介護の現場ならではのトリックなど、モチーフに重ねたミステリの見所もあるものの、おおよそ都会(といってもかなり訳アリの場所)らしくない「血」にかかわるある人物の暗い影と、それが結果的に悲劇へとなだれ落ちていく展開はもの哀しい。

それぞれの終わりに探偵のモノローグがおかれているのですが、疵を自覚しつつも、「シュガー・スポット」では事件の回避に向けて奔走していた真相が語られるエピローグがまた、探偵としては致命的なこの疵を際立たせているところも秀逸です。

偏執的といえるほどの技巧を極限にまで凝らしてみせた『神田紅梅亭寄席物帳』に比較すると、本格ミステリとしてはもう少し肩の力を抜いて読むことができる一冊とはいえ、登場人物たちの陰影や介護という現場のリアリズムなどは相当に重く、それでも訳アリな探偵の、続編を予感させる最後のモノローグや、優男ボーイとあの人との関係はこれっきりになってしまうのか、などなど、登場人物たちの今後が気になって仕方がない、……という意味では、『神田紅梅亭寄席物帳』シリーズと並んで、続編を早くと期待せずにはいられません。『神田紅梅亭寄席物帳』シリーズの新作を待つ中での繋ぎとしても、現代本格のファンであれば十分に満足できる逸品といえるのではないでしょうか。オススメでしょう。